30. 悪魔の計算と、天使の出資
とりあえず、クロブたち三人は『銀の翼亭』に待機させた。
まずはゆっくり休んで、食べて、体力が戻るまではあそこにいればいい。
毎日スピディに様子を見に行くように指示しているので、逃亡やトラブルの心配もないはずだ。
さて、問題はその後だ。
いつまでも高級ホテル暮らしをさせるわけにはいかない。かといって、彼らをただの労働者として野に放つのも惜しい。
俺が作りたいのは、アルヴィン商会(仮)の実働部隊だ。
「……人材育成所、兼、孤児院を作ろうか」
表向きは領主による慈善事業としての孤児院。
だが中身は、優秀なスキルを持つ子供や、才能があるのに行き場のない人間を保護し、俺の手足として教育する機関だ。
これなら社会的な体裁もいいし、人材も集まりやすい。
「流石にこれは、父上の許可が必要か」
土地の権利や建物の建設となると、5歳児の小遣い(という名の白金貨)だけでは解決できない法的な手続きが発生する。
爺様がいれば強引に通せたかもしれないが、彼はクルム村で麦と酒造りに夢中だ。しばらく帰ってこないだろう。
あれこれ頼みすぎたツケが回ってきた。
「よし、父上に直談判だ」
俺は意を決して、父マーランの元へ向かった。
珍しく執務室にはいなかった。使用人に聞くと、家族の談話室にいるという。
部屋に入ると、そこには珍しい光景があった。
父マーラン、母ディーファ、そして二人の兄である長男ソーバン(8歳)と次男ナンブル(7歳)。家族4人が揃ってくつろいでいたのだ。
「あら、アルヴィン。いらっしゃい」
母ディーファが優しく手招きをした。
「あなたもお菓子を食べない? 今日は父様がお土産を持ってきてくれたのよ」
「うん、いただくよ」
俺がソファに座ると、すぐにメイドのミナがサイドテーブルに紅茶と焼き菓子を用意してくれた。
一口かじる。
……甘い。バターと砂糖の濃厚な味が口いっぱいに広がる。
ふと見ると、母と兄たちも同じ顔をしていた。
「うん、うまい」
アケニース家は伯爵家だが、財政難のため倹約に努めている。普段の食事は質素だし、こうした甘いお菓子が食卓に並ぶことは滅多にない。
兄たちも、行儀よく座ってはいるが、その顔は綻んでいる。
(……この和やかな空気。吉と出るか、凶と出るか)
まあ、元々ダメ元だ。
俺は紅茶で口を湿らせてから、正面に座る父マーランに向き直った。
「父上。少し相談があるんだけど」
「ん? なんだ改まって」
マーランはカップを置き、眼鏡の奥の瞳をこちらに向けた。
俺は単刀直入に切り出した。
「領内に、孤児院を作りたいんです」
ピタリ。
父の手が止まり、兄たちが驚いた顔で俺を見た。
母だけはニコニコしているが、その目は「あらあら」といった感じだ。
「……孤児院、か」
マーランは眉をひそめた。
「理由は?」
「街には親のいない子供や、貧しさで才能を潰されている人がたくさんいます。彼らを保護して育てることは、将来的に領地のためになると思うんです」
正論だ。
だが、マーランは領主であり、同時にこの家の財布の紐を握る「計算」の能力者だ。
彼は深くため息をつき、冷徹な現実を突きつけてきた。
「アルヴィン。お前のその優しい心掛けは立派だ。だがな、お前は費用を理解しているか?」
「費用?」
「そうだ。土地を用意して、建物を建てて、そこで働く職員を雇い、子供たちに飯を食わせ、服を着せる」
マーランは指を折りながら、淡々と続けた。
「それを一年、五年、十年と続けるんだ。……いいかアルヴィン。お前の言う規模の孤児院を作るとして、初期投資と年間の維持費、合わせていくらかかると思う?」
「建物があるとして……初期投資で金貨150枚前後。
維持費は10年で金貨2000枚くらいでしょうか。」
俺が淡々と数字を告げると、部屋に沈黙が落ちた。
隣でクッキーを食べていた長男のソーバン(8歳・能力【計算】)が、口を半開きにして呟いた。
「……アルヴィンが計算してる」
次男のナンブル(7歳・能力【数】)も、目を丸くして俺を見ている。
マーランは眼鏡の奥の目を細めた。
「……まあ、事業計画としてはその認識で間違いない。だが規模次第で、10年なら金貨5000枚は見積もるべきだ」
父はカップを置き、厳しい口調で言った。
「金貨5000枚だぞ。アルヴィン、お前は我が家に、今いくらの『余剰資金』があると思っているんだ?」
「……え?」
「領地の運営費ではない。いざという時に自由に動かせる、予備の現金だ。……いいか、アケニース家は自転車操業だ。入った税収はすぐにインフラの維持や軍備、借金の返済に消える。金庫の中で眠っている金など、金貨2000枚もないのが現実だ」
父の言葉には、長年金策に奔走してきた苦労が滲んでいた。
貴族だからといって、金が湧いてくるわけではない。むしろ、見栄と責任のために出ていく金の方が多いのだ。
「そんな状態で、利益も生まない慈善事業に数千枚の金貨など出せるわけがない。……諦めなさい」
正論だ。
領主として、無計画な出費を許すわけにはいかない。
普通の5歳児なら、ここで泣いて諦めるか、駄々をこねる場面だ。
だが、俺はニヤリと笑った。
「つまり、『金さえあれば』文句はないんですね?」
俺はポケットから、ハンカチに包んだ「あるもの」を取り出した。
それを、カチャンと硬質な音を立ててテーブルの上に置いた。
白く、美しく輝くその硬貨。
「……あ?」
マーランの表情が凍りついた。
母ディーファが「あら、綺麗なコインね」と呑気な声を上げる横で、数字に強い兄たちが椅子から転げ落ちそうになった。
「は、はっきんか……!?」
「えっ、うそ、本物!?」
白金貨。
金貨100枚に相当する、超高額通貨。
俺はそれを指先でピンと弾いた。
「とりあえず、手付金です」
「て、手付金だと……? お前、これをどこで……」
「爺様から預かりました」
俺はしれっと答えた。
「クルム村の家から、曾祖父様の遺産が出てきたらしいんです。爺様が『俺が相続した金だから、お前が好きに使え』って。……とりあえず、これを含めて5年は孤児院を運営できるくらいの枚数は預かっています」
「ご、5年……!?」
マーランが絶句し、頭を抱えた。
父親ならやりかねない。
「……はぁ。父上は、またとんでもない爆弾を……領内も苦しいというのに」
マーランは深いため息をつき、眼鏡を外して揉み上げを押さえた。
そして、スッと目を細め、領政管理者、いや父親としての厳しい視線を俺に向けた。
「アルヴィン。そんな大金を子供に持たせておくわけにはいかん。私に預けなさい」
「いいですよ」
俺はあっさりと頷いてみせた。
「ただし、孤児院の建設費と運営費を、この中から確実に出してもらえるなら、ですけど」
「……なるほど、そういう交渉か」
マーランはテーブルを指でトントンと叩き、冷徹な事実を突きつけてきた。
「金を出せば何でも解決するわけではないぞ。箱を作った後、誰が運営する? 子供たちの世話をし、教育を施す『まともな大人』が何人必要だと思っている? 今の我が領政に、そんな事業に割ける余剰人員はいない」
「人員については当てがあります。すでに領都でスカウトした有能な労働者が三人、宿屋で待機していますから。彼らを初期人員として配置します」
「……なんだと?」
「それに、問題は5年後だ。資金が底を尽きた後、その孤児院はどうなる? 慣れない事業が頓挫し、資金がショートした時、放り出すわけにはいかんだろう。結局はアケニース家がその『負債』を背負うことになる。私は、そんな時限爆弾のような計画に許可は出せん」
流石は計算の能力者。目の前の大金に目が眩むことなく、きっちりと先のリスクを弾き出してきた。
だが、そのツッコミも想定内だ。
「5年もただ飯を食わせるつもりはありません。子供たちに技術や知識を教え、ゆくゆくは商会として仕事を請け負い、自力で稼げる組織にします。ただの慈善事業ではなく、将来的に領地に利益をもたらす『投資』ですよ」
俺の言葉に、マーランの目がわずかに見開かれた。
ただの子供の思いつきではない。人材の確保から、将来的な採算化まで見据えた事業計画。
マーランの頭の中で、猛烈な勢いで「計算」が走っているのがわかった。
領の初期投資ゼロ。孤児院建設による雇用創出や資材購入での経済効果。そして、将来的な労働力と税収増加の見込み——。
しばらくの沈黙が下りた後。
マーランはもう一度深くため息をつき、今度は白旗を上げるように両手を挙げた。
「……分かった。そこまで考えているのなら、やってみろ。資金を預かる代わりに、その事業は承認しよう」
「やった! 孤児院の設立手続きと土地の選定、お願いしますね、父上」
俺は満面の笑みでクッキーを齧った。
これで「箱」は手に入った。
あとは、中身を詰めていくだけだ。
兄たちが「アルヴィン、僕にも一枚ちょうだい」「ずるい、僕も」と群がってくるのをかわしながら、俺は確信した。
これで、前に進める。




