126. 一年後、変わらない重さ
朝の空気は、あの日と同じように冷たかった。
だが俺の背中は、少しだけ広くなっている。
一年が過ぎた。
マンダルが死んでから――一年。
屋敷の自室。机の上に置かれたままの剣は、今も鞘に収まったままだ。
一度も抜かれていない。
毎朝、眺め、手入れをする。だが、振ることはない。
まだ、その資格がない気がしているからだ。
この剣は、俺が「完成」した時にこそ抜くべきものだ。
世界は進む。
人は成長する。
時間だけは、止まらない。
「……さて、行くか」
俺は机の上の書類の山を小脇に抱え、力強く部屋を出た。
立ち止まっている暇はない。
俺の中にはまだ一本の剣が重く残っていたが、それは重石ではなく、俺の芯を定める錨となっていた。
アケニースの街外れにあるコジイン。
その訓練場は、一年前とは比べ物にならないほどの熱気に包まれていた。
「そこっ! 遅いよセイン!」
高い、鈴を転がすような少女の声。
だが、その声に伴うのは、空気を切り裂く鋭利な風切り音だ。
ブンッ!!
身の丈に合わない長い木槍が、生き物のようにうねる。
6歳になったロリーナだ。
亜麻色の髪をなびかせ、あどけない顔には似つかわしくない鋭い眼光を放っている。
この一年で背は伸びたが、それ以上に「気配」が鋭利な刃物のように研ぎ澄まされていた。
「くっ……!」
彼女の突きを紙一重でかわしたのは、セインだ。
8歳。少年らしい精悍さが出てきた彼は、冷や汗を流しながら後ろに飛び退いた。
【剣王】の才を持つ彼もまた、同年代の子供とは比較にならない動きを見せている。
だが、目の前の少女は「才」の次元が違った。攻めようとした瞬間には、すでに喉元に切っ先が置かれている。
「もう! もっと本気で来ないと、穴だらけにしちゃうよ?」
「……本気だ」
セインの手は痺れていた。
遊びじゃない。彼らは純粋に、強さという頂を目指して駆け上がっている。
そんな二人を見つめるのは、全体を見渡す位置に立つドランだ。
11歳になった彼は、もう立派な顔つきをしている。
直接手合わせには参加せず、腕組みをして訓練場全体を俯瞰しているその姿は、小さな指揮官のようだ。
個性の強すぎる面々が、それぞれの才能を暴走させずに一つの「集団」として機能しているのは、彼の統率力のおかげだろう。
「もっと足元を見ろ! ギル、お前は力を入れすぎだ! 地面が凹むだろうが!」
「うおおおお! わかんねぇけど、もっと重いの持ってこぉぉい!」
ドランの叱責などどこ吹く風で、岩を抱え上げ、スクワットをしているのはギルだ。
9歳にして、その体格はすでにドランと同じくらいの背丈で、さらに逞しい。
【力】の能力。単純な腕力勝負なら、すでに大人といい勝負をするかもしれない。
喧騒と砂煙が舞う訓練場の隅。
そこだけ異質な空気が漂っていた。
「……違う。火薬の配合……もっとこう、ドカンと……ブツブツ……」
地面に木の枝で謎の文字を描き続けているのは、レンだ。
6歳。【奇才】。
彼の周りには、歪な形をした鉄屑や、用途不明のガラクタが散らばっている。
時折彼が生み出す「おもちゃ」は、訓練場でボヤを起こしたりしていて、ドランの胃痛の種になっていた。
建物の中からは、パチパチという乾いた音が高速で響いてくる。
「……ふふ、今月の利益率は先月比1.2倍……卸値をもう少し……」
コバンだ。
9歳の彼は、小さな体で巨大な帳簿と格闘している。その顔つきは、戦士のそれではない。獲物を狙う商人のそれだ。
そして、訓練場の端で黙々と、ただひたすらに素振りを繰り返す影があった。
マルディ。9歳。
心の中にいる「主」のために、己の体を盾として鍛え上げている。その瞳にあるのは、揺るぎない忠誠心のみ。
「……みんな、本当に逞しくなりましたね」
その様子を建物の影から見守っていたのは、クロブだ。
隣に立つ世話係のアニタが、洗濯物を抱えながら深く頷く。
「ええ。体も大きくなったけど、何より顔つきが違うわ。……アルヴィン様のご指導のおかげね」
アニタが微笑むと、クロブも苦笑混じりに同意した。
「全くだ。あの方が復活されてからというもの、指示の量が倍増しましたからね」
「ふふ、昨日も山のような書類と、新しい訓練メニューが届いたばかりじゃない」
一時期の沈黙が嘘のように、今のアルヴィンは精力的だった。
いや、以前にも増して、生き急ぐかのように働き回っている。
屋敷に籠もっていた時間は終わりを告げ、今はアケニース全土の改革、そしてコジインの運営に全力を注いでいた。
「『止まっている暇はない』……でしたっけ?」
「ええ。あの方の背中を見て、子供たちも必死に食らいつこうとしているのよ」
二人の視線の先、アイーシャが年下の子をあやしながら、歌を口ずさんでいた。
その歌声は優しく、激しい訓練をする少年たちの心を癒やしていく。
彼女もまた、大好きなアルヴィンに褒めてもらうために、自分の役割を果たそうとしていた。
コジインは、ただの孤児院ではない。
ここは、未来の国家を担う人材が育つ「揺り籠」であり、すでに小さな「国」として機能し始めていた。
窓の外から聞こえる子供たちの元気な掛け声。
それは、遠く離れた屋敷でペンを走らせる主のもとへも、確かに届いているはずだった。




