42. 鍛冶師の拉致と、鉄の窪みの実験室
ロリーナが食堂の椅子を並べて作った即席ベッドで、スヤスヤと昼寝を始めた頃。
俺は一人、コジインの敷地内に建てられたばかりの「工房」へと移動した。
中はまだ道具も揃っておらず、ガランとしている。
そこで待つこと数十分。
突然、工房の扉が「バンッ!」と乱暴に開かれた。
「……おえぇ」
最初に入ってきたのは、顔面蒼白の老人――マンダルだった。
彼は床に四つん這いになり、今にも魂を吐き出しそうな顔をしている。
そして、彼を背負っていたスピディが、ゼェゼェと荒い息を切らしてその場に大の字に倒れ込んだ。
「つ、着きました……坊ちゃん……。もう二度と……こんな無茶は……」
「お疲れ様、スピディ。約束の金貨5枚は後で払うよ」
「……うぃ」
スピディは親指を一本立てると、そのまま気絶するように目を閉じた。
さすがの【速】の能力者も、老人一人を背負って馬車で二日の距離を全力疾走するのは堪えたらしい。
さて、問題はこっちの爺さんだ。
「い、いきなり担がれて……景色が後ろに吹っ飛んでいって……ここはどこじゃ……地獄か……?」
「よう、マンダル。久しぶりだね」
俺が声をかけると、マンダルは床を這いずりながら顔を上げた。
俺の顔を見るなり、その目が大きく見開かれる。
「あ、アルヴィン坊主か……!? お前、わしを殺す気か! まだ昼飯も食っておらんのに!」
「人聞きが悪いな。急ぎの仕事があったから、特別便を手配しただけだよ。飯なら後でサハジに言えば最高のものが出てくるから」
俺はマンダルを助け起こし、椅子に座らせた。
水を渡して少し落ち着かせると、彼はようやく周囲を見回す余裕を取り戻した。
「……なんじゃここは。わしの村の工房より広いじゃないか」
「ここが僕の新しい拠点だよ。……で、マンダル。あんたを呼んだのは他でもない。ちょっと試してみたいことがあるんだ」
俺が懐から、布で包んだ紫色の小石を取り出すと、マンダルが「げっ」という顔をした。
「またそのゴミを拾ってきたのか。……お前、懲りないやつだな」
「へへっ、覚えてるでしょ? こいつの特性」
俺がニヤリと笑うと、マンダルは嫌そうに顔をしかめた。
かつてクルム村で、俺とマンダルはこの石の奇妙な性質を発見していた。
特定の溶液に浸すと、この石は勝手に反応し、暴れ回るように回転するのだ。
今回はすでに動物の血液で溶液を作製してある。
「忘れるか。気味が悪い石だ。……で? 今度はこれで何をしようってんだ?」
「『振動』だよ。この石を容器に入れて暴れさせて、その振動で酒を熟成させたいんだ」
「……はあ? 酒?」
マンダルは呆れたように口を開けた。
「お前、頭がおかしくなったか? そんなことのためにわしを拉致したのか?」
「大真面目だよ。でも、このままじゃダメだ。形がいびつすぎて、不規則に暴れるから容器を割っちゃう。……どうにかして、制御可能な『振動』に変えたいんだ」
俺の相談に、マンダルは石を指先でつまみ上げ、じろじろと観察した。
そして、鼻を鳴らした。
「ふん。そりゃお前、この石が凸凹だからだろ。重心が狂ってりゃ、そりゃ暴れるわ」
「だよね。だから、これを削って『球体』にしたいんだけど……」
「削る? 馬鹿言え。こいつはガラスより脆いんだぞ。ヤスリを当てりゃ崩れる」
マンダルは即答した。
だが、その目はすでに職人の光を帯びていた。彼はニヤリと笑い、工房の隅にあった鉄屑の山へ歩いていった。
「削るんじゃねぇよ。……昔、お前がやっただろう。『型』を使うんだ」
