17. 琥珀色の手土産と、父の侮り
地下室での興奮が冷めやらぬまま、俺たちは撤収作業に入った。
「よし、とりあえずこの樽を運ぼう。……全部は無理だな」
馬車の積載量を考えると、一度に運べるのは数樽が限界だ。
欲張って荷台を壊しては元も子もない。
「爺様、とりあえず見本として3樽だけ積んでくれ。残りは……そうだな」
俺は並んだ樽を見渡し、ニヤリと笑った。
「奥の2樽は、ここに置いておくよ。爺様が一人で晩酌する時に飲みな」
「! ほんとか!?」
ダイファーの目が輝いた。
「ああ。40年物のヴィンテージだ。爺様の労働への報酬さ」
「へへっ、気が利くじゃねえか親……いや、アルヴィン!」
ダイファーは嬉々として樽を抱え上げると、大事そうに奥へ配置し直した。
残りの樽と、そして何より重要な「白金貨100枚」が入った革袋。これについては慎重に扱う必要がある。
「金の方は俺が持って帰る。残りの酒は、また爺様がこっちに来るついでに、少しずつ屋敷の俺の部屋の地下に運んでくれ。誰にも見つからないようにな」
「任せとけ。俺の筋肉を使えば、夜中にこっそり運ぶなんざ朝飯前だ」
最強の運び屋を確保した俺は、白金貨の入った重い袋を自分の鞄の底に隠し、さらにその上から着替えやガラクタを詰め込んでカモフラージュした。
準備は整った。
俺たちはクルム村を後にし、領都への帰路についた。
◇
帰り道は、行きよりも慎重な旅となった。
何しろ荷台には、衝撃を与えると価値が損なわれる(かもしれない)極上の古酒と、多額の金貨が積まれているのだ。
行きに二日、向こうで一泊、そして帰りも二日。
計五日間の長旅を終え、アケニース伯爵邸の尖塔が見えた頃には、夕闇が迫っていた。
屋敷に到着した俺たちは、旅の汚れを落とすのもそこそこに、父マーランの執務室へと向かった。
ダイファーが抱えているのは、試供品となる小さな小樽に入れた琥珀酒だ。
「……義父上。それにアルヴィンか。五日も家を空けて、どこまで行っていた」
執務机で書類と格闘していたマーランが、顔も上げずに不機嫌そうに言った。
神経質そうな細面のインテリ。それが今の俺の父であり、アケニース家の現当主だ。
入り婿である彼は、前当主である義父ダイファーには頭が上がらないが、俺に対しては全く期待していない冷ややかな目を向ける。
「ガハハ! すまんすまんマーラン。アルヴィンに俺の故郷を見せてやりたくてな。ちと足を伸ばしすぎた」
ダイファーが豪快に笑い、小樽をドンと机に置く。
「……それで、その樽は?」
「クルム村の旧家の床下から見つけた酒だ。アルヴィンが見つけてな」
「酒だと? ……やれやれ、子供を連れ回して泥遊びとは」
マーランは呆れたように鼻を鳴らしたが、漂ってくる芳醇な香りにピクリと眉を動かした。
「……だが、妙に良い香りだな」
「うん。……ねえ父上、ちょっとお話があるの」
俺はダイファーに目配せをして、椅子に座り直した。
ここからが本番だ。
懐には、白金貨100枚がある。これを出せば、マーランは腰を抜かし、すべての問題は解決するだろう。
だが、俺はまだそれを出すつもりはない。
俺が欲しいのは、好きな時に研究し、好きな物を発明し、時々商売をして楽しむ「自由」だ。
いきなり大金を渡してしまえば、「アケニース家の復興資金」として没収・管理され、俺の発言権は消える。それじゃ面白くない。
だから、まずは「権利」を確定させる。
「父上。僕は将来、この領地を継ぐことになるの?」
唐突な質問に、マーランが手を止め、冷ややかな視線を俺に向けた。
「……何を言い出すかと思えば。お前は三男だ。長男のソーバンがいる以上、家を継ぐのは彼だ」
マーランは吐き捨てるように言った。
「ソーバンは優秀だ。次男のナンブルも計算に正確さが出てきた。それに比べてお前はどうだ? いつもぼんやりとして、最近ようやくガイズ先生の授業を真面目に受け始めたと聞いたが……まだ文字を覚えた程度だろう」
彼の評価は低い。
俺がガイズの弱みを握って「自習(という名のサボり)」を勝ち取っていることも知らず、単に「ようやく勉強し始めた出来の悪い子」としか思っていないのだ。好都合だ。
