52. 離宮の賢王と、先見の導き
酒場の個室で、シュテゲン公爵の話を聞き終えた俺たちは、重苦しい空気に包まれていた。
敵の手口はわかった。だが、それを覆すには「場」が足りない。
「……マサイールめ、司法省にも手を回しておるな。わしが何度怒鳴り込んでも、担当者が居留守を使いよる」
爺様が悔しそうにテーブルを叩いた。
正規の手続きでは、父上の処刑が決まるまで面会すらできないだろう。
だが、俺には心当たりがあった。
「爺様、シュテゲン公爵。……『前国王』のルノルマ様なら、話を通せるんじゃない?」
「ルノルマか? 確かにあやつなら可能だが……今は離宮で隠居の身だ。現役の王以上に会うのは難しいぞ」
シュテゲン公爵が首を振る。
だが、俺はニヤリと笑った。
「会えるよ。……俺には『コネ』があるからね」
◇
翌日。俺たちは再び王宮の門前に立っていた。
案の定、昨日の役人たちが立ちはだかる。
「ですから、ダイファー様であろうと正規の手続きを……」
「書類の審査には一週間ほどかかりますので……」
のらりくらりと躱そうとする彼らの鼻先に、俺は懐から取り出した「革袋」の中身――一枚の古びた金属プレートを突きつけた。
「……これを見ても、通してくれない?」
鈍い銀色に輝くそのプレート。
中央には王家の紋章。そして裏面には、特徴的な署名が刻まれている。
「こ、これは……『ルノルマ』様の直筆署名入り……!?」
役人たちの顔色がサッと青ざめた。
それは、かつて俺がサマラ王国の水質汚染問題を解決した際、当時の国王ルノルマから渡されたものだ。
当時、莫大な報奨金を渡そうとしたルノルマに対し、俺は「金はいらない。その代わり一つ貸しにしておいてくれ」と断った。
その「貸し」の証として、ルノルマが個人的に渡してくれたのがこのプレートだ。
王家に対する、絶対的な「貸し」の証明書。
「ど、どうして子供のあなたがこれを……」
「さあね。持ち主から託されたんだよ。『困った時に使え』ってね」
俺が不敵に笑うと、役人たちは慌てて道を開けた。
隠居したとはいえ、先代国王の威光は絶対だ。俺たちは役人の先導で、王宮の奥にある静かな離宮へと向かった。
◇
離宮の庭園。
そこでは、一人の男が優雅にティータイムを楽しんでいた。
ルノルマ・サマラ。58歳。
年齢を感じさせない若々しさと、すべてを見透かすような静かな瞳を持った、先代の国王だ。
「……騒がしいな。今日は珍客が来ると予感していたが、まさかダイファー、お前だとはな」
ルノルマは振り返りもせず、カップを置いた。
その言葉に、爺様が肩をすくめる。
「相変わらず気味の悪い勘をしておるわ。……久しいな、ルノルマ」
「ああ。……して、そこの子供は?」
ルノルマの視線が俺に向いた。
俺は一歩前に出て、例のプレートを差し出した。
「初めまして、ルノルマ様。アケニース家のアルヴィンと申します。……このプレートの持ち主の代理で参りました」
ルノルマはプレートを受け取り、懐かしそうに指でなぞった。
「……懐かしいな。これは昔、わしの国の水を救ってくれた、風変わりな男に渡したものだ」
ルノルマの目が細められた。
「『アーノル』と言ったか。……技術には明るいが、礼儀知らずで、どこか浮世離れした男だった。……そなた、あやつとどういう関係だ?」
「……遠い親戚、のようなものです。彼から知恵と、これを託されました」
俺は嘘にならない範囲で答えた。
ルノルマはじっと俺の目を見た。
彼の目は、まるで数秒先の未来や、物事の吉凶を直感的に感じ取っているかのような深みがある。今の俺の言葉に「嘘」が含まれているかどうかも、勘づいているかもしれない。
「……ふむ」
数秒の沈黙の後、ルノルマは口元を緩めた。
「まあよい。『風が、淀みを晴らせと言っている』。……あやつの代理として来たのなら、相応の用件があるのだろう?」
俺たちは席を勧められ、事の顛末を話した。
マサイールの嫉妬、毒殺の罠、そして父マーランの冤罪。
ルノルマは静かに紅茶を飲みながら、最後まで耳を傾けてくれた。
「……なるほど。あのマーランが毒殺など、ありえん話だ。奴は真面目すぎて、嘘をつくと胃を壊すような男だからな」
ルノルマも父の性格はよくご存じのようだ。
「ならば、ルノルマ様のお力で父上を!」
「……すまないが、即座に釈放とはいかん」
ルノルマは首を横に振った。
「わしは既に王位を退いた身。それに、今の王は息子のラウマールだ。あやつは、昔から『人の本質』を見抜く目が鋭くてな。嘘吐きや悪人は、目の前に立っただけで見破ってしまうのだ」
「人の本質、ですか」
