31. 自由への対価
父マーランを白金貨で突破し、孤児院建設の許可は取り付けた。
だが、これでは毎回父の許可を取る羽目になる。
正直、面倒だ。
何かあるたびに嘘をつき、父の顔色を伺い、用途を説明する。これではスピード感に欠けるし、いつかボロが出る。
(……金そのものより、『金を使う権限』と『自由』が必要だ)
もう口を出させない、あるいは「アルヴィンのやることに間違いはない」と全面的に信じ込ませるだけの実績が必要だ。
手はある。
俺が持っている前世の知識。その中でも、即金性が高く、かつ永続的な利益を生むもの。クルム村で始動させた「蒸留酒事業」だ。
いずれ、この酒造りの権利と利益をすべて父に譲渡してもいい。それを対価に、俺は俺のやりたいことをやるための「完全な自由」を手に入れる。
金など、自由が手に入れば後でいくらでも作れるのだから。
「……よし、まずはそのための『武器』の威力を確認するか」
俺は腹を決めた。
昨日はロリーナとのトレーニングと勉強、そして食事で一日が終わった。
そして翌朝。
俺は行動を開始した。
◇
「スピディ、あの三人の様子はどう?」
「だいぶ元気になりましたよ。飯も食えてるし、風呂にも入って小奇麗になってます。ただ、ずっと宿に缶詰なのは退屈そうですが」
「そうか。……確かに、ずっと缶詰めも精神的に辛いよな」
孤児院ができるまでまだ時間がかかる。かといって、彼らを野放しにするわけにはいかない。
(うちの使用人部屋とか、空いてないかな)
アケニース家の屋敷は無駄に広い。使っていない部屋の一つや二つあるはずだ。
俺はサロンでお茶を飲んでいた母ディーファの元へ行った。
「母上。屋敷の空き部屋ってある? しばらく人を住まわせたいんだけど」
「あら、お友達?」
「うーん、まあ、部下かな」
「ふふ、アルヴィンは大人びてるわねぇ。部屋なら東棟が空いてるけれど……人を住まわせるなら、父様に許可をもらわないとね」
「……やっぱりそうなるか」
母は優しいが、屋敷の管理権限は父にある。
やはり、まずは父という「壁」を完全に取り払う必要がある。
俺は頷いた。
「わかった。……よしスピディ、出かけるよ」
「へいへい。今日はどちらへ?」
「アーモン商会だ」
◇
領都の商業区画にある『アーモン商会』。
かつてアサータクが興したこの商会は、当時から大商会として名を馳せていたが、今や国内でも指折りの巨大組織となっている。
俺は受付で、ある人物の店について尋ねた。
「『リリ』という女性がやっている店を知りたい」
その名を聞いた店員は、すぐに広場の反対側にある店を教えてくれた。
リリ。
彼女はアーモン商会の現会長の妹であり、飲食部門のトップに君臨している人物だ。
だが、彼女は根っからの現場主義。「管理職なんて退屈だ」と言って、自ら厨房に立ち続けているという噂を聞いていた。
教えられた場所に向かうと、そこは予想に反して小さな店だった。
看板も控えめで、知る人ぞ知る隠れ家といった雰囲気だ。
扉を開けると、カランとベルが鳴る。
まだ昼のオープン前だ。店内では数人のスタッフが慌ただしく開店準備をしていた。
「いらっしゃいませ! ……あ、申し訳ありません」
すぐに若い給仕の女性が飛んできたが、俺たちの姿を見て困った顔をした。
「まだ開店前でして……それに、本日はランチの予約で満席となっておりまして」
「食事に来たんじゃないんだ。リリさんと少し話せないかな?」
「えっ? オーナーとですか? しかし、今は仕込みの佳境でして、とても手が離せないと……」
「そこをなんとか頼めないかな。少し聞きたいことがあるんだ」
給仕が困惑していると、奥の厨房からパンパンと手を叩く音と共に、威勢のいい女性の声が響いた。
「おい! 給仕! 何を油を売ってるんだい! 開店までに床の掃除は完璧に済ませたのかい!」
暖簾をバッと開けて出てきたのは、コックコートに身を包んだ女性だった。
キリッとした眉に、勝気そうな瞳。後ろで束ねた髪。
年齢は30代半ば。目尻に笑い皺ができているが、その立ち振る舞いには一流の料理人としての厳しさがあった。
アサータクの血縁である彼女を見るのはまだ少女の頃以来だが、なんとなく彼に似た雰囲気を感じる。
リリは俺たちを見て、腰に手を当てた。
「うちは一見さんの子供が来るような店じゃないよ。迷子なら外の衛兵に聞きな」
「リリさんだね。突然すみません、少し聞きたいことがあって」
俺は物怖じせずに歩み寄った。
そして、懐から小瓶を取り出した。
中に入っているのは、俺が前世で造り、隠し部屋で保存していた酒だ。
あのコレクションの中では比較的若い方だが、それでも25年以上は寝かせた逸品だ。今の時代には存在しないだろう。
「……なんだいそれは」
「酒ですよ。グラス、ひとつ借ります」
「勝手にしな。……で、用件は?」
俺は近くのテーブルセッティングが済んでいる席から、グラスを一つ拝借した。
そして、小瓶のコルクをポンと抜き、トクトクと琥珀色の液体を注いだ。
瞬間。
店内の空気が変わった。
ふわりと広がる、バニラのような甘い樽香。
熟した果実のような濃厚なアロマ。
それは、ただのエールや安酒しか知らないこの世界の人々にとって、未知の香水にも似た衝撃だった。
「……っ!?」
リリの目の色が変わった。
経営者の顔ではない。純粋な「料理人」の顔になった。
彼女は無意識に数歩近づき、鼻をひくつかせた。
「……なんだい、その香りは。果実酒? いや、もっと深い……木の香り?」
「飲んでみてよ」
俺はグラスを彼女の前に差し出した。
「毒見は必要ですか?」
「はっ! あたしの舌を舐めるんじゃないよ」
リリはグラスを奪うように手に取ると、色を透かして見、香りを深く吸い込み、そして少量を口に含んだ。
「…………」
沈黙。
彼女の喉が小さく動く。
そして、大きく目を見開いた。
「……嘘だろ」
彼女はグラスに残った液体を凝視した。
「雑味が一切ない。喉が焼けるほど強いのに、なんでこんなにまろやかなんだい? 口の中に花の香りが残る……こんな酒、王都の晩餐会でも見たことがないよ」
彼女はガバリと顔を上げ、俺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで迫った。
「坊主! これは何だい! どこの国の酒だ!?」
「僕の商会の商品だよ」
俺は不敵に笑い、本題を切り出した。
「この酒に、価格をつけてくれませんか? アーモン商会のトップとして、適正な評価をお願いしたい」




