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キングスレイヤー真  作者:


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128/140

128. 盤上の道、沈黙の賢者

 アケニース家の当主である父マーランが動かないなら、俺が動く。

 腹を括った俺の行動は早かった。


 翌朝、俺は久しぶりにコジインの教室の教壇に立っていた。


 黒板にチョークを走らせる乾いた音だけが、静寂の室内に響く。


「……というわけで、兵站における物資の消耗率は、移動距離と部隊規模の相関で決まる。ここまではいいか?」


 俺が振り返ると、ドランやコバン、マルディ、「理解できる組」は、真剣な表情でノートを取っていた。


 まだ10歳にも満たない子供たちに教える内容ではないかもしれない。だが、彼らはスポンジが水を吸うように、俺の知識を吸収していく。


 一方で――。


「……うぅ……肉……」


 教室の後ろ半分は、死屍累々の有様だった。


 ギルは白目を剥いて完全に意識を飛ばしているし、他の子供たちも、黒板の数字が虫の大群に見えるのか、船酔いしたような青い顔をしている。


 まあ、これが普通の反応だ。無理もない。


「質問」


 そんな中、ピンと手を挙げたのはレンだ。

 お、興味があるのか。俺は期待して指名した。


「なんだ、レン」


「運ぶのが面倒なら、大きな投石機を作って、食料を目的地まで飛ばせば?」


「……着弾した瞬間にゴミになるな。却下だ」


 レンは「ゴミを食べれば……」とブツブツ言いながら、ノートに謎の投石機の絵を描き始めた。


 ……こいつに関しては、理解できていないというより、発想が過激すぎて実務に向かない。


 戦略論を教えるには、まだ少し早かったかもしれない。俺は内心で頭を抱えた。


          


 午前中の座学を終え、訓練で泥だらけになった後は、待ちに待った昼食の時間だ。


 食堂には、大鍋で作った根菜と干し肉のスープの香りが充満している。


「いっただっきまーす!!」


 号令と共に、戦場のような食事が始まる。


 全員で長いテーブルを囲み、焼きたてのパンをスープに浸してガツガツと食らう。


「あ! ギル、私の肉とった!」


「早いもん勝ちだぁ!」


「こらギル! ロリーナが暴れるだろ! 返してやれ!」


 ドランがギルの頭をスプーンで叩き、その隙にロリーナが肉を奪い返す。


 騒がしくも温かい光景。


 ふと横を見ると、幼いアイーシャが自分のパンを小さくちぎって、隣のさらに小さな子の口に運んでやっていた。


「はい、あーん。おいしい?」


「ん! おいしー!」


 天使か。

 俺が頬を緩ませていると、アイーシャが俺にもパンの欠片を差し出してきた。


「ある様も、あーん」


「……おっと、俺は自分で食えるよ。アイーシャがいっぱいお食べ」


 俺が頭を撫でてやると、彼女はひまわりのような笑顔を咲かせた。


 ここにあるのは「家族」の絆だ。守るべき場所であり、同時に最強の「軍団」の苗床でもある。


          


 昼食後、俺はコバンを別室に呼んだ。


 まだ8歳の彼は、口元についたスープをナプキンで拭うと、瞬時に「財務責任者」の顔になった。


「……で、いくら必要なんで?」


 コバンは俺が口を開く前に、分厚い帳簿を開いた。


「話が早くて助かるよ。……現状の『アルヴィン商会』の余力は?」


「石鹸の売り上げは安定してます。それと……こいつが意外と馬鹿になりません」


 コバンが指差したのは、帳簿の端に書かれた『試作酒』の項目だ。


「コジインの裏倉庫で試験的に作ってる酒ですよ。特殊な製法で熟成を早めてるんですが、これが味が濃くて美味いと評判で。村の連中や商人が噂を聞きつけて、高値でも買っていきます」


 まだ大規模な醸造所を作る前の、ほんの小遣い稼ぎ程度のつもりだったが、予想以上の成果だ。


 俺の前世知識と、偶然手に入れた素材が生み出した産物。


「合わせて、金貨二千枚ってところです。裏のプール金も含めれば三千はいけます」


「全額だ。……いや、八割を動かす」


「……また、デカいこと考えてますね」


 コバンは苦笑したが、反対はしなかった。


「いいですよ。どうせボスの金だ。好きに使ってください。その代わり、損はさせないでくださいよ?」


「ああ、約束する。これは未来への投資だ」


          