「うむ。ラウマールも、マーランが暗殺をするような男ではないと、内心では直感しているはずだ。だが、今回の件は『死人』が出ている。王としての立場上、いくら直感で無実だとわかっていても、状況証拠だけで無罪にはできんのだ」
(なるほど……現国王は、そういう『能力』を持っているのかもしれないな)
俺は内心で推測した。
だが、いくら王でも、法と証拠を無視すれば国が乱れる。だからこそ、決定的な「反証」が必要なのだ。
「法を曲げることはできん。……だが、機会を作ることはできる」
ルノルマは立ち上がり、庭の先にある王城を見据えた。
「明後日、ラウマール出席のもと、マーランへの最終尋問が行われる。……そこにそなたらが立ち会い、証言する許可を与えよう」
「!」
「ただし、条件がある。……ラウマールを、そして貴族たちを黙らせる『決定的な証拠』を持ってくることだ。それができれば、道は開ける」
俺は深く頭を下げた。
十分だ。反撃のステージは用意してもらった。
「ありがとうございます。……必ず、無実を証明してみせます」
◇
去り際、ルノルマが俺を呼び止めた。
彼は俺の耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。
「やはり、また会えましたね」
俺は思わず目を見開いた。
ルノルマは悪戯っぽく微笑んでいる。
その言葉は、かつてアーノルとして彼と別れる際、「また会える気がする」と言われたことへの答え合わせのようだった。
未来を予感する彼には、俺の中に眠る魂の色が見えているのかもしれない。
「……長生きしてくださいね」
俺も小声でそう返し、離宮を後にした。
◇
俺たちはすぐにナビルと合流した。
彼はすでに動き回っていたらしく、少し疲れた顔をしている。
「……どうだった、ナビル」
「キツかったですよ。検死を担当した医師を酒場に連れ込んで、酔わせてようやく聞き出しました」
ナビルはメモを取り出した。
「毒見役の死因は、間違いなく毒です。使用されたのは『悲嘆の青』。……国が管理する劇薬指定の神経毒ですね」
「悲嘆の青……」
「無味無臭、水に溶ければ透明。飲めば数秒で神経を焼き切り、即死します」
毒の種類は特定できた。
だが、それだけでは「マーランが盛った」という疑いは晴れない。
どうすればいい?
俺は腕組みをして考え込んだ。
瓶は割れて中身はない。
残されたのは「マーランが注いだ酒は、美しい琥珀色だった」という証言だけ。
(琥珀色……透明……悲嘆の青……)
ふと、前世の知識が脳裏をよぎった。
タンパク質変性。アルコール凝固。
特定の成分は、高濃度のアルコールに反応して変化する。
もし、この世界(異世界)の毒にも、そんな化学反応があるとしたら?
「ナビル。その『悲嘆の青』、手に入るか?」
「へ? ……まあ、裏ルートを使えばなんとか。高いですよ?」
「構わない。急いでくれ」
◇
その日の深夜。
宿の一室に、俺、爺様、ナビルが集まっていた。
テーブルの上には、アケニース領から持参した「琥珀色のウイスキー」が入ったグラス。
そして、ナビルが調達してきた小瓶に入った透明な液体『悲嘆の青』だ。
「……いくぞ」
俺はスポイトで毒を吸い上げ、ウイスキーの中に一滴、垂らした。
ポチャン。
その瞬間。
ジュワッ……!
透明だった毒液が、ウイスキーのアルコール(度数40%超)に触れた瞬間、白く煙るように拡散した。
そして数秒後。
透き通っていた美しい琥珀色の液体は、白く濁った泥水のような色に変貌していた。
「「おおっ……!」」
爺様とナビルが声を上げた。
「瓶の中が濁る……!」
「そうだ。この毒は、水なら透明なままだ。だが、ウイスキーのような高濃度アルコールの中では、成分が凝固して白濁する」
俺は確信を持って言った。
「事件の夜、父上が注いだ酒を見て、誰もが『美しい色だ』と言った。……つまり、その時点で瓶の中身は『濁っていなかった』んだ」
「なるほど! 瓶の中に毒が入っていれば、注がれた酒は最初から白く濁っていたはず……!」
ナビルが興奮して手を叩いた。
これで第一段階、「瓶の中身は無実」である証明ロジックは完成した。
毒が存在したのは瓶の中じゃない。
注がれた後。
つまり、毒見役の口の中だ。
「あとは、この毒の出処だ」
俺は白く濁ったグラスを見つめた。
「『悲嘆の青』は国の管理品だ。市場には出回らない。……だとしたら、犯人はどこから入手した?」
「横流しか、あるいは……違法な密輸ルートか」
ナビルが目を光らせた。
「任せてください。毒の種類がわかれば、扱っている『闇の商人』も絞り込めます。明日の朝までに、誰がこの毒を買ったか突き止めてみせますよ」
ピースは揃いつつある。
明後日の御前会議。
そこで俺たちは、琥珀色の奇跡と、白い真実を突きつける。




