138. 路傍の感染症、喧騒の中の盤上遊戯
ポルム教国との国境を越えて、乾いた街道を馬車に揺られて進んでいるときだった。
窓の外を、二人の旅人が歩いているのが見えた。
二人ともフードを目深にかぶり、厚手の外套で全身を覆っている。背格好からして、まだ若い。巡礼者か、あるいは訳ありの旅人か。
俺はなんともなしに、彼らの背中に【見る力】を使った。
【名前】ノンナ(15歳・女)
【能力】機転
【魔力】B
【名前】ナイハン(13歳・男)
【能力】工学
【魔力】B
(……は?)
俺は我が目を疑った。なんだコイツらは。
魔力が『B』だと?
俺の知る限り、この大陸に住む人間の魔力は総じて低い。
『B』なんて数値は、一度もお目にかかったことがない。
いや、確かシステムに聞いた気がする。
「先祖返り」があると。
だとしても、二人揃ってというのは異常だ。
彼らが向かう先、ポルム教国の人間か、あるいは何かの秘密を抱えているのか?
そんな思考の海に沈みかけていた時だった。
ガシッ、と肩を強く揺すられる感触があった。
振り向くと、そこにはポムキンの岩のような巨顔がすぐ目の前にあった。
彼は無言のまま、深刻な顔つきで荷台の奥を指差した。
「……どうした」
俺は混乱を振り払い、彼が指差す方へと這い寄った。
そこには、保護したばかりの三人の子供たちが、毛布にくるまって身を寄せ合い、眠っているはずだった。
だが、様子がおかしい。
そのうちの一人、栗色の髪をした少年が、苦しげに荒い呼吸を繰り返していた。
「……熱い」
額に触れると、焼けるような熱さだった。
俺は即座に【見る力】を発動した。
【名前:ヘモン】
【年齢:8歳】
【状態:感染症(急性・高熱)】
【能力:商才】
商才の能力についてはすでに確認していたのだが、今の【状態】は最悪だ。
クサレッタの元での劣悪な環境とストレス、そして長旅の疲労が一気に噴き出したのだろう。解呪で体力を消耗したのかもしれない。
「まずいな。このまま揺られ続ければどうなるか分からん」
俺は幌を開け、御者台の背中に声を張り上げた。
「スピディ! 止まれ! いや、一番近くの街へ急げ!」
「へ? なんです急に!」
「ヘモンが熱を出した! 薬とベッドがいる!」
スピディが手綱を操りながら、懐から地図を引っ張り出すのが見えた。
「ちょっと待ってくださいね……えーと、街道を少し外れますが、『チェレステ』って街がすぐ近くにあります! 小さいですが宿場町です!」
「そこだ! 向かえ!」
馬車は軋みをあげて進路を変えた。
俺はヘモンの手を握り、少しでも熱を逃がそうと服を緩めた。
死なせるものか。
地獄から救い出した直後に死なせるなど、絶対にあってはならない。
チェレステの街に滑り込んだ時には、日は傾きかけていた。
街道沿いとは違う、少し寂れた田舎町だ。
俺たちは目についた一軒の宿場兼酒場に馬車を止めた。
「部屋を取って来ますぜ!」
スピディが身軽に飛び降り、手早く交渉を済ませる。
一階は酒場になっており、荒くれ者や商人たちでごった返していた。
紫煙と酒の匂い、そして怒号のような笑い声。
奥の方がやけに盛り上がっているようだが、今はそんな喧騒にかまっている暇はない。
俺はポムキンにヘモンを抱えさせ、裏口から二階の客室へと駆け上がった。
ベッドに寝かせると、少年の顔はさらに赤く、呼吸は浅くなっていた。
(……落ち着け。症状は分かる)
俺は記憶の引き出しを開けた。
前世、母を死の淵から救ったあの薬。
システムからレシピをもらい、必死に調合したあの薬なら、この症状にも効くはずだ。
「スピディ! 買い出しだ!」
俺は羊皮紙に、必要な薬草や道具、代用できそうな酒の種類を走り書きし、スピディに押し付けた。
「この街で手に入るものすべてだ! 金に糸目はつけるな、走れ!」
「了解!」
スピディが風のように部屋を飛び出していく。
俺は残ったポムキンと共に、濡れタオルで体を冷やし、水分を取らせ続けた。
