32. 悪魔のプレゼンテーション
「店売りショットグラスで銀貨50枚。……ボトルなら金貨10枚。
それでも、あたしは真っ先に仕入れる」
リリが提示した金額を聞いて、俺は満足げに頷いた。
「ありがとう。最高の評価だ」
「ああ、 あたしが客ならそれだけ出してでも飲むと言ったんだ。お世辞じゃないよ」
「分かってる。だからこそ、自信が確信に変わったよ」
俺は空になったグラスを指先で回しながら、これからの展望を語った。
「来年には、これのまだ若いのが出来上がる。熟成期間がない分、味は荒々しいかもしれないけど、ポテンシャルは保証するよ」
「……どれくらいで、この味に追いつく?」
「通常なら20年はかかる。でも、今はちゃんとした職人がいて、最高の樽を用意させてる。それに何より……」
俺はルンナの麦畑を思い浮かべた。
あの特別な麦を使えば、発酵後の酒の味自体が進化するはずだ。
「材料の『麦』が違うんだ。たぶん、10年でこの味に追いつく。いや、もっと早いかもしれない」
「……恐ろしいねぇ。末恐ろしい5歳児だよ」
リリは呆れたように笑い、そして真剣な顔つきで俺に言った。
「期待してるよ。この酒が世に出たら、あたしの店が一番に仕入れる。約束だよ?」
「ああ、約束する。……この残りの酒は置いていくよ。好きに楽しんで」
俺は小瓶をカウンターに残し、店を後にした。
背後でリリが小瓶を拝むように手に取るのが気配でわかった。
◇
屋敷に帰る馬車の中で、俺は頭の中を切り替えた。
リリのお墨付きは取れた。次は、これを父マーランに売り込むための「武器」作りだ。
自室に戻ると、俺は夕食もそこそこに机に向かった。
羊皮紙を広げ、インク壺の蓋を開ける。
前世の知識をフル動員して、事業計画書を作成していく。
まずは『生産計画』。
クルム村での作付面積から算出される麦の収穫量。そこから造れる原酒の量。
全てを売りに出さず、毎年一定量を「長期熟成用」としてプールする計算式。これにより、10年後、20年後にはさらなる高付加価値商品が資産として積み上がっていく。
次に『売上予測とロイヤリティ』。
リリの査定額をベースに、卸値を設定。アーモン商会との折半条件を加味しても、アケニース家に入ってくる利益は莫大だ。
今の領地の税収と比較した棒グラフを描く。右肩上がりのその線は、もはや暴力的なまでの説得力を持っていた。
「……よし。これで話が通れば、詳細な製造マニュアルも渡そう」
深夜、俺は完成した資料の束をトントンと机で揃えた。
完璧だ。
これと、今日のリリの「価格査定」があれば、父は絶対に首を縦に振る。
いや、振らざるを得ない。
◇
翌朝。
俺は父マーランの執務室のドアを叩いた。
「父上、お時間よろしいですか?」
「……アルヴィンか。昨日の孤児院の件なら、まだ土地の選定中で……」
「いいえ。今日は別の話です」
俺は許可を待たずに中に入り、父のデスクの正面に立った。
そして、徹夜で作った資料の束を、ドサリと置いた。
「……なんだこれは」
「アケニース領の未来を変える、事業計画書です」
マーランは怪訝そうに眉をひそめ、一番上の紙を手に取り、読み進めた。
そこには『蒸留酒事業による収益予測』というタイトルと、リリが書いた「金貨10枚」という衝撃的な査定額のメモが添えられていた。
「……蒸留酒? 金貨……10枚……!?」
「昨日、アーモン商会の飲食部門トップ、リリさんにサンプルを査定してもらいました。彼女は『この価格で売れる』と言いました」
父の手が止まる。俺は間髪入れずに畳み掛けた。
「現在、クルム村でマンダルという職人に製造ラインを作らせています。原料の麦も確保済み。来年には初出荷が可能です。このグラフを見てください」
俺は売上予測のページを開いた。
「初年度こそ投資回収でトントンですが、3年後には領の税収を超え、5年後には……今の10倍の利益を生み出します」
「じゅ、10倍……!?」
「はい。しかもこれは永続的な資産です。寝かせれば寝かせるほど価値が上がる。まさに『金のなる木』です」
マーランの顔色が青ざめ、そして紅潮していく。
計算高い父なら、この資料の正確さと、そこに記された数字の意味が一瞬で理解できたはずだ。
これは、貧乏貴族であるアケニース家にとっての救世主。いや、革命だ。
「……これを、お前が……? 5歳のお前が仕込んだのか?」
「はい。……で、本題です」
俺は父の目を真っ直ぐに見つめた。
「この事業の権利、製法、そして将来入ってくる利益のすべてを、アケニース家に差し上げます」
父が息を呑んだ。
喉から手が出るほど欲しい財源だ。それを息子が「くれる」と言っている。
「……条件は、なんだ?」
震える声で父が聞いた。
タダでこんな話を持ってくるはずがないと、警戒しているのだ。
「一つだけです」
俺はニッコリと笑った。
「僕に『完全な自由』をください」
「……自由?」
「はい。僕が何にお金を使おうと、誰を雇おうと、何を建てようと、一切口出ししないでください。いちいち許可を取りに来るのも、説明するのも面倒なんです」
俺は机に身を乗り出した。
「もちろん、領地に損害を与えるようなことはしません。……その代わり、僕の行動に関するすべての決裁権を、事後承諾で認めてほしいんです」
つまり、「もう子供扱いはするな」という宣言だ。
対価としては十分すぎるはずだ。
マーランはしばらく資料と俺の顔を交互に見ていた。
葛藤があっただろう。親としての威厳、領主としての責任。
だが、目の前にある「金貨の山」という現実と、それをたった一人で作り上げた息子の「実力」を前にして、彼はついに肩の力を抜いた。
「……いいだろう。
だが、報告はしろ。領地の判断は私の仕事だ」
「事後でもいいですか?」
父は深いため息をつき、眼鏡を外して机に置いた。
「……分かった。認めよう。何かあれば負債も請け負え」
「分かりました」
俺は深く一礼した。
商談成立だ。
「よし、これで邪魔な手続きはなくなった……!」
俺は執務室を出て、小さくガッツポーズをした。
金も、権限も、人材も、すべてが自由に動かせる。
次は「孤児院」の設立だ。