 資金の目処がついた俺は、その足で屋敷の敷地内にある私兵団の詰め所へと向かった。


 ここは祖父ダイファーが率いる私兵たちの拠点だ。


 詰め所の奥にいるのは、隊長のコンゴウ。


 俺の姿を見ると、すぐに椅子を勧めてくれた。


「コンゴウ。頼みがある」


「何なりと。……その目、久々に『本気』の指令とお見受けします」


 歴戦の指揮官は、俺の気配の変化を敏感に察知していた。


「単刀直入に言う。アケニース領周辺の道を整備したい。それも、ただの道じゃない。馬車がすれ違えて、重い資材を運んでも崩れない、軍用規格の道路だ」


 コンゴウは眉を動かした。


 そのような整備するということは、戦争に備えるということ。


「……なるほど。父君(マーラン様)は首を縦に振らなかった、というわけですね」


「察しがいいな。だから、爺様の私兵団主導でやる。資金は俺が出す。隠す必要はない、堂々と『再開発』として進める」


 コンゴウは顎に手を当てて考え込んだ後、深く頷いた。


「承知しました。ダイファー様も、若様の提案ならば面白がって許可されるでしょう。……そういうことなら、適任がいます」


「適任?」


「ええ。ポムキンほどの強さはありませんが、実は我が隊でも一、二を争う切れ者です。……おい、チェルピン! いるか!」


 コンゴウの呼びかけに応え、奥の資料室から一人の男が現れた。


 ぬっと現れたその男は、異様な風貌をしていた。


 身長は高く、全身の筋肉が岩のように凝縮されている。ポムキンが「肉の鎧」なら、この男は「鋼のワイヤー」だ。無駄な脂肪が一切ない。


 そして何より目を引くのは、照明を反射して輝く見事なスキンヘッドと、その奥で光る理知的な眼だった。


「……お呼びでしょうか、隊長」


 低く、落ち着いた声。丁寧な言葉遣い。


「アルヴィン様。こいつはチェルピン。35歳。……先の大戦でダイファー様が補給線を絶たれかけた時、一夜にして泥沼の湿地帯に道を通し、起死回生の進軍を可能にしたのがこいつです。品行方正にして、知力・体力ともに我が隊随一の男です」


 コンゴウが誇らしげに言う。

 俺は思わず【見る力】を発動した。


 ――【智略】(ちりゃく)。


 思わず息を呑んだ。


 ただの工兵ではない。稀有な才能。


「……お前の力、貸してほしい」


 俺が地図を指差して趣旨を説明すると、チェルピンは無言で眼鏡の位置を直し、地図を覗き込んだ。


 その目が、鋭く細められる。


「……アルヴィン様。失礼ですが、この案は素人の発想です」


 第一声は、丁寧な口調での容赦ないダメ出しだった。


「え?」


「最短距離で平野を突っ切ろうとしていますが、この一帯はアケニース特有の肥沃な土壌です。農業には最適ですが、重い資材を積んだ馬車が通れば、たちまちわだちができ、雨が降れば泥沼と化します」


 チェルピンは太い指で地図上の平野部を指し示した。


「平地ゆえに視界は開けていますが、それは敵からも丸見えだということ。補給線としては脆弱すぎます」


 彼は懐からペンを取り出し、既存のルートとは異なるラインを書き加えた。


「遠回りに見えますが、わずかに標高の高いこの微高地を繋ぐべきです。地盤が固く、排水性も良い。さらに、街道の両脇に並木を植える名目で防風林を作れば、敵の視線を遮りつつ、部隊の隠蔽移動が可能になります」


 的確すぎる。

 工学的な強度と、軍事的な戦術眼。その両方を兼ね備えた完璧な回答。


 普段は無口だという彼が、地図を前にすると水を得た魚のように語り出す。


「……それに、要所に『宿場町』に見せかけた拠点を配置すべきです。平時には商人の休憩所として使い、有事には物資の集積所とする。これなら維持費も回収でき、補給拠点としても機能します」


 チェルピンは顔を上げ、眼鏡の奥から俺を見た。


「私は礼儀を軽んじませんが……こと戦略に関しましては、最善手を打つのが礼儀と心得ております。道を作るということは、勝利への血管を通すということ。……任せていただけますか」


 その言葉に、俺は震えた。


 ――こいつだ。


 父マーランが動かなくとも、こいつがいればいい。


 アケニースの「血管」は、確実に、そして強靭に生まれ変わる。


「……ああ、頼む。最高だ、あんた」


 俺は一息置き、続けた。


「ただし、ここから森の手前までの道だけは、必ず整えておいてくれ」


 理由は、今は言わない。


 言えない、が正しい。


 できれば、この道を使う日が来なければいい。

 ――それでも、来てしまった時のためにだけ、道は必要だった。



 差し出した俺の手を、チェルピンは握り返した。

 岩のようにごつごつとした手だったが、その動きは驚くほど丁寧だった。


「そこは……何か」


 一瞬言葉を探し、彼は視線を伏せる。


「微力を尽くします。……若様」


 これ以上は詮索すべきではないと、彼自身が判断したのだろう。

 その区切り方が、かえって信頼を深めた。


 コジインの「教育」。


 商会の「金」。


 そして私兵団の「技術」。


 手持ちの駒は、揃いつつある。


 俺たちの反撃準備は、静かに――だが確実に、動き出していた。



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