時間は永遠のように長く感じられた。
数十分後、スピディが肩で息をしながら戻ってきた。両手には袋を抱えている。
「ボス……! 色々足りなかったですが、代用できそうなものでなんとか揃いました!」
「よし、見せろ」
袋の中身をテーブルにぶちまける。
アルコール、すり鉢、数種類の乾燥ハーブや薬草。
だが、決定的なものがなかった。
「……『青の月草』がない」
「それが……どの店にも置いてなかったんです」
スピディが悔しそうに顔を歪めた。
「まずいな……」
俺は唇を噛んだ。
この薬のレシピは、かつてシステムが「回答」として提示したものだ。
何がどう作用して効くのか、化学的な機序までは把握していない。
つまり、代用品が分からないのだ。
「青の月草」がなければ、薬は完成しない。
「店主が言うには、『そんな雑草、わざわざ店で売らねえよ。欲しけりゃ裏の林に行けばいくらでも生えてる』だそうで……」
「……なんだと?」
「林に行けば見つかるって言われましても、俺にゃどれがその草だか……」
俺は即座に立ち上がった。
スピディの襟首を掴み、引きずるようにして部屋を出る。
「行くぞスピディ! 現物を見れば俺には分かる!」
「えっ、ちょ、ボス!?」
「ポムキン、ヘモンから目を離すな!」
俺たちは階段を駆け下りた。
階下の酒場は、先ほどよりもさらに賑わいを増していた。
酔客たちの笑い声が壁を震わせている。
俺にとってはどうでもいい雑音だ。人混みを掻き分け、出口へ向かおうとした、その時だった。
「――ゼーノル、お前強すぎるぞ!」
その声が、雑音を切り裂いて耳に飛び込んできた。
俺の足が、無意識に止まった。
(……ゼーノル?)
妙に引っかかる響きだ。
いや、ただの空耳か。よくある名前かもしれない。
俺は振り向いた。
声の主は分からない。大勢の男たちが酒を酌み交わしているだけだ。
「……ボス? いきますよっ」
スピディに背中を押され、我に返る。
そうだ、今はヘモンだ。
俺は再び足を動かした。
だが、視界の隅。
さっきの集団が囲むテーブルの一つに、見覚えのある「盤」が置かれているのが見えた。
マス目が引かれた木の板。
その上に置かれた、不揃いな五角形の木片。
(……あれは、将棋盤?)
心臓が早鐘を打つ。
なぜ、こんな田舎町の酒場に、俺が前世で遊んだ記憶の中の遊戯がある?
確かめたい。
駆け寄って、盤面を見たい。誰が指しているのかを知りたい。
だが――。
「ボス!」
「……くそっ!」
俺は疑問を振り払い、酒場を飛び出した。
今は、命が優先だ。
裏の林は、すぐに夜の闇に沈もうとしていた。
俺は記憶を頼りに、草むらをかき分けた。
「……これじゃない、これも違う……あった!」
大木の根元に、ひっそりと生える青白い葉。
間違いなく『青の月草』だ。
珍しくもない草で、乾燥させると薬効が消えるため店には置かない事が多いらしい。
「スピディ、これをむしれるだけむしれ!」
「了解!」
必要な量を確保し、俺たちは全力で宿へ戻った。
酒場では、すでに静まり返り
ちらほら食事をしているものしかいない。二階の部屋へ飛び込む。
ポムキンが心配そうに覗き込む中、俺はスピディに手伝わせ、手早く薬草をすり潰し、調合を始めた。
手順は記憶されている。
出来上がった緑色の液体を、ヘモンの口に流し込む。
「……ふぅ」
俺はベッドの脇に座り込んだ。
あとは、薬が効くのを待つしかない。
明日まで様子を見て、熱が下がれば峠は越えるだろう。
「スピディ」
「はい」
「さっきの薬の材料、この辺で多めに集めておいてくれ。アケニースまで持つように」
「了解です。……ただ、ボス」
スピディが申し訳なさそうに、軽い革袋を振ってみせた。
「金が、さっきの買い出しでほとんど残ってません。この宿も、あと2日しか泊まれませんよ」
「……そうか」
俺は天井を仰いだ。
子供の命は助かるかもしれない。
だが、俺たちの旅の資金は、ここで完全に底をついた。




