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キングスレイヤー真  作者: 黙


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200/209

200. 灰の上の軍議と、離れる影

 空になったグラスを卓に置く音が、天幕の空気を一変させた。


 先程までの、琥珀色に染まった粗野で人間臭い熱気は霧散し、血と鉄の匂いが漂う冷徹な軍議の場へと空気が張り詰める。


 シュテゲン公爵は顎をしゃくり、背後に立つ二人の男を示した。


「わしの両腕だ」


 まず前に出たのは、背は高くないが、横幅が異常に分厚い男だった。


 岩を削り出したかのような骨格。その大きな双眸が、俺を値踏みするようにジロリと睨みつける。


「……ズンバルクだ」


 低く唸るような、最低限の自己紹介。それ以上は一言も発する気がないらしい。武力で語るタイプの典型だ。


 続いて、もう一人の男が一歩進み出た。


 こちらはズンバルクとは対照的に、長身で痩躯。軍服を隙なく着こなし、その目は凍りついた湖面のように冷徹だった。


「参謀を務めております、キミッチと申します。若きアケニースの将に拝謁でき、光栄に存じます」


 声のトーンはどこまでも丁寧だが、そこに温度は一切ない。


 横に立つチェルピンと、どこか似た気配を感じる男だった。


 俺とチェルピンも短く名乗りを返し、互いの認識を済ませる。


「さて、本題だ」


 公爵が太い指で地図の王都周辺を叩いた。


 俺は姿勢を正し、先陣を切って問いを投げた。


「敵の本隊は北へ退きました。アインクラ要塞へ向けての追撃、あるいは要塞の奪還はどう動かしますか。我々も――」


「今は動けん」


 俺の言葉を遮り、公爵は重く首を振った。


「なぜですか。敵が要塞に入り切る前であれば、背後を叩けるはずです」


「理由は三つある」


 公爵の代わりに、冷徹な参謀キミッチが淡々と口を開いた。


「一つ。残された民です。あの重傷者や孤児たちを放置して軍を北へ進めれば、二日と持たずに彼らは飢えと寒さで全滅します。我々は王国の正規軍。護るべき民を背に捨てて進む大義はありません」


 反論の余地のない正論だ。


「二つ。西のトリエンテ、東のゴロチャーテ両伯爵の動向が完全に不明であること。我々が一万八千の全軍を北へ向けた隙に、彼らが王都に入り、我々を『賊』として背後から討つ可能性すら否定できません」


「まさか。国難の時に……」


 俺が眉をひそめると、公爵が鼻を鳴らした。


「あいつらは商人であり、外交の狐だ。勝つ方に乗る。今、ナバラと我々がぶつかれば、無傷の奴らがこの国の覇権を握ることになる。背中を見せるわけにはいかんのだ」


「……そして三つ目」


 ズンバルクが、低い声でポツリとこぼした。


「アインクラの壁だ」


 公爵が重々しく頷く。


「あの要塞の防御機能が生きている限り、この一万八千の兵では絶対に落とせん。奴らが王都をあっさり捨てたのは、あの絶対防衛線に籠もりさえすれば、いつでもこの国を蹂躙できるという確信があるからだ」


 動けない。


 敵の尻尾が見えているのに、足に重い鎖を巻かれている状態だ。


「兵站はどうなっていますか」


 チェルピンが、眼鏡を押し上げながら静かに問うた。


「我が公爵領からは、すでに食料と物資の輸送隊を出立させている。だが、着くのは早くて三日後だ」


 公爵の答えに、チェルピンはわずかに頷き、俺を見た。


「アケニースからも物資を出しましょう。幸い、対モグロン王国用に構築していた補給拠点が機能しています。家畜や乾燥食料の備蓄は十分にありますが……」


 チェルピンは地図の東側に視線を落とした。


「あちらの戦線のため、半分は残す必要があります。それでも、当座を凌ぐには十分な量が確保できます」


「助かる。辺境の小僧にしては、随分と周到な準備をしているものだ」


 公爵が感心したように唸るが、問題はそれだけではなかった。


「王都に残された民ですが……このままここに置いておくのは危険すぎます」


 俺が切り出すと、キミッチも同意するように頷いた。


「左様ですな。ここはすでに都ではなく、ただの前線基地。非戦闘員は足手まといにしかなりません。公爵領で一時保護が妥当でしょう」


「アケニースでも受け入れますよ」


 王都の復興はしないと決まったのだ。彼らを安全な場所へ逃がし、完全にここを戦場として作り変えなければならない。


「問題は、誰がその引率と、物資輸送の指揮を執るかだが……」


 公爵の視線が、卓を囲む面々を巡る。


 数千の避難民の移動。厳冬の行軍。並の部隊長では、途中で凍死者や暴動が続出するだろう。それに加え、補給拠点の差配も同時に行える人間。


「……私が行きましょう」


 静寂の中、チェルピンが一歩前に出た。


 俺は弾かれたように彼を振り返った。


「チェルピン、お前が?」


「はい。アケニースの補給拠点を動かすには、私が直接指揮を執るのが最も確実で早いです。避難民の移送と並行して手配を済ませ、必ず戻ります」


 彼の目は、全く揺らいでいなかった。


 俺にとって、チェルピンはただの副官ではない。この狂った盤面を読み解き、俺の背骨を支えてくれる最大の右腕だ。彼がここを離れることの不安は、想像以上に大きかった。


 だが。


 ここで彼を引き留めるのは、ただの子供の我儘だ。


 俺は、卓の下で一度だけ拳を強く握り、すぐに緩めた。


「……分かった。任せる」


「はっ」


 チェルピンは深く一礼した。


 公爵が、ニヤリと笑って俺を見た。


「右腕をもがれて不安か、小僧」


「まさか。戻るまでに、この灰の街をまともな『要塞』に作り変えておかなければと、計算しているところですよ」


 強がりに聞こえただろうか。


 だが、公爵は嬉しそうに喉を鳴らした。


「結構。では、瓦礫の掃除から始めるとしよう」


 軍議が終わり、天幕を出るチェルピンの後ろ姿を見送る。


 焦げた風が、彼のマントを静かに揺らしていた。


 俺は一人、開け放たれたままの北の門を睨み据えた。


 今はまだ、耐える時だ。




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