14. 焚き火と告白、そして天才小僧
夜。
家の前の庭で、パチパチと焚き火が燃えていた。
ダイファーが仕留めた兎肉が、串に刺さって脂を垂らしている。
「ほら食えアルヴィン。屋敷の料理より美味いぞ」
ダイファーが焼けた肉を差し出してきた。
俺はそれを受け取り、ガブリと噛み付いた。
野性味あふれる味だ。前世で何度も食べた、懐かしい味。
「……美味い」
「だろ? やはり男は肉だ。マーランのやつは野菜ばかり食うから、あんなに細っこいんだ」
ダイファーはガハハと笑い、自らも肉を食らった。
炎に照らされたその横顔は、44歳という年齢相応の皺が刻まれているが、そのまなざしには面影も残っている。
俺は肉を飲み込み、口元の脂を拭った。
さて、そろそろ切り出すか。
「ねえ、爺様」
「ん? なんだ、まだ食いたいか?」
「違うよ。……真面目な話」
俺は焚き火を見つめたまま、静かに言った。
「さっきの小屋のことなんだけど……なんで僕が知ってたか、不思議に思わない?」
ダイファーの手が止まった。
彼は串を置き、少し怪訝そうな顔で俺を見た。
「ああ。正直、気味が悪いほどだ。あそこは俺ですら気づかなかった場所だ。……誰かに聞いたのか? いや、親父以外に知っている奴なんて……」
「誰でもない、俺が作ったからな」
「……あ?」
ダイファーが眉をひそめた。5歳児らしからぬ口調に違和感を覚えたようだ。
俺は彼に向き直り、意を決して言った。
「俺だ、ダイファー。……アーノルだ」
一瞬の沈黙。
パチッ、と薪が爆ぜる音が響いた。
そして。
「ブハッ! ガハハハハ!」
ダイファーが腹を抱えて爆笑した。
「おいおいアルヴィン! お前、面白い冗談を言うようになったな! 俺が親父の話ばかりするから、なりきってみせたのか? 可愛いとこあるじゃねえか!」
……まあ、そうなるよな。
44歳の分別ある大人が、「5歳の孫が生まれ変わりです」と言ってすぐに信じるわけがない。
「信じないか」
「当たり前だろ。親父は25年前に死んだんだ。英雄としてな。お前は俺の可愛い孫だ」
ダイファーは涙を拭いながら笑っている。
俺はため息をつき、串を地面に刺した。
ここからが本番だ。
彼しか知らない、あるいは家族しか知らない「黒歴史」を突きつける。
「……お前、ガリオン爺ちゃんに憧れて、最初は『木こり』になりたかったんだよな」
ピタリ、とダイファーの笑い声が止まった。
「斧を振り回してたけど、ある日、ロバーソンの槍術を知って感動して、槍に転向した。……そうだろ?」
「な……お前、なんでそれを……」
ダイファーの顔から血の気が引いていく。それは彼が子供の頃の、かなり個人的な記憶だ。
「お前が今も大事に使ってるその槍。『サンデルの槍』って名前をつけて、毎晩磨いてたよな」
「っ!?」
ダイファーが腰を浮かせた。図星だ。
俺は畳み掛ける。
「あと、ケニだ。妹のケニが、ゴメイースのことを『ゴメちゃん』って呼んで可愛がってた時……お前のことも『ダイちゃん』って呼ぼうとした」
「や、やめろ……!」
「お前、顔を真っ赤にして嫌がったよな。『俺は男だ! ちゃん付けすんな!』って暴れて。……懐かしいな」
「だ、誰に聞いた! 母さんか!? ティプ婆さんか!?」
ダイファーが狼狽している。
だが、まだ「誰かに聞いた話」だと思っている。
なら、これならどうだ。墓場まで持っていこうとしていた秘密。
「ドンナさんのとこの娘……ナンナ。年上の彼女が、お前の初恋だったな」
ドサッ。
ダイファーが尻餅をついた。
口をパクパクさせ、金魚のように空気を求めている。
「な、な、な、なんで……それは、誰にも……俺の、心の内の……」
「俺にはバレバレだったよ。お前、分かりやすいからな」
俺はニヤリと笑った。
ダイファーは混乱の極みにあった。
目の前の5歳児が、自分の人生の恥ずかしい断片を正確に言い当ててくる。
だが、それでも「父の生まれ変わり」という事実は、あまりに突拍子がない。
「ま、まさか……本当に……? いや、だが……こんなこと、ありえるのか……?」
