134. 闇に差す一筋の光、敗北からの再設計
※前話のあらすじ
イヤネスからの取り立てに失敗し、クサレッタの子供殺しで取引を迫られたアルヴィンは、証文を手放し屈する。
二人の命は救いきれず、三人の奴隷と殺意だけが残る
レーマネの街にある、清潔だが飾り気のない普通の宿。
その一室に、重苦しい空気が澱んでいた。
ベッドには、クサレッタの狂気から生き延びた三人の子供たちが、泥のように眠っている。
俺は彼らの枕元で、『解呪』の儀式を行っていた。
用意したのは、特殊な『溶液』と『紫の鉱石』だ。
俺は眠る子供たちの呪印に溶液を一滴垂らす。
次に、彼らの呪印の上に、握り拳ほどの紫の鉱石をそっと置く。
解呪の条件は三つ。
溶液による安定化、受け皿となる鉱石、そして「意思の断絶」だ。
深い睡眠状態にある今が、その時だ。
パキリ、と微かな音が響いた。
子供たちの呪印に置いた紫の鉱石に亀裂が入る。
それは、人体に刻まれていた「呪い」が、より安定した鉱石へと移動した証拠だ。
俺は【見る力】を発動した。
――【状態:健康】
以前表示されていた【状態:呪縛】の文字が消えている。
物理的な鎖は断ち切られた。これで彼らに焼き付くような激痛は走らない。
だが、俺は安堵の息をつきつつも、表情を引き締めた。
体の呪いは解けても、心に刻まれた恐怖の記憶までは消せない。彼らの本当の回復は、コジインでポショルやアニタたちと共に、長い時間をかけて日常を取り戻していくしかないのだ。
「……ボス」
窓際で外を見張っていたスピディが、声を潜めて言った。
「そういえば……この近くの牧場に、馬を預けてませんでしたっけ?」
ハッとした。
そうだ。前にこの街を訪れた時に手に入れた二頭の暴れ馬。
とてつもない遺伝的な潜在能力を感じて買い取ったが、あまりに気性が荒く手に余ったため、牧場に預けていたのだ。
あの時、牧場の主人にこう言い残していたはずだ。
『一年以内に取りに来なければ、処分してくれ』と。
「……まずいな。とっくに期限は過ぎている。処分されているかもしれない」
「見てきましょうか? 俺ならすぐ行って帰ってこれますよ」
スピディが身軽に立ち上がるが、俺は首を横に振った。
「いや、お前ではあの馬に対応できない。ここに残れ、護衛を空にするわけにはいかない」
「そうですか。了解です」
スピディは短剣の柄に手を置き、再び窓の外へ視線を戻した。
俺は視線を、部屋の隅に控える巨漢に向けた。
「ポムキン、行ってきてくれ。俺が手紙を書く」
俺は羊皮紙に牧場主への要件を走り書きし、ポムキンに渡した。
ポムキンは無言で深く頷くと、部屋を出ていった。
再び、静寂が戻る。
俺は寝息を立てる子供たちを見つめる。
呪いは解けた。だが、守れなかった命の重みが消えるわけではない。
自分の無力さが歯痒い。
一時間ほど経っただろうか。
扉が静かに開き、ポムキンが戻ってきた。
その鉄仮面のような無表情は変わらない。
「……どうだった」
俺が問うと、ポムキンは短く答えた。
「いた」
その一言に、俺の心に小さな灯がともった。
「処分されていなかったか」
ポムキンは頷き、さらに指を三本立てて見せた。
「三頭?」
「……仔馬が」
ポムキンがボソリと付け加える。
「……ははっ」
俺の口から、乾いた笑いが漏れた。
なんて図太い野郎たちだ。
殺されかけていた牧場の柵の中で、しっかりと自分の遺伝子を残していたとは。
牧場主も、上手く子供が出来たので、俺との関係上、殺すに殺せなかったらしい。
その逞しさが、今の俺には眩しく、そして少しだけ救いになった。
「そうか……でかした」
だが、現実はシビアだ。
今の俺たちは最小限の人数で行動中であり、さらに精神的なケアが必要な三人の子供を連れている。
そこに気性の荒い馬二頭と、生まれたばかりの仔馬を連れて帰れるか?
……不可能だ。間違いなく足手まといになる。
ポムキンもそれを理解しているからこそ、連れずに戻ってきたのだ。
ならば、どうする。売るか?
いや、あの馬たちの遺伝子は、将来のアケニース軍にとって「最強の騎馬隊」を作る核になる可能性がある。みすみす手放すのは惜しい。
「……スピディ。金を払ってきてくれ」
俺は革袋を投げ渡した。中には、手持ちの資金の少なからぬ割合が入っている。
「これまでの飼育料の未払い分と、向こう一年分の預かり賃だ。『必ず迎えに来るから、仔馬ともども最高級の世話をしておけ』と伝えろ」
スピディは革袋の重さを確かめ、呆れたように肩をすくめた。
その間、ポムキンがドアの前に立ち、無言で護衛を引き継ぐ。
「へいへい。……金を回収しに来たはずが、金を払って帰るとはね。世話がないや」
「全くだな」
俺は自嘲気味に笑った。
本当に、その通りだ。
イヤネスから金を巻き上げるどころか、精神を削られ、さらに財布まで軽くなる始末。
完敗だ。
スピディが出ていくと、俺は再び思考の海に沈んだ。
(……考えろ。切り替えろ)
そもそも、イヤネスの金など当てにするべきではなかったのだ。
不安定な土台の上に作られた資金源など、いつ崩れてもおかしくなかった。
他人の財布を当てにするな。
自分の足で立て。
金を作る方法はいくらでもある。
コジインの商品開発。
『アルヴィン商会』の販路拡大。
『アーモン商会』への新規事業提案。
あるいは、父マーランに頭を下げてでも、正式な予算を勝ち取るか。
思考を回転させる。
数字と、計画と、戦略で頭を埋め尽くす。
そうしていないと、脳の隙間にあの女の――クサレッタの笑顔が入り込んでくるからだ。
怒りを動力に変えろ。
絶望を燃料にしろ。
スピディが戻ってきた時には、俺の顔つきは変わっていた。
迷いはない。あるのは冷たい決意だけだ。
「支払ってきましたぜ。牧場の親父、金貨を見て目を丸くしてやがった」
「よし。……出るぞ」
俺は立ち上がった。
まだ眠っている子供たちを、ポムキンとスピディに背負わせる。
「ナバラ帝国、そしてポルム教国への視察は中止だ。最短ルートでアケニースへ戻る」
今は、雌伏の時。
だが、ただでは転ばない。
俺はこの敗北を、必ず何倍にもして返してやる。
あの馬のように、泥沼の中でも強かに生き延びてやる。
俺たちは、悪夢の街レーマネを後にした。