「僕、領主様にはなりたくないな」
俺はきっぱりと言った。
「僕は、研究者か、商売人になりたい。自分のアイデアで新しい物を作って、それを売りたいんだ」
「……商売人だと? アケニースの血を引く者が、金儲けに現を抜かすと言うのか」
マーランが不快そうに顔をしかめる。
「前にも言ったはずだ。お前がアーモン商会と取引をしたいなどと泣きついた時も、私は反対したな? 『アケニースの名は、お前のオモチャではない』と」
そうだ。以前、俺がアーモン商会とのパイプを作ろうとした時、彼は明確に却下した。
『領主の息子が、街の商人と金銭トラブルを起こすリスクを考えろ』
『トラブルなんて起こさない! 正当な取引だ!』
『相手がどう思うかは別だ。「領主の息子に強要された」と噂が立てば、家の信用に関わる。……却下だ』
あの時は、俺がアケニース家の看板を背負って交渉しようとしたから、彼はリスクを恐れて止めたのだ。
「うん、父上は反対した。……でも、それは僕が『アケニース家の名前』を使って取引しようとしたからでしょ?」
「……何が言いたい」
「だから、約束してほしいの。……もし僕が、僕自身の力で『お金』を稼いだら、それは僕のものにしていい?」
「……自分の力で、だと?」
「うん。家の税金とか、領地の予算とかじゃなくて。僕が見つけたものや、僕が作ったもので稼いだお金。それは、家に入れないで、僕が自由に使っていい?」
マーランは鼻で笑った。
「はん。何を言うかと思えば。お前のような子供が、一体何を稼ぐというのだ? 珍しい虫でも捕まえて売るつもりか?」
「それでもいいよ。とにかく、僕が稼いだ分は、僕の好きにさせて」
マーランは面倒くさそうに手を振った。
「……勝手にしろ。子供の小遣い稼ぎ程度、いちいち管理するのも面倒だ。好きにするがいい」
自由は、目の前だ。
彼は完全に俺を舐めている。俺が稼ぐ額など、銅貨数枚レベルだと思っているのだ。
まさか「白金貨」単位の話だとは夢にも思うまい。
「それと、もう一つ。……僕はアーモン商会にアイデアを売るんじゃなくて、僕自身が『商会』を作って、対等に取引したい」
「商会を作る? お前が?」
マーランは呆れを通り越して、失笑した。
「5歳児が商会ごっこか。……やれやれ、少し勉強ができるようになったと思えば、これだ。やはりお前は変わり者だな」
「名前だけの商会でもいいの! ……とにかく、僕は『アケニース家の息子』としてじゃなくて、『アルヴィン』個人として商売がしたいんだ。父上に迷惑はかけないから」
俺は食い下がった。
マーランは溜め息をつき、助けを求めるようにダイファーを見た。
「……義父上、何か変な知恵でも吹き込みましたか?」
「いやいや、俺は何も。だがマーラン殿、子供の自主性を伸ばすのも悪くはないだろう? 害はない」
ダイファーの言葉に、マーランは渋々頷いた。
どうせすぐに飽きるだろう、と思っている顔だ。
「……よかろう。どうせ遊びだ。好きにするがいい。ただし、学業と剣術の稽古は疎かにするなよ。それと、家の名を騙って借金など作るな。それだけは許さん」
「ありがとう、父上!」
俺は満面の笑みを見せた。
これで、俺は「経済的な自由」と「独立した商売権」を手に入れた。父上の「侮り」を利用して、まんまと権利を勝ち取ったのだ。
鞄の底にある白金貨100枚のことは、絶対に言わない。
これは俺の「隠し財産」だ。
父上が本当に困った時か、あるいは俺がとんでもない研究を始める時の軍資金として、取っておくことにしよう。
「じゃあ、このお酒はその『アルヴィン商会』の最初の商品にするね。……爺様、サンプルの味見をさせてあげて」
「おうよ! ほらマーラン殿、たまには良い酒でも飲んでリラックスしなされ」
ダイファーが琥珀色の液体をグラスに注ぐ。
立ち上る芳醇な香りに、マーランが再び眉を動かした。
俺の「懐」には手つかずの莫大な財産。
表向きには、この極上の酒という武器。
さあ、始まるぞ。




