22. 頑固親父と紫の秘密
かつて鉄を打つ音が絶えなかった工房。
だが今は、ふいごの音も金槌の響きもなく、静まり返っていた。
俺と爺様が近づくと、勝手口から一人の青年が出てきた。
(お、誰だ?)
俺は反射的に【見る力】を発動させた。
【ランダル(22歳)】
【能力:精巧】
【状態:健康】
精巧。
なかなか良さそうな能力だ。手先が器用で、細かい作業に向いているのだろう。
……待てよ? 名前がランダル?
マンダルの工房から出てきた、マンダルに似た骨格の「ランダル」。
まさか。
(あの偏屈なマンダルが、結婚できたのか!?)
俺が内心で失礼な驚愕をしていると、青年がこちらに気づいた。
「ん? なんだ坊主、うちに何か用か?」
「おう、ランダル。久しぶりだな」
爺様が声をかけると、ランダルの表情がパッと明るくなった。
「おー! ダイファーさんじゃないですか! ご無沙汰してます!」
「元気にやってるか?」
「ええ、まあ。……じいちゃん、ばあちゃんが死んでからめっきり元気なくなっちゃって。俺、心配でたまに見に来てるんですよ」
「そうか、寂しいんだな」
「今日は親父のタンダルも来てたんですよ。さっきまで壊れた荷台を直してくれてたんですが、もう帰りの馬車の支度をして待ってるんで」
タンダルにランダル。
安直なネーミングセンスに、間違いなくマンダルの血筋であることを確信する。
しかし、孫までいるとは。俺が死んでいる間に、あいつはしっかりと人生を謳歌していたらしい。
「俺も親父と一緒に帰ります。また顔出してやってください、ダイファーさん。じいちゃんも喜びますから」
「ああ、気をつけてな」
「坊主もな、バイバイ」
ランダルは俺の頭を適当にワシャワシャと撫でて、去っていった。
くそ、子供扱いは慣れない。
「じいちゃんは裏で日向ぼっこしてますよ!」
ランダルの声を背に、俺たちは裏庭へと回った。
「さて、アルヴィン。俺はどうする?」
「爺様はここで誰か来ないか見張ってて。あいつ、偏屈だから人が多いと話さないかも」
「分かった。ま、ゆっくりやってこい」
爺様はニカッと笑い、建物の角で腕を組んだ。
俺は一人、裏庭へと足を踏み入れた。
そこには、みすぼらしいテーブルと、2脚の木製椅子。
その片方に、一人の老人がぐてんと座っていた。
いや、座っているというより、干からびた洗濯物が椅子に引っかかっているような状態だ。
白髪交じりのボサボサ頭。深すぎる皺。
かつて丸太のような太さを誇った腕も、今は枯れ木のようだ。
だが、その不機嫌そうな口元のへの字曲がりは、まさしくマンダルだった。
(……年取ったな)
俺はこちらに気づきもしないマンダルをよそに、テーブルの対面に回り込んだ。
そして。
ドンッ!
持ってきた酒瓶を、テーブルに叩きつけた。
「……あ?」
マンダルがのろりと瞼を持ち上げた。
焦点の合わない濁った瞳が、俺を捉える。
「……なんだ、どこの坊主だ。用がないならあっちへ行け……」
「マンダル。できたぞ、酒だ」
「……ああん?」
「お前の作った蒸留器でできた酒だ。長く寝かせて良い感じになってる。飲め」
俺は持参したグラスに、トクトクと琥珀色の液体を注いだ。
芳醇な香りが、昼下がりの庭に広がる。
「……何言ってやがる。子供が酒なんて……」
マンダルは顔をしかめたが、鼻孔をくすぐる香りにピクリと反応した。
職人の性か、目の前に「良いもの」を出されると無視できないらしい。
「まあいい、毒でもあるまいし……」
彼は震える手でグラスを取り、少しだけ口をつけた。
「…………」
沈黙。
そして、もう一口。今度は大きく煽った。
「……うまいな」
枯れた喉が鳴った。
瞳に、少しだけ生気が戻る。
「だろ? 良い酒ができただろ」
「……ああ。雑味がねえ。香りが何層にもなってやがる。……こいつは、上等だ」
「よし。じゃあ本題だ」
俺はニヤリと笑い、テーブルに身を乗り出した。
「あと2つくらい、蒸留器を作って欲しいんだよ」
ブーッ!!
