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キングスレイヤー真  作者:


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131/140

131. 檻の中の猛獣、腐敗の種まき

 ナバラ帝国、帝都「鉄血のアイアン・ブラッド」。


 その最奥にある軍議の間は、今日も重苦しい空気に支配されていた。


「……南部の要塞線の補修は完了した。兵站の備蓄も十分である」


「うむ。東の演習場における機動部隊の練度も上がっておるな」


 玉座に座る皇帝チャバルと、大元帥カスタンの会話は、ここ数年、判で押したように同じ内容を繰り返していた。


 軍拡。整備。演習。増強。

 言葉だけを聞けば、明日にも世界大戦を仕掛けるような勇ましさだ。


 だが、皇太子バルバーロは知っている。


 こいつらは、動かない。

 絶対に、国境を越えない。


(……くだらねぇ)


 バルバーロは欠伸を噛み殺し、虚ろな目で天井を睨んでいた。


 この国の「強さ」は、檻の中で牙を研いでいるだけの見世物だ。


 ポルム教国とかいう「神」の顔色を窺い、飼い殺しにされた猛獣。それが今のナバラ帝国だ。


 父チャバルも、カスタンも、口では「覇権」だの「栄光」だのと言っているが、その腹の底には冷たい恐怖が居座っている。


 『大規模な侵略戦争を行えば、国ごと消される』という、絶対的なルールへの恐怖が。


 退屈だ。

 息が詰まる。


 暴力のために研ぎ澄まされた刃を、鞘の中で錆びつかせている音が聞こえるようだ。


 俺が王になるまで、あと何年待てばいい?

 十年か? 二十年か?


 そんな悠長な時間を過ごしていたら、干からびて死んでしまう。


 軍議が終わると、バルバーロは無言で席を立った。


 父への礼もしない。

 そんな不敬すらも「覇気がある」と勘違いして称賛する軍部にも吐き気がした。


          


 自室に戻ったバルバーロは、すぐに側近に命じた。


「セリオスを呼べ」


 数分と経たずに、音もなく扉が開いた。

 現れたのは、帝国諜報総監セリオス。


 31歳。線の細い優男に見えるが、その瞳の奥には氷のような冷徹さが潜んでいる。国内の反乱分子を摘み取り、有力商会や地方総督すら監視下に置く、帝国の「目」だ。


「……お呼びでしょうか、殿下」


 セリオスは恭しく跪いた。


「立て。……酒だ」


 バルバーロはソファに深く沈み込みながら、杯を煽った。

 強い酒精が喉を焼くが、心の渇きは癒えない。


「セリオス。国内はどんな状況だ?」


 唐突な問いに、セリオスは表情一つ変えずに答えた。


「極めて良好です。反乱の芽は先月のうちに全て摘み取りました。不満もコントロール下です。裏切りやスパイなど、今の帝国には存在しえません」


 完璧な回答。

 セリオスは、組織の隅々までを行き届かせ、淀みなく管理する事ができる男だ。


 だが、バルバーロが聞きたいのはそんな公務員的な報告ではない。


「……まあ、いても小銭稼ぎの行商人程度でしょうな」


「そうだな。お前の仕事は完璧だ。退屈なほどにな」


 バルバーロは空になった杯を放り投げた。

 ガシャリ、と銀の杯が転がる音が、静寂を切り裂く。


「お前は、このままでいいと思うか?」


「……と、仰いますと?」


「このまま、戦争もしないで終わるのかということだ」


 セリオスの眉がわずかに動いた。

 それは皇帝の決定事項であり、最大のタブーだ。


「……それは、陛下がお決めになることです。我々は、来るべき時に備えて剣を磨くだけかと」


「来るべき時、だと?」


 バルバーロは鼻で笑った。


「来ねぇよ、そんなもん。親父が生きている限り、永遠にな」


 バルバーロは立ち上がり、セリオスの目の前まで歩み寄った。

 圧倒的な暴力の気配が、諜報総監の肌を刺す。


「俺が王になれば、すぐにでも始める。ポルム教国だろうが神だろうが、喧嘩を売ってやる。……だが、それはいつだ? 親父がくたばるまで、あと十年か? 十五年か?」


 バルバーロはセリオスの肩に手を置いた。


「その時、お前は幾つになる?」


「……」


「今は31歳だったか。十年後は41歳。十五年後は46歳だ」


 バルバーロの声が、甘い毒のように耳元で囁く。


「諜報員としての全盛期を、ただ国内のゴミ掃除と、老いぼれた王の介護で浪費するのか? お前のその優秀な能力を、何も起きない平和な箱庭の管理だけで終わらせるのか?」


 セリオスの瞳が揺れた。

 図星だった。


 彼もまた、己の才能を持て余している。完璧に管理された帝国は、もはや彼にとって挑戦のない退屈な事務作業の場と化していた。


「……そう言われましても、私の一存では」


「だから動け。俺が指示する」


 バルバーロはニヤリと笑った。

 それは、子供が新しい玩具を見つけた時の、無邪気で残酷な笑みだった。


「サマラ王国へ行け」


「……サマラ、ですか」


 大陸最大の版図を誇る隣国。

 現在のナバラ帝国とは不可侵条約を結んでいる仮想敵国だ。


「情報を抜けと言うのであれば、すでに手の者が……」


「違う。情報なんざどうでもいい」


 バルバーロは手を振った。


「悪意をばら撒いてこい」


「……は?」


「女、酒、博打、麻薬、借金。……なんでもいい。人の理性を溶かし、社会を腐らせる種を、あのクソ真面目な国に植え付けてこい」


 バルバーロの瞳が、昏い悦びに歪んだ。

 戦争ができないなら、別の遊びをすればいい。


 積み木を崩す時のような、あのゾクゾクする破壊の音を聞きたい。


「サマラの貴族を借金漬けにしろ。商人を女で狂わせろ。子供を攫って人質にしろ。……お前の得意分野だろう? 綺麗な戦争なんて望んじゃいない。ドロドロに腐らせて、内側から崩壊する様を見物するんだ」


 それは戦略というよりは、純粋な悪意だった。

 だが、セリオスの中で何かが反応した。


 管理するだけの退屈な日々。そこへ投げ込まれた、巨大な国を「腐敗させる」という極大のミッション。


「道を作ってこい、セリオス。軍隊が通るための、欲望と絶望が這い回る、ドブのような道をな」


 バルバーロは愉しげに笑った。

 軍隊だけでは足りない。兵器だけでは壊せない。


 だからこそ、先に毒を流し込む。

 いずれ我が軍靴が踏みしめるその時、相手が自らの汚物で窒息しているように。


 セリオスは数秒の沈黙の後、深く頭を下げた。


「……殿下の“ご私命”として承ります。記録は残しません。

承知いたしました。軍隊が悠々と進むための、最高級の腐敗した『道』……。私が完璧に、舗装してご覧に入れましょう」


 その顔には、先ほどまでの公務員の仮面はなく、共犯者の冷たい笑みが張り付いていた。

 

 帝国の闇が、動き出す。

 剣と共に、猛毒を持って。


 ターゲットは、アルヴィンたちの住むサマラ王国。


 まだ誰も気づかない水面下で、破滅へのカウントダウンが静かに始まろうとしていた。



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