45. 沈黙する神と、聖女の意地
ポルム教国の首都、『聖都』に入った瞬間、俺は肌にまとわりつくような違和感を感じた。
かつて(25年前)のこの街は、静謐で、厳かな祈りに満ちた場所だった。
巡礼者たちは声を潜め、石畳を踏む音さえも憚られるような、心地よい緊張感と神聖な空気が漂っていたものだ。
だが、今の静けさは違う。
街を行き交う人々の顔は暗く、どこか怯えている。沈黙の中に「祈り」ではなく「停滞」と「不安」が澱んでいるのだ。
「……活気がないのう」
馬車の窓から外を眺めていた爺様が、ぽつりと呟いた。
「昔から静かな街じゃったが、これはちと陰気すぎる。まるで終わらない葬式の最中のようじゃ」
「そうだね。何かがおかしい」
俺はロリーナに窓の外を見せないようにしながら、目を細めた。
道行く人々が、俺たちの筋肉質な護衛団を見ても、驚くというよりは「また何処かの軍隊か」といった諦めの眼差しを向けているのが気になった。
◇
中央にそびえる巨大な建造物、『大聖堂』。
俺たちはその正門に馬車を乗り付けた。
「止まれ! 此処より先は……」
槍を交差させて立ちはだかる近衛兵に、俺は馬車の中から例の『聖銀の証』を提示した。
効果は劇的だった。
兵士たちは顔面蒼白になり、まるで神の使いでも見たかのように震え上がり、重厚な扉を開け放った。
案内されたのは、大聖堂の奥にある豪奢な応接室だ。
ロリーナがテーブルに出された茶菓子を「これおいしい!」と頬張る横で、俺と爺様はソファに腰掛け、相手を待った。
やがて、扉が開いた。
入ってきたのは、豪奢な法衣を纏った初老の男だ。
枢機卿の一人だろう。だが、その顔には深い疲労の色が刻まれ、目の下には濃い隈があった。
「……お待たせいたしました。私は枢機卿のモルドと申します」
モルドは俺たちを見て、一瞬怪訝な顔をした。
筋肉隆々の元国王と、5歳の子供。どう見ても聖職者には見えない。
だが、俺の手にある『証』を見ると、すぐに居住まいを正した。
「その『聖銀』……先代教皇ベネディクト猊下が発行されたものですね。まさか、このような形で再びお目にかかるとは」
「僕はアルヴィン。こっちは祖父のダイファーだよ。……単刀直入に言うね。地下の『祭壇』に行きたいんだ」
俺が切り出すと、モルドの肩がピクリと跳ねた。
彼は長い溜め息をつき、重い口を開いた。
「……祭壇へ行かれても、何も起きませんよ」
「どういうこと?」
「『神』は、沈黙されたのです」
モルドは悲痛な面持ちで語り始めた。
この国の象徴であり、システム(神)との対話者である『聖女』。
先代の聖女ハネキは、歴代でも稀に見る長命な聖女だった。
通常、聖女の役割は40代前後で次の世代へ引き継がれる。それは単純に激務だからだ。
だが、ハネキの場合は違った。
彼女が引退すべき時期になっても、次代の聖女が見つからなかったのだ。
「システムとの対話に必要な適合率は『80%』以上。……ですが、ここ数十年、その数値を超える子供が一人として現れなかったのです」
教国は焦り、ハネキに頼み込んだ。
彼女は64歳で亡くなるその日まで、聖女の座を守り続けたという。
(……あのハネキが、64歳まで?)
俺は驚きを隠せなかった。
25年前の記憶にあるハネキは、「聖女なんて美味しい生活ができるからやってるだけよ~」と嘯く、サバサバした、少し口の悪い女傑だった。
そんな彼女が、死ぬまで国のために尽くしたというのか。
意外な一面というか……責任感の強さに頭が下がる。
「そして2年前、彼女が崩御して以来――祭壇は光を失ったのです」
モルドの声が震える。
「神の声は途絶えました。各国の王家に与えていた『守護の力(システムによる統治者権限の付与)』も更新できず、今や教国の権威は地に落ちております」
なるほど、街の暗さはこれか。
王権神授説を地で行くこの世界で、神からの後ろ盾がなくなれば、王たちは教会を軽んじ始める。寄付金は減り、民の心も離れる。
教国は今、存亡の危機に瀕しているのだ。
「……もう2年も、誰も祭壇に入れていないの?」
「ええ。祭壇への扉は、適合率の低い者が近づいても開きません。無理にこじ開けようとすれば、神の怒りに触れ、命を落とします」
パスワードも鍵もない。ただ純粋な生体認証(適合率)のみが通行手形だ。
だが、俺にとっては好機でもあった。
(適合率80%か。……俺の魂はアーノルだ。あいつとは旧知の仲だし、俺の肉体(器)がどうであれ、魂の波長で認識してくれる可能性はある)
前世でシステムは俺のことを「99.8%(ほぼ創造主)」と判定していた。
もしその判定が魂に紐付いているなら、この5歳児の肉体でも扉は開くはずだ。
俺はモルドを見上げた。
「ねえ、枢機卿様。もし、その『沈黙』を破れるかもしれないと言ったら、通してくれる?」
「……は?」
モルドが目を丸くした。
「僕たちを祭壇に通して。……もしかしたら、神様は僕たちを待っているのかもしれないよ?」
5歳児特有の無邪気さを装いながら、俺は悪魔的な提案をした。
今の彼らに拒否権はない。
藁にもすがりたい状況なら、得体の知れない子供にでも賭けるはずだ。
「……よろしいでしょう」
長い沈黙の後、モルドは力なく頷いた。
「どうせ、このままでは教国は終わる。……ベネディクト猊下の『証』を持つ貴方たちに、最後の望みを託しましょう」
許可は下りた。
俺はニヤリと笑い、爺様を見た。
「行くよ、爺様。神様を起こしに行こう」
「おう。……しかし、お前さん、いつの間に神様と知り合いになったんじゃ?」
爺様は不思議そうに首を傾げたが、深くは追求しなかった。
俺たちはモルドの案内で、大聖堂の地下深く、厳重に封印された『祭壇』へと足を踏み入れた。
そこは、25年前と変わらぬ、冷ややかな空気に満ちていた。
そして、俺だけが知っている。
その奥にいるのは神などではなく、口の悪い人工知能であることを。