ダイファーは地面にへたり込んだまま、呆然と俺を見上げていた。
彼の脳内で、常識と現実が激しく殴り合っているのが分かる。
目の前にいるのは、どう見ても5歳の孫だ。
だが、その口から紡がれる言葉は、本人しか知り得ない過去の記憶と、父親だけが持っていた空気感を纏っている。
彼は混乱し、何か確かなものを求めるように、視線を宙に彷徨わせた。
「……あいつがいれば。ゼダンのやつがいれば、分かるのかもしれんが……」
ゼダン。
俺の養子にして、神算鬼謀の軍師。【賢神】の能力を持つ天才。
確かにあいつなら、俺の正体を見抜くかもしれない。
俺は、かつてあいつに論破され、ぐうの音も出なかった時のことを思い出し、苦笑いを浮かべた。
「ああ、そうだな。あいつなら『魂の波長が同じです』とか言い出して、理屈をつけるだろうよ」
俺は焚き火の煙を見上げ、わざとらしく肩をすくめた。
その角度。首の傾げ方。
そして、吐き捨てるような、けれど愛着のこもった声色。
「……まったく。たまにいるんだよな、ああいう可愛げのない『天才小僧』ってやつは」
その一言が、夜の静寂に落ちた。
パチッ。
薪が爆ぜて、火の粉が舞い上がる。
ダイファーの動きが、完全に止まった。
呼吸すら忘れたかのように、瞬き一つせず、俺を凝視している。
――天才小僧。
それは、父アーノルが、義弟であるゼダンにやり込められた時だけに使っていた、独特の悪態だった。
他の誰かが言ったのではない。
書物に書き残された言葉でもない。
日常の些細な会話の中で、父だけが口にしていた、あのリズム。あの響き。
ダイファーの瞳の中で、焚き火の向こうに立つ少年の姿が、揺らいで見えた。
小さな影が、記憶の中にある巨大な背中と、ゆっくりと重なっていく。
『まったく、勝てねえな、あの天才小僧には』
そう言って笑いながら、頭を掻いていた親父の姿。
25年前のあの光景が、鮮烈な色彩を持って蘇る。
「…………ぁ」
ダイファーの喉から、掠れた音が漏れた。
信じられない。信じたくない。
だが、魂が理解してしまった。
目の前にいるのは、アルヴィンであって、アルヴィンではない。
ダイファーの唇がわなないた。
強面の大男の顔が、くしゃりと歪んでいく。
ずっと張り詰めていた糸が。
父が死んでから25年間、長兄として、大黒柱として、必死に家を守り続けてきた緊張の糸が、音を立てて切れていく。
「……親父、なのか?」
それは、44歳の男の声ではなかった。
迷子になった子供のような、心細く、震える声だった。
「……ああ」
俺は短く答え、彼に歩み寄った。
「立派になったな、ダイファー」
その言葉が、引き金だった。
「…………ッ!!」
ダイファーが顔を覆った。
大きな肩が、激しく跳ねる。
嗚咽を噛み殺そうとして、できず、堰を切ったように感情が溢れ出した。
「お……親父ぃ……ッ!!」
彼は地面を蹴り、火を飛び越える勢いで俺に突進してきた。
「親父ぃぃぃぃぃぃぃッ!!!」
「うおっ!? 待て、熱苦し……ぐえぇぇぇっ!!」
ドスン!!
俺は丸太のような腕に抱きすくめられ、地面に倒れ込んだ。
肋骨がきしむ。窒息しそうだ。
だが、突き飛ばすことはしなかった。
「生きてた……! いや死んでるけど生きてた……! 会いたかった……ずっと会いたかったよぉぉぉ!!」
「……あいたたた。分かった、分かったから。……泣くな、いい年をして」
44歳の大男が、子供のように顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっている。
その涙と鼻水が俺の服を濡らしていく。
俺は溜め息をつき、けれど優しく、その震える広い背中をポンポンと叩いた。
「……一人で、よく頑張ったな」
「うぐっ、うううぅぅぅ……ッ!!」
俺の言葉に、ダイファーはさらに泣いた。
25年分の重圧と、寂しさと、喜びが入り混じった男泣き。
夜空には満天の星。
かつて俺たちが一緒に見上げたのと変わらない星空の下で、俺たちは数十分間、そうして抱き合っていた。




