表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キングスレイヤー真  作者:


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

125/140

125. 停滞する英雄、臆病な王

 あれから、俺はずっと屋敷の自室に籠もっていた。


 季節が巡るように時間は流れているというのに、俺の中の時計だけが錆びついて動かない。


 食事は喉を通らず、ただ机の上に置かれた「マンダルの剣」を眺めて過ごす日々。


 心配した母さんや、兄さんが部屋を訪ねてくるが、俺は生返事を返すのが精一杯だった。


 ロリーナやマルディ、アイーシャといった子供たちも顔を見せに来てくれた。


 いつもなら彼らの笑顔を見るだけで活力が湧くはずなのに、今はそれすらも煩わしい。


 自分でも驚くほど、心が死んでいた。


 机の隅には、封を切られた手紙が放置されている。


 ポルム教国からの書簡だ。


 俺が帰る際にシステムが「最低でも100年は協力しない」と宣言した件について、向こうの教皇が泡を食って説明を求めてきているのだろう。


 世界の根幹に関わる重大事だ。本来なら即座に対応しなければならない。


 だが、インク壺にペンを浸す気力すら起きなかった。


(……なぜだ)


 俺は自問する。

 大切な人を失うのは、初めてではない。


 前世でも、今世でも、別れは何度も経験してきた。


 マンダルの死は突然だったが、悲劇的なものではないはずだ。


 あいつは天寿を全うし、職人として最高傑作を遺して逝った。


 この剣を見ればわかる。あいつは満足していたはずだ。


 だというのに、なぜ俺はこんなにも脆い?


 かけがえのない友だった。それは間違いない。だが――違う。胸の奥で、別のものが蠢いている。


 悲しい、だけじゃない。

 息が浅い。心臓が、理由もなく早い。

 頭のどこかがずっと「次」を数えている。


 次は誰が欠ける。

 次は何が奪われる。

 次は――俺が、間に合わない。


 答えの出ない問いが頭の中をぐるぐると回り、泥沼のように俺の足を絡め取っていた。


 コン、コン。


 重厚なノックの音が響いた。


「……アルヴィン。入るぞ」


 返事を待たずに扉が開く。

 入ってきたのは、ダイファーだった。


 クルム村から戻ったばかりなのだろう。旅装も解かずに、その巨体で部屋の空気を圧迫する。


「……マンダル、残念だったな」


 低い声だった。


「……ああ」


 俺は剣から目を離さずに答えた。

 ダイファーにとっても、マンダルは古い付き合いだ。悲しくないはずがない。


 だが、慰めの言葉を掛け合うことすら、今の俺には億劫だった。


 しばらくの沈黙が落ちた。

 ダイファーは動かず、じっと俺の横顔を見つめているようだった。


 やがて、彼はポツリと漏らした。


「……あの時と、同じ顔をしているな」


「……あの時?」


 俺は怪訝に眉を寄せ、ようやくダイファーの方を向いた。


 ダイファーは悲痛な面持ちで、しかし真っ直ぐに俺を見ていた。


「ケニおばさんと、ゴメイースが死んだ時だ」


 ドクン、と心臓が跳ねた。


 脳裏に蘇る。

 守れなかった笑顔。冷たくなった手。

 前世の俺――アーノルにとっての、原初の絶望。


「……あ、ああ……」


 確かに、似ているかもしれない。

 あの時の無力感。自分の手が届かない場所で、大切なものが零れ落ちていく感覚。


 ……いや。

 俺は首を振りかけて、やめた。


 否定したところで、胸の奥に刺さったままの棘は抜けない。


 ダイファーは一歩踏み出し、俺の目の前に立った。


「アルヴィン。……いや、父さん」


 二人きりの時だけ口にする、魂への呼び名。


「……怖がってるんだ」


「……怖がってる?」


 反射的に、喉の奥から言葉が出そうになった。


 違う、と。

 俺はただ、悲しいだけだ、と。


 でも――口を開いた瞬間、息が詰まった。

 否定の言葉が、どれも薄っぺらく感じたからだ。


「二人の死が、お前をそうした」


 ダイファーは続けた。押しつける口調ではない。淡々と、事実を並べるように。


「守るものが増えた。……だから欠けるのが怖い。欠けた穴を見てないと、次が来る気がして……目を逸らせないんだろう」


 胸の奥が、じくりと痛んだ。


 図星なのかもしれない。


 俺は悲しんでいるのではなく、怯えている。


 マンダルを失った“事実”が、過去の絶望を引きずり出して、俺の喉元に刃を当てている。


 ダイファーは窓の外――領地の方角を、一度だけ見た。


「俺も、戦争で……立ち止まったことがある」


 低い声に、ほんの僅かな濁りが混じった。


「動けなかった。泣いた。怒った。……その隙に、部下が死んだ」


 短い。

 だから重い。

 言い訳も、美談もない。


「止まってたら、救えるものも救えない」


 それだけ言って、ダイファーは視線を戻した。


「前に進め、とは言わん。……ただ、座ったままじゃ、何も変わらん」


 言葉が、正論じゃなく“傷”として落ちてきた。

 だから、余計に刺さる。


 ダイファーは机の上の剣を顎でしゃくった。


「いつまでもウジウジしてたら……マンダルに怒鳴られるじゃないか」


 その一言が、妙に現実味を帯びた。


 俺は笑えなかった。


 聞こえた気がしたからだ。

 『いつまでシケた面してやがる、この馬鹿野郎!』と。


 ――でも、次の瞬間。

 わかってしまう。


 それは“聞こえた”んじゃない。

 “聞こえてほしかった”だけだ。


 もう、二度と。

 あの憎まれ口は、本当に戻らない。


 その事実が、肺の奥まで冷たく沈んで、息が苦しくなった。


 ダイファーは、俺の反応を待たなかった。

 ただ背を向けた。扉へ向かう。


「……怒鳴られる、か」


 静寂の中で、俺は掠れた声で呟いた。


 扉が閉まる音が、部屋に響く。


 俺は机の上の剣に触れた。

 冷たいはずの鉄が、今は妙に熱く感じる。


 ここで止まっていたら、あいつに笑われる。

 いや――笑われるのが怖いんじゃない。


 これ以上、誰かが欠けるのが怖い。

 また間に合わないのが、怖い。


 俺は深く息を吐き出した。

 肺に溜まっていた澱んだ空気を、少しずつ追い出す。


 椅子の背もたれから背を離す。

 足に力を入れる。


 立ち上がる。


 ただそれだけの動作が、ひどく重く、そして――自分を裏切らないための儀式のように感じられた。


「……よし」


 久しぶりに顔を上げる。

 窓から見える景色は、変わらず美しい。


 だが今の俺には、その美しさが「守るべきもの」として、鮮明に目に映った。


 止まっている暇はない。

 俺にはまだ、やらなければならないことが山ほどあるのだから。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