19. 磨かれる原石と、過去からの旅人
ロリーナを屋敷に連れ帰ってから、俺の時間はすべて彼女に使われることになった。
だが、いきなり槍は持たせない。
「いい? まずは渡るだけだ」
中庭に置いた細い板の上を、ロリーナがふらつきながら進む。
「おっとっと……!」
「足じゃない。腹だ。体の真ん中に力を入れろ」
もう一度。
今度は、落ちない。
槍はその後でいい。
まずは体の“回路”を作る。
食事も変えた。
「うわあ! お肉だあ!」
「好きなだけ食べろ。……野菜もだ」
肉と卵と、骨の出汁。
伸びる体に、材料を詰め込む。
礼儀も教える。
「背筋を伸ばせ。フォークはそう持つ」
「むずかしいよぉ……」
「こういうことも、大切なんだ」
数日もすれば、板の上を走れるようになった。
目が変わった。
二日屋敷で鍛える。
夕方には送り届ける。
一泊して、また戻る。
まだ親といる時間は大切だ。
才能はある。
伸ばせば、とんでもない場所まで届く。
だが、ロリーナは才能だけじゃない。
子供だ。
嫌なら、無理強いはしない。
……良く生きよ。
俺は、あの言葉を忘れていない。
◇
そして数週間後。
ついに爺様がクルム村へ戻る日がやってきた。
俺はこのタイミングを待っていた。
「爺様! 僕も連れてって!」
「おお、アルヴィンか。……またか? まあ、マーランの許可があるなら構わんが」
「うん、あるよ!」
父マーランには「アルヴィン商会の新商品の仕入れ視察」という名目で許可を取ってある。
白金貨の件以来、彼は俺の行動に対して妙に寛容になっていた。もちろん、爺様の私兵が護衛についているから安心というのもあるだろう。
揺れる馬車の荷台で、俺はダイファーに尋ねた。
「ねえ爺様。今回は何をしに行くの?」
「ん? 麦だよ。麦の様子を見にな」
「麦? ……じゃあ、バテンさんの畑の麦?」
ダイファーが首を傾げた。
「バテン? ……すまん、聞いたことがない名だな」
ああ、そうか。
バテンさんが亡くなったのは、俺たちが旅立つ前だ。ダイファーが生まれるずっと前の話だ。
名前は聞いたことがあるかもしれないが、思い出せなくても仕方ない。
俺は言い直した。
「えっと……今は、ルンナが管理してる畑だよ」
「ああ! ルンナさんのところか!」
ダイファーがポンと膝を打った。だが、すぐに渋い顔になった。
「……もしかして、あの麦か? あれは無理だぞ、アルヴィン」
「無理?」
「ああ。あの麦は特別製らしくてな。パンにすると驚くほど美味いんだが……育て方が特殊らしいんだ。村の連中もみんな育てたくて種を分けてくれと頼んだが、ルンナさんは『契約だからダメだ』の一点張りで、絶対に教えないんだ」
契約。
その言葉に、俺の胸がズキリと痛んだ。
確かにあの時は、目立つことは命取りだった。だから俺は厳重に口止めをした。
だが、今は違う。
それにあの麦は、元々俺がアサータクさんと一緒に買ったものだ。育て方も知っている。
しかし、ルンナは話さないだろうな。
俺が「生まれ変わりのアーノルだ」と言っても信じるかは五分五分だ。信じたとしても、長年守ってきた誓いをすぐに解くとは限らない。
うーん、ちょっと良くないことだが手紙にしよう
俺は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
昨夜、暖炉の灰で少し汚し、わざとシワをつけ、インクを滲ませて古さを演出した「偽造品」だ。
だが、筆跡は完璧に「アーノル」のものだ。
「爺様。……実はね、屋敷の古い本に、こんな手紙が挟まってたんだ」
「手紙?」
「うん。『アーノル』って人が書いた手紙みたい」
俺はその手紙をダイファーに渡した。
宛名は「ドンナ」――ルンナの亡き姉だ。




