2. 五歳児、再起動と情報収集
意識が、深い泥沼の底からゆっくりと浮上してくる。
俺は失敗した。一番大事な場面で、胸を貫かれて終わった。
……終わったはずだった。
……待て。
俺が死んだら、あいつらはどうなった?
ロバーソンは。
メイシーは。
グレンは。
そして――ユーイやダイファーは。
生き延びたのか。
それとも、全て終わったのか。
胸の奥が、嫌な音を立てた。
……落ち着け。
まずは現状を把握する。
俺はガバッと跳ね起きた。
全身に冷や汗をかいている。
周囲を見渡す。
そこは、柔らかな陽光が差し込む、豪奢な天蓋付きのベッドの上だった。
戦場ではない。
血の匂いもしない。
俺は自分の手を見た。
剣を握りしめすぎて固まったタコも、薪割りで培った分厚い皮もない。
そこにあるのは、白くて、ふっくらとして、関節部分がえくぼのように窪んだ――まるでクリームパンのような、幼子の手だった。
「……また、ここからかよ」
力が抜けた。
魂が肉体に定着した感覚。
この不自由なサイズ感。
間違いない。
俺はまた、赤ん坊からのリスタートを強いられたのだ。
「おい、見てるんだろ? 『見る者』!」
俺は天井に向かって、嗄れた声で呼びかけた。
あの白い空間で、俺をここへ送り込んだ管理者。
『力を少し渡した』などと偉そうなことを言っていた、あの目玉野郎。
「あの状況で放り出しやがって! 俺の仲間たちはどうなったんだ! 教えろ!」
…………
部屋の空気はピクリとも動かない。
かつてのように、脳内に直接響いてくる不快な声もない。
「なんだよ、連絡もつかないのか」
俺は吐き捨てるように言った。
アフターサービスが最悪すぎるだろ。
イラつきに任せて枕を殴りつけたが、ポフッという情けない音がしただけだった。
非力だ。
あまりにも非力すぎる。
(……落ち着け。まずは現状把握だ)
俺は深呼吸をし、自分自身に向けて意識を集中した。
能力が生きているなら、これで分かるはずだ。
(……鑑定)
脳裏に、情報が淡く浮かび上がる。
【名前:アルヴィン・アケニース】
【年齢:5歳】
【状態:健康】
【能力:見る力】
……消えていない。
俺は、まだ俺だ。
「……よし、出た」
能力は残っている。
年齢は5歳。
つまり――あの死から、5年は経っている。
いや、下手をすれば、それ以上かもしれない。
その間に、何が起きたのか。
ロバーソンは。
メイシーは。
グレンは。
ユーイは。
……情報が必要だ。
「……情報だ」
感情は後回しだ。
まずは、この世界の現状を把握する。
俺はベッドの上であぐらをかこうとしたが、足が短すぎて組めず、コロンと横に倒れかけた。
屈辱だ。
だが、今は我慢するしかない。
俺はこの肉体――アルヴィンとしての5年間の記憶にアクセスした。
ぼんやりとした幼児の視点だが、映像は残っている。
家族構成。
父、マーラン。
細身で神経質そうな男。口癖は「効率」。
母、ディーファ。
長身で朗らかな笑い声の女性。父とは対照的だ。
兄が二人。ソーバンとナンブル。
二人とも父のミニチュア版だ。眼鏡をかけて、いつも難しい本を読むか計算している。
そして、祖父――俺は「爺様」と呼んでいる人物。
それから、屋敷の使用人たち。
彼らの視線やヒソヒソ話も記憶にある。
『アルヴィン様は……少し不気味ですわ』
『昨日も壁に向かって、ぶつぶつと何かを唱えていました』
『目が、子供のそれじゃありません。何を考えているのか……』
(……なるほどな)
無意識下での思考整理や、復讐心からくる険しい表情が、端から見れば「ホラー映画の子役」に見えていたらしい。
これは良くない。
「不気味な子」として警戒されると、情報を集めにくい。
これからは「愛想の良い、普通の子供」を演じる必要がある。
中身年齢はオッサンだが、演技力には自信がある(と信じたい)。
「さて、誰から情報を引き出すか」
まずは父親、マーラン。
記憶によれば、彼は一年の半分を王都で過ごし、残りの半分をこの屋敷で過ごす生活をしている。
今は屋敷にいる時期のようだ。
だが、あの男は「無駄」を蛇蝎のごとく嫌う。
5歳児の「ねえねえ、ここはどこ?」なんて質問に、まともに答えてくれるとは思えない。
「兄に聞け」か「時間の無駄だ」で一蹴されるのがオチだ。
やめておこう。
兄二人、あいつらも父に似て計算好きのガリ勉だし、俺のことなど「出来の悪い弟」くらいにしか思っていないだろう。
「爺様、か」
祖父の記憶は……断片的だ。
この屋敷にはあまりいない。いつもどこかへ出かけている。
だが、たまに顔を合わせた時は、父とは違って豪快に笑いかけ、高い高いをしてくれた記憶がある。
筋肉質で、大きな手。
あの人なら、話しやすいかもしれない。
それに、「アケニース」という家名。この爺様が何かを知っている鍵のような気がする。
俺はベッドから飛び降りた。
着地で膝がカックンとなる。
足の筋力が足りない。バランス感覚も最悪だ。
「……まずは爺様の部屋だ」
俺は重たいドアを両手で押し開け、廊下に出た。
広い廊下だ。天井も高い。
ペタペタと裸足で歩いていると、向こうからモップを持ったメイドがやってきた。
「あ、アルヴィン様? お目覚めですか?」
メイドは俺を見ると、少しビクッとして身構えた。
やはり怖がられている。
俺は意識して口角を上げ、精一杯の「無垢な笑顔」を作った。
「うん! おはよう!」
「は、はい……おはようございます」
メイドは少し拍子抜けした顔をした。よし、つかみはOKだ。
「ねえ、爺様は部屋にいる?」
「大旦那様ですか? いえ、本日は朝早くから村の方へ行かれていますので、ご不在です」
「……そっか」
タイミングが悪い。
村に行っているのか。
……ん?
村ってどこの村だ?
この領地にある村のことか?
まあいい、いないものは仕方ない。
「あの、アルヴィン様? どうなさいました?」
考え込んで眉間にシワを寄せていた俺を見て、メイドがまた不安そうな顔になる。
いかん、すぐに地が出る。
「ううん、なんでもない! ……母上なら、いる?」
「はい、奥様でしたらご自室にいらっしゃいますよ。ご案内しましょうか?」
母、ディーファ。
記憶の中の母は、太陽のように明るく、俺のことを可愛がってくれていたはずだ。
彼女なら、俺の変な質問にも優しく答えてくれるだろう。
「うん、お願い!」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
メイドが先導して歩き出す。
俺はその後ろを、ペタペタとついて歩く。
案内なんていらないのだが、勝手に歩き回って「徘徊」扱いされると面倒だ。
それにしても……。
俺は自分の足元を見た。
一歩が小さい。
頭が重くて、気を抜くと前のめりに転びそうだ。
(……まずはこの鈍った体を鍛え直さないとな)
復讐するにしても、仲間を探すにしても、今のままでは何もできない。
とりあえず、母上から情報を聞き出したら、中庭でスクワットから始めよう。
そんなことを考えながら、俺はメイドの背中を追って長い廊下を進んでいった。