マンダルが酒を吹き出した。
「な、な……!?」
「今度はもっとデカいやつだ。銅の純度も上げて、冷却パイプのカーブも改良したい。設計図は俺が書くから、お前が叩け」
「バカかお前は!!!」
マンダルがガバリと立ち上がった。
さっきまでの死にかけが嘘のような大声だ。
「蒸留器がどれだけ難しいと思ってやがる! 銅のつなぎ目を完璧に塞いで、圧力に耐えられる曲線を作るのがどれだけ……! 大体、なんでガキのお前が蒸留器なんて言葉を知ってやがる!」
「だからお前に頼んでるんだろーが! 他の凡人じゃ無理だからな!」
「ああん!? 生意気な口をきくんじゃねえ!」
マンダルはわなわなと震え、俺を指差した。
「……なんなんだお前は。……まるで、アーノルみたいな無茶苦茶を言いやがって」
「アーノルだよ」
俺は即答した。
「……は?」
「俺がアーノルだ。生まれ変わって戻ってきた」
「…………」
マンダルは口をポカンと開け、数秒固まった。
そして、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「ふ、ふざけるな! 死人をダシにするなんて一番タチが悪いぞ! どこで蒸留器の話を聞きかじったか知らんが、悪ふざけにも程がある! 出ていけ!」
まあ、そうなるよな。
普通の反応だ。
俺はため息をつき、椅子に座り直した。
「わかったよ、マンダル。……じゃあ、一つ聞くぞ」
俺は声を潜めた。
「『あの紫の丸い石』は、まだあそこの床下に隠したままか?」
ピタリ。
マンダルの動きが止まった。
「……な、なんだと……?」
「ほら、俺たちが昔、ゴミ捨て場で拾ったあの『クズ鉱石』だよ。俺が液体に浸けて回転させて、ピカピカの真ん丸に磨き上げたやつ」
マンダルの顔から血の気が引いていく。
「当時のヨンドカ王国じゃ、あんなもん外に出すわけにはいかなかった。命にかかわる」
俺はマンダルの目を真っ直ぐに見つめた。
「見た目ただのクズ石でも、あの利用方法はアウトだ。だから俺は『これヤバそうだから絶対誰にも言うな』って言って、お前の工房の床下に封印した。」
「あ、あれは……」
あの日、俺たちは震えながらその石を埋めた。
理不尽に殺される時代だった。
それは酒造りなんかよりも遥かに根源的な、俺たちの「生存」に関わる秘密だった。
「その秘密を知っているのは、世界で二人だけだ。俺と、お前」
マンダルの目が、極限まで見開かれた。
脂汗がたらりと流れる。
「な、なら……まさか、本当に……?」
目の前にいるのは、5歳の生意気な子供。
だが、その口調、間、そして共有している命がけの秘密。
すべてが、かつての親友を指し示していた。
「……アー、ノル……?」
「おう。待たせたな、マンダル。……25年も遅刻して悪かった」
マンダルはその場に崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
そして、震える手で顔を覆った。
「ば、化けて出やがった……! しかもこんな、クソ生意気なガキに……!」
「化けて出たわけじゃない、転生だ。……で、どうする? やるのかやらないのか? 世界一の酒造りだぞ」
俺がニヤリと笑うと、マンダルは指の隙間から俺を睨み、そして――
シワだらけの顔をくしゃくしゃにして、泣き笑いのような表情を見せた。
「……ちくしょう。幽霊だろうがガキだろうが……お前の頼みじゃ、断れねえじゃねえか」
職人の目に、かつての炎が灯った瞬間だった。