そう言うと、マンダルは手際よく二つの鉄塊を用意し、炉に放り込んだ。
「そうなこともあったか。大きさは?」
「できるだけ小さくしてくれ。」
さすがマンダルだ。理解すれば早い。
俺たちは早速作業に取り掛かった。
マンダルが鉄塊を加工し、完璧な半球の窪みを作る。その手際は、老いてなお衰えるどころか、熟練の域に達している。
俺はその間に溶液を調合し、研磨用の細かい砂を用意した。
「よし、セットするぞ」
鉄の型の間に石と砂と液体を閉じ込め、万力でガッチリと固定する。
中から、シュルルル……という音が響き始めた。
「おお……回ってる」
「溶液を少なめにしてある。暴れすぎて砕けんようにな」
数分後。音が変わった。
最初はガリガリといっていたのが、次第にシュィィィンという滑らかな高音に変わっていく。
「……開けるぞ」
マンダルが万力を緩め、型を開いた。
そこには、小粒ながらも歪みのない、美しい紫色の球体が転がっていた。
「すげぇ……完璧な球だ」
「ふん、わしの腕にかかりゃこんなもんだ」
マンダルは鼻高々に胸を張った。
ここまでは順調。
問題はここからだ。
「よし、これをガラス瓶に入れて、実際に樽に沈めてみよう」
俺は完成した球体を、厚手のガラス瓶に入れ、溶液を注いだ。
球体は瓶の中で高速回転を始め、ブゥゥゥンと唸りを上げる。いびつだった時とは違い、回転は安定している。
俺はそれを、用意していた水樽の中へ沈めた。
「振動開始!」
微細な振動が樽全体に伝わり、水面がさざめく。
いい感じだ。これなら熟成が進む――そう思った矢先だった。
ピキッ。
嫌な音が水中で響いた。
「……あ」
パリーン!!
ガラス瓶が耐えきれずに砕け散り、中の球体が弾け飛び砕けた。
衝撃で樽の水がバシャリと跳ね、俺とマンダルはずぶ濡れになった。
「…………」
「…………」
静寂。
俺たちは顔から水を滴らせながら、呆然と割れた瓶の破片を見つめた。
「……ダメじゃん」
「……当たり前だバカ! 球になっても回転の力そのものが消えたわけじゃねぇ!」
マンダルが濡れた髪を振り乱して怒鳴った。
「瓶の中で石が暴れ回ってることに変わりはねぇんだよ! 普通のガラスが耐えられるか!」
「うぐぐ……強化ガラスとか、衝撃吸収ゴムとかが必要なのか……」
俺はガックリと項垂れた。
甘かった。
石を丸くすれば解決すると思っていたが、そのエネルギーを受け止める側の強度が足りない。
現代知識でいうところの、エンジンの出力にボディが耐えられない状態だ。
「……まあ、でも」
マンダルが、割れた瓶の底に残っていた紫の球体を拾い上げた。
少し傷がつき、割れが入っている。
「第一段階はクリアだ。次はもっと頑丈な容器と、衝撃を逃がす仕組みを作ればいい」
「……そうだね。3歩進んで2歩下がった感じだけど、前進はした」
成功とは程遠い。酒の熟成なんてまだ夢のまた夢だ。
だが、「石を球体に加工する」という最初の一歩だけは踏み出した。
「ふん。……手間のかかる道楽だな」
マンダルは悪態をつきながらも、次の課題をどう攻略するか、すでに計算を始めている職人の目だった。
「よし、今日はここまで! 腹減ったからサハジに飯作ってもらおう!」
「お前な……散々振り回しておいて……。まあいい、久々に腕が鳴るわい」
文句を言うマンダルの背中を押して、俺たちは工房を出た。
完成への道のりは遠いが、手応えはある。
俺たちの試行錯誤は、まだ始まったばかりだ。




