6. 10日に一度の天国、毎日の停滞
ダイファー爺様による「槍術指導」は、毎日ではなかった。
彼は現在、クルム村での開墾作業(という名の地形操作)が本業であり、屋敷に戻ってくるのは10日に一度――いや、忙しい時は二十日空く。
だからこそ、その日は俺にとって貴重な時間となる。
「いいかアルヴィン。槍に不思議な力などない。あるのは気合と修練だけだ」
中庭にて。ダイファーが丸太のような腕で、稽古用の木槍を構える。
重心が沈む。筋肉が波打つ。
「速く突き出し、速く引く。摩擦熱で空気が焦げるくらいにな」
「物理法則が極端すぎるよ、爺様」
ヒュンッ!!
風切り音すら置き去りにする速度で、木槍が繰り出された。
衝撃波で、数メートル先の木の葉が舞い落ちる。
『気』などという便利なエネルギーはない。
これは純粋な筋力と、極限まで無駄を削ぎ落とした身体操作のみが生み出す破壊力だ。
「さあ、やってみろ」
俺は子供用の棒を振るう。
当然、風など起きない。だが、身体の使い方、足の運び、その全てを目に焼き付ける。
このたまにのトレーニングが、今の俺にとって唯一の「成長」を実感できておられますか?」
屋敷の一室。
家庭教師のガイズが、苛立ちを隠そうともせずに定規で机を叩いた。
神経質そうな痩せ型の男だ。
「……聞いてるよ」
「ではこの文字を書き写しなさい。基本が大事です」
ガイズが指差したのは、幼児が最初に習うような基礎的な文字の羅列だ。
俺は頬杖をついたまま、あくびを噛み殺した。
(苦痛だ……)
俺の前世は「アーノル」。木こりの息子として生まれたが、商売を学び、旅をして世界を知り、それなりに生きた。
さらに言えば、その「アーノル」としての人生のバックボーンには、もっと前の「地球」での知識まである。
今更、こんな基礎をなぞらされるとは。
これは教育ではない。
ただの足止めだ。
俺は羽ペンを適当に走らせ、窓の外を見た。
中庭の設計図を頭の中で引く。あそこにアスレチックを作れば、効率よく神経系のトレーニングができるはずだ――。
「アルヴィン様!!」
ガイズの怒鳴り声で、思考が中断された。
「授業中に上の空とは何事ですか! たとえ三男とはいえ、アケニース家の男子としての教養は必須ですぞ!」
「だって、もう知ってることばっかりだもん」
「なんと生意気な……! 旦那様に報告させていただきます!」
ガイズは顔を真っ赤にして部屋を出て行った。
俺は肩をすくめた。
やれやれ、これで少しは静かになる。
だが、その考えが甘かったことを、俺はその日の夜に知ることになる。
◇
夕食後、父マーランの執務室に呼び出された。
重厚な扉を開けると、マーランは書類から目を離さず、冷ややかな声で言った。
「そこに座れ」
幼児に話しかけるような甘さは一切ない。
部下の不手際を糾弾する上司のトーンだ。俺は大人しくソファに座った。
マーランは眼鏡の位置を直し、手元の報告書を指先で弾いた。
「ガイズ先生から報告が上がっている。授業態度が極めて悪い、とな」
「……授業が、つまらなかったから」
「つまらない、か」
マーランの目が冷ややかに俺を見下ろした。
その瞳の奥にある【計算】の光が、俺を値踏みしている。
だが、そこにあるのは期待ではない。失望に近い感情だ。
「アルヴィン。最近、お前がたまに難しい言葉を使ったり、授業で正解を出したりするのは知っている。だがな」
彼は切り捨てるように言った。
「それはただのムラっ気だ。気まぐれに正解したかと思えば、基礎的な集中力すら欠いている。……はっきり言って、今のままでは使い物にならん」
「……使い物に、ならない?」
「そうだ。兄のソーバンやナンブルを見習え。彼らは常に安定して成果を出している。お前のように、気分で出来不出来が変わる人間は、組織にとってリスクでしかない」
マーランの評価はシビアだった。
俺が持つ「知識」を、彼はまだ認めていない。
単に「情緒不安定で、たまにマグレ当たりをする出来の悪い三男」としか見ていないのだ。
「でも、時間の無駄だよ。文字ならもう書けるし、歴史や地理だって――」
「口答えをするな」
マーランの声が一段低くなった。
「基礎もできん人間に、応用を語る資格はない。お前のそれは『賢さ』ではない。ただの『怠慢』だ」
正論だ。
今の俺には、彼を納得させるだけの実績がない。
5歳児が口先だけで「知っている」と言っても、それは妄言にしか聞こえないだろう。
「明日からは真面目に受けろ。
できないなら、そうだな、軍の宿舎でしばらくしごいてもらうか。……話は以上だ。下がっていい」
マーランは再び書類に視線を戻した。
拒絶。これ以上の対話は無駄だという合図だ。
俺は部屋を出て、廊下で大きくため息をついた。
ダイファーは力技で解決できるが、マーランは、結果でしか判断しない。
しかも、現状の俺の評価は「底辺」だ。
軍の宿舎なんかに入れられたら何もできなくなる。
そんなものは全力で回避しなければ。
「……あーあ。参ったな」
俺は天井を仰いだ。
このままでは、俺の「再教育」計画が、基礎教養という名の足踏みで数年遅れてしまう。
口で言っても信じてもらえないなら、方法は一つしかない。
俺は歩きながら、ニヤリと笑った。
やりようは色々ある。
俺には「地球の知識」と「アーノルの経験」という最強の武器があるのだから。




