40. 雑用係と、琥珀色の未完成品
『コジイン』建設予定地の視察から戻った俺は、屋敷の自室でふんぞり返っていた。
目の前には、げっそりした顔のスピディがいる。
「……坊ちゃん。俺はあくまで護衛だぞ。なんで会計係とパシリと現場監督までやらされてんだ」
スピディが抗議の声を上げた。
無理もない。ここ数日、彼は俺の手足となって駆けずり回っている。
白金貨を崩して作った「アルヴィン商会(仮)」の運転資金の管理。
クロブたちへの生活物資の買い出し。
ツタク建設への手付金の支払い。
そして、ロリーナの送迎。
「人手が足りないんだから仕方ないだろ。信用して大金を預けられるのは、スピディ、君しかいないんだ」
俺はニッコリと笑って、彼を持ち上げた。
実際、彼は優秀だ。
能力【速】を持っているだけあって、仕事が早い。
街中の移動も一瞬だし、頭の回転も速い。
何より、文句を言いながらもキッチリ仕事をこなす誠実さがある。
「へっ、口が上手いねぇ。……で? 今度は何だ?」
「ツタク親方に追加の差し入れを持っていって。あと、クロブたちが勉強で使う筆記用具も」
「へいへい。……俺の剣の腕が錆びつかないかだけが心配だぜ」
スピディは肩をすくめ、風のように部屋を出て行った。
便利だな、一生部下でいてもらいたい。
◇
その日の夕方。
父マーランの執務室に、クルム村から一つの小樽が届いた。
マンダルと爺様が指揮を執り、現地の職人たちが造り上げた、記念すべき「新酒の第一号」だ。
「……来たか」
マーランは少し興奮した様子で、小樽の栓を抜いた。
とぷん、という音と共に、鮮烈なアルコールの香りが漂う。
「さっそく味見といくか。アルヴィン、お前もどうだ」
「うん」
父がグラスに少量を注ぎ、俺に渡してくれた。
俺は香りを確かめる。
……若い。あまりにも若い。
穀物の甘い香りはするが、トゲトゲしいアルコール臭が鼻を刺す。
色はまだ薄い琥珀色。
樽に入れて数ヶ月、色はほとんど乗っていない。
俺はちびりと舐めた。
「…………かっ」
喉が焼ける。
5歳児の舌には、ただただ強烈な刺激物だ。
味の深みも、まろやかさもない。
ただの「濃いアルコール」だ。
これが蒸留したての「ニューポット(原酒)」の味だ。
「……ふむ。悪くない」
一方、マーランは満足げに頷いていた。
「確かに強いが、雑味がない。街の酒場で出る安酒とは比べ物にならん透明感だ。これなら売れるぞ」
この世界の酒のレベルが低いおかげで、これでも十分「上等」と判断されるらしい。
だが、俺は首を振った。
「ダメだよ父上。これはまだ未完成だ」
「未完成? 十分美味いが」
「尖りすぎてる。この酒のポテンシャルはこんなもんじゃない。樽の中で木と呼吸させて、角を取って、香りを溶け込ませなきゃいけないんだ」
俺はグラスを置いた。
「最低でも3年。……いや、本当に美味くするには10年は寝かせたい」
「10年だと!? 気が遠くなる話だな……」
マーランが絶句した。
商売として考えるなら、10年も在庫を抱えるのはリスクでしかない。
だが、熟成こそが蒸留酒の命だ。
時間をショートカットする方法はない。
――いや、本当にそうか?
ふと、前世の記憶の片隅にある情報がフラッシュバックした。
テレビかネットのニュースで見た覚えがある。
『超音波熟成』。
樽やタンクに微細な振動を与え続けることで、液体の分子活動を活発化させ、熟成を早める技術。
数年の熟成を、数ヶ月、あるいは数週間に短縮できるという魔法のような技術だ。
(……超音波。要するに、細かい『振動』だ)
俺は腕組みをして考え込んだ。
この世界に電気はない。
超音波発生装置なんて作れるはずがない。
物理的に樽を揺らす?
人力じゃ限界があるし、ムラができる。
何か、外部動力を必要とせず、液体の中で高速で振動し続けるような、都合のいい物質は――
あった。
心臓がドクンと跳ねた。
俺とマンダルしか知らない、あの「封印された石」。
あの異常な力を持つ鉱石だ。
(……紫の鉱石!)
あれだ。
特殊な溶液に浸すと、化学反応で猛烈な「回転エネルギー」を生み出す謎の石。
あれをタンクの中に入れれば?
石が勝手に暴れ回り、液体を撹拌し、微細な振動を与え続ける。
まさに天然の「熟成加速装置」じゃないか。
「……くくっ、ははは!」
俺は思わず笑い声を上げた。
マーランが不審そうに俺を見る。
「どうしたアルヴィン。酔っ払ったか?」
「ううん、思いついただけ。……父上、この酒をもっと美味しく、しかも早く完成させる方法があるかもしれない」
俺はグラスに残った酒を一気に飲み干した。
……むせた。
善は急げだ。
「父上、失礼します!」
俺は執務室を飛び出し、廊下を走った。
目指すは、俺の便利な足、スピディの元だ。
◇
中庭のベンチで、スピディが死体のようにぐったりしていた。
度重なるお使いで疲労困憊なのだろう。
「スピディ!」
「……うげぇ。また来た」
スピディが露骨に嫌な顔をした。
「坊ちゃん、勘弁してくれよ。今日はもう店じまいだ。足が棒になっちまう」
「大丈夫、君の足はそんなにヤワじゃないよ。それに、これは君にしか頼めない超重要任務だ」
俺は彼の前に立ち、ビシッと指を差した。
「クルム村に行って、マンダルを連れてきて」
スピディが固まった。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……は?」
「鍛冶師のマンダルだよ。爺様の家の近くの工房にいる偏屈な爺さん。彼を大至急、ここまで連れてきてほしいんだ」
「い、いやいやいや! 待て待て!」
スピディが飛び起きた。
「クルム村だぞ!? しかも人を連れて帰ってくる? 往復4日以上の長旅じゃねえか!」
「君なら、もっと早く行けるでしょ?」
「俺は馬じゃねえんだよ!!」
スピディの悲鳴が中庭に響く。
だが、俺は引かない。
このアイデアを実現できるのは、あの紫の石の秘密を知り、かつ微細な加工ができるマンダルしかいないのだ。
「お願いだよスピディ。これは『アルヴィン商会』の社運がかかってるんだ。……特別ボーナス、弾むよ?」
「ぐっ……」
ボーナスという言葉に、スピディの表情が揺らいだ。
こいつ、本当に現金なやつだ。
「……い、いくらだ?」
「金貨5枚」
「行ったぁぁぁぁぁ!!」
スピディは叫ぶと同時に、残像を残して走り出した。
馬小屋へ向かい、一番速そうな馬を強引に引き出すと、またたく間に門を飛び出していった。
「……ふふっ。頼りになるなぁ」
俺は砂煙を見送りながら、ニヤリと笑った。
マンダルが来れば、実験開始だ。
紫の石を使った「強制熟成システム」。
もしこれが成功すれば、俺たちは時間を超越した美酒を手に入れることになる。
待ってろよ、世界。
5歳児が作る最高傑作で、酔わせてやる。




