3. たどり着いた答え合わせ
長い廊下を、短い足で進む。
頭が重い。重心が高い。
気を抜くとすぐに前のめりになりそうになる。
(……まずは神経系か)
俺は歩きながら分析する。
幼児の体で無理な筋トレをしても体を壊すだけだ。
この時期に鍛えるべきは神経系。脳から筋肉へ、指令を正確に通す回路を作る。
まっすぐ歩く。狙った場所に手を伸ばす。転ばずに走る。
この「当たり前」を、大人の意識レベルまで引き上げなくてはならない。
この体は未熟だ。
だが、意識は違う。
俺は、もう二度と無力なまま終わるつもりはない。
そんなことを考えているうちに、目的の部屋に着いた。
母、ディーファの私室だ。
メイドが恭しく扉をノックする。
「奥様、アルヴィン様をお連れしました」
「ええ、入ってちょうだい」
中から聞こえたのは、おおらかで明るい声だった。
扉が開かれると、窓辺の椅子に座り、珍しく刺繍などしている女性がいた。
赤毛を緩く編み込み、背筋がスッと伸びている。立ち上がれば父よりも背が高いはずだ。
【名前:ディーファ・アケニース】
【年齢:24歳】
【状態:健康】
【能力:豪力】
(……【豪力】?)
俺はその能力名に目を見張った。
『豪』の能力。それは俺の前世の妻、ユーイが持っていたものと同じだ。
そして息子のダイファーにも受け継がれていた血統。
この人が持っているということは、もしかしたら……。
「あら、アルヴィン。おはよう」
母は刺繍の手を止め、パッと花が咲いたような笑顔を向けた。
俺がトコトコと近づくと、彼女は屈み込み、俺の脇に手を入れてひょいと持ち上げた。
「よいしょ、っと」
軽い。俺の体重を、まるで羽毛枕でも扱うかのように涼しい顔で持ち上げ、膝の上に乗せた。
本人は鍛えていないようだが、基礎スペックが違うらしい。
強い。
間違いなく、この人もまた「生き延びた側」の人間だ。
俺はその温かさに少し戸惑いながらも、本来の目的を果たすべく、無邪気な子供を演じて切り出した。
「どうしたの? 今日はお父様のところへ行くんじゃなかったの?」
「うん。でもね、父上はお仕事で忙しそうだったから」
「ああ……あの人は数字を見ると周りが見えなくなるからねえ」
母は豪快に笑い飛ばした。父の神経質なところを全く気にしていない様子だ。
俺は母の顔を見上げ、核心に迫る質問を投げかけた。
「ねえ、母上。……爺様は?」
「お祖父様? 今日は朝から村の畑を見に行ってるわよ」
畑、か。
俺の記憶にある「爺様」は、いつも泥だらけになって帰ってきて、俺を抱き上げて笑っていた。
確認しなければならない。
俺の人生の続きを知るために。
「ねえ、爺様のお名前ってなんて言うの?」
「あら、忘れちゃったの?」
母は少しだけ考え、
「……ダイファーよ。ダイファー・アケニース」
ダイファー。
その名前を聞いた瞬間、
――時が、止まった気がした。
思考が止まる。
心臓だけが、強く脈打つ。
ダイファー。
俺の息子。
生き別れ、死ぬ間際に「頼む」と想いを託した、あの息子か。
(生きて……いたのか)
熱いものが込み上げてくる。
胸の奥に押し込めていた何かが、音を立てて崩れていく。
俺が知っているダイファーは、まだ息子だった。
それが今は、爺様だ。
(……俺が死んでから、20年以上経っている?)
俺の知らない時間が、確かに流れていた。
俺が守れなかった時間を、あいつは生き延びた。
だが、もう一つ重要なことがある。
「ねえ、母上。どうして僕の家は『アケニース』って言うの?」
母は優しく俺の頭を撫でた。
「それはね、お祖父様がとっても大切にしていた家族の名前なの」
「かぞく?」
「ええ。お祖父様のお父さんの『アーノル』、叔母さんの『ケニ』、弟の『ゴメイース』。……昔、戦いで亡くなってしまった大切な人たちの名前を繋いで、この家名にしたのよ」
息が止まりそうになる。
残してくれたのか。
俺たちを。
消えないように。
忘れられないように。
生きていた証を。
涙が出そうになるのを、必死で堪える。
「……そっか。優しい名前なんだね」
「ええ、そうよ。とっても強くて、優しい名前」
母は誇らしげに言った。
俺は鼻をすすり、最後の確認をした。
もしダイファーが生き残り、家を興したのなら、あの「ジャミル」や「ヨンドカ王国」はどうなったのか。
「ねえ、ここはずっと『サマラ王国』なの? 本で『ヨンドカ王国』って見た気がするんだけど」
「まあ、アルヴィンは物知りね」
母は少し驚いた顔をしたが、すぐに分かりやすく教えてくれた。
「昔ね、ヨンドカ王国という悪い国があったの。でも、お祖父様たちが悪い王様をやっつけたのよ」
(……勝ったのか!)
終わったのか。
あの戦いは。
俺の死で止まらなかった。
心の中でガッツポーズをする。
俺の死は無駄じゃなかった。息子たちが、俺の代わりに決着をつけてくれたんだ。
「そのあとね、お祖父様は新しい国を作ったんだけど……みんながもっと平和に暮らせるように、お隣のサマラ王国の仲間になることを選んだの。だから今はサマラ王国のアケニース伯爵家なのよ」
なるほど。
「敗北」ではなく「選択」か。
戦乱で疲弊した民を守るために、プライドよりも実利を取った。
いかにも、あの真面目なダイファーと、その後ろにいそうな策士が考えそうなことだ。
誇らしい。
本当に。
復讐すべき敵はもういない。
守るべきだった家族は、立派に自立し、繁栄している。
(上出来すぎるだろ……)
肩の力が抜けた。
復讐だけを支えに生きていた時間が、静かに終わりを告げる。
そうか、終わったのか。
あの怒りが静まると何も残っていない、そんな気持ちになる。
いや、全てやり遂げたんだ。
あとは――
前に進むだけだ。
(平和にはなった。だが、もっと良くできるはずだ)
今の父、マーランは計算高いが視野が狭い。
母、ディーファは豪快だが大雑把だ。
この領地も、国も、俺の前世の知識と経験を使えば、もっと豊かに、もっと幸せにできる。
守るだけじゃない。
導くことができる。
かつて俺は、身内を守るために知識を隠し、自重して生きた結果、全てを失った。
だが、今は違う。
平和な時代だ。そして俺は伯爵家の息子だ。
(……もう、自重はしない)
俺は母の膝の上で、小さく拳を握った。
この世界を、ダイファーたちが守り抜いたこの世界を、俺の知識でさらに発展させてやる。
それが、生き残った彼らへの、そして二度目の生をくれた何かへの恩返しだ。
今度こそ。
最後まで。
「ありがとう、母上! 僕、強くて賢い子になるね!」
「ふふ、頼もしいわね。期待してるわよ」
俺は母の膝から飛び降りた。
着地で膝がカックンとなったが、今度は転ばなかった。
「行ってきます!」
俺は部屋を出て、廊下を歩き出した。
目指すは中庭だ。
爺様――ダイファーが帰ってくるまでに、少しでもまともに歩けるようになっておきたい。
そして、再会したら言ってやるんだ。
「よく頑張ったな」と。
……まあ、5歳児の口から言ったら不気味だろうから、心の中でだけな。
ペタ、ペタ、ペタ。
俺は未来へ続く廊下を、しっかりとした足取りで歩き始めた。




