5. 帰還した最強の隠居人
玄関ホールには、すでに家族が勢揃いしていた。
当主である父マーラン、兄のソーバンとナンブル。そしてメイドたちが整列している。
その中心に、一人の男が立っていた。
白髪交じりの短髪。日に焼けた肌。
貴族らしい絹の服ではない。使い込まれた麻のシャツに、泥のついたブーツ。
そして背中には、風呂敷に包まれた長細い棒状のもの――明らかに「槍」を背負っている。
まるで、今しがた山から降りてきた木こりのような、あるいは農作業を終えたばかりのような、むせ返るような「土」の匂いを纏っていた。
(……ダイファー)
俺は柱の陰から、その姿を凝視した。
最後に見たのは、あいつがまだ19歳の頃だ。
あの頃から逞しい体をしていたが、
さらに迫力を増している。
見る力を使ってみる。
【名前:ダイファー・アケニース】
【年齢:44歳】
【戦闘:A】
【能力:豪腕】
(……なっ!?)
俺は我が目を疑った。
戦闘ランク、A。
信じられない。
思考が一時停止する。
背筋が凍るような感覚が走った。
Aランクは「一騎当千」。
俺の前世である「アーノル」の時代、あの修羅場を共に潜り抜けた猛者たちでさえ、到達できなかった領域だ。
あの異次元男メイシーですら、ようやく「B」だったというのに。
ダイファーが?
そして、あの時19歳だったはず。
年齢から計算すれば、
25年。
俺の知らない間に、どれほど過酷な日々を送ったのか。
涙が出そうになる。
だが、今はダメだ。
「――ただいま。いやあ、クルム村の開墾もだいぶ進んだぞ」
ダイファーが太い声で笑った。
その笑顔だけは、昔のままだった。屈託のない、人を安心させる笑顔。
「お義父様、お疲れ様でした。……ですが、その格好は」
「ん? ああ、すまんマーラン。着替えるのが面倒でな。馬車に乗る前に泥は落としたんだが」
現当主である父マーランが、眉間を揉みながらため息をついた。
元伯爵であるダイファーだが、今は家督をマーランに譲り、故郷であるクルム村で隠居生活を送っている。
隠居といっても、悠々自適などではなく、自ら労働に従事しているらしい。
「裏山の巨木が邪魔でな、へし折ってきた」
「……へし折った? 斧でですか?」
「いや、槍で突いたら倒れた」
「……はあ」
マーランが理解を放棄した顔をした。
こいつ、何でも槍で解決しようとしてやがる。
昔から「槍が好き」とは言っていたが、ここまで拗らせているとは。
「お父様ったら。またそんなに日焼けして」
「ははは、ディーファも元気そうだな。……おや?」
ダイファーの視線が、ホールに入ってきた俺を捉えた。
その目が、くしゃりと細められる。
「おお! アルヴィンか!」
ドシドシ、と床を鳴らして巨体が近づいてくる。
俺が見上げる間もなく、丸太のような太い腕が伸びてきた。
体が宙に浮く。
高い高い。
「うむ、また少し重くなったか? 元気にしてたか、我が孫よ!」
ダイファーは俺を抱き上げ、その頬をジョリジョリと俺の頬に擦り付けてきた。
痛い。髭が痛い。
そして何より、体を支える腕の力が尋常ではない。
まるで万力だ。本人は優しく抱いているつもりなのだろうが、筋肉の密度が違う。
「うん! 爺様、おかえりなさい!」
俺は愛想よく答えながら、内心冷や汗をかいていた。
こいつ、強い。
ただの筋力じゃない。体の芯まで練り上げられた、実戦と労働の結晶だ。
夕食の席。
話題はもっぱら、ダイファーの村での生活についてだった。
「畑の土が硬くてな。鍬じゃラチがあかんから、槍で耕したんだ。深く掘れていいぞ」
「……お義父様、農具を使ってください」
「川の流れが悪かったから、槍で岩を砕いて水路を広げた」
「……土木業者を呼んでください」
マーランの冷静なツッコミも、ダイファーには馬の耳に念仏だ。
平和だ。
ここには、血なまぐさい匂いはない。
だが、その平和を守ってきたのが、この男の圧倒的な「武」であったことを、俺だけが理解していた。
「……ねえ、爺様」
俺はスープを飲み終え、口を開いた。
「ん? なんだ、アルヴィン」
「爺様は、強いの?」
ダイファーはきょとんとして、それから少し照れくさそうに頭をかいた。
「どうだろうな。……爺様はな、昔、もっと強い人たちを見てきたからな」
「もっと強い人?」
「ああ。爺様の父ちゃんとか、その仲間とかな。……俺なんて、まだまだだ」
ダイファーは遠くを見る目をした。
嘘をつけ。
今のお前の戦闘力は、間違いなく俺たちを超えている。
だが、本人は本気でそう思っているようだ。そこが、いかにもダイファーらしい。
おそらく、25年間の防衛戦の中で、誰よりも体を張り、誰よりも槍を振るい続けた結果なのだろう。
(……上等だ)
俺はニヤリとするのを堪えた。
父マーランが内政を回し、祖父ダイファーが圧倒的な武力として控えている。
アケニース家、思った以上に盤石だ。
これなら、俺が安心して知識チートを使っても、簡単には潰されないだろう。
「僕、爺様みたいになりたい! 強くなる!」
俺は椅子の上で拳を握った。
ダイファーの大きな手が、俺の頭を撫でた。
今は、俺が撫でられる側か。
「そうか、そうか。……なら、今度クルム村に来るか? 槍の使い方を教えてやるぞ。槍さえあれば、人生なんとかなるからな」
「お義父様、5歳の子供に変な思想を植え付けないでください」
「ははは、冗談だ」
豪快に笑う祖父の横で、俺は密かに決意した。
この最強の祖父を師匠にすれば、身体能力の向上も早まるかもしれない。
そして俺の知識と、この家の力を合わせれば。
25年前に夢見た「本当に豊かな世界」が、作れるかもしれない。
俺はダイファーの武骨な手を見つめながら、静かに闘志を燃やしていた。




