124. 止まらぬ時間、沈殿する鉛
マンダルの葬儀から数日が過ぎても、俺の心は鉛を飲み込んだように重いままで動かなかった。
屋敷の自室。
机の上には、あの武骨な剣が置かれている。
俺はただ、窓から差し込む陽の光が、刻一刻と角度を変え、剣の刃紋を照らしていく様を眺めていた。
もう、あの悪態は聞こえない。
何か思いつくたびに「馬鹿かお前は!」と怒鳴りながらも、楽しそうに図面を覗き込んできたあの顔は、二度と見られない。
喪失感は時が経つほどに現実味を帯び、俺の思考をドロドロとした沼の底へ引きずり込んでいく。
だが、世界は一人の老人の死など気にも留めず、無情に回り続ける。
「……ボス。入ってもいいっすか」
控えめなノックと共に、スピディが顔を出した。
普段の軽薄さは鳴りを潜め、俺の顔色を窺うような慎重な声音だ。
「……ああ。どうした」
「その……連れ帰った『子供たち』のことっすけど。今後の対応をどうしたらいいのかと」
ハッとした。
そうだ。俺にはやるべきことが残っている。
呪縛から解き放ったものの、心ここにあらずの状態である三人の子供たち。彼らの処遇を決めなければならない。
「……そうだな。悪い、すぐに行く」
俺は剣を布で包み、引きずるような足取りで部屋を出た。
アケニースの孤児院「コジイン」。
その一室にある医務室では、ポショルが難しい顔で子供たちの瞳を覗き込んでいた。
ベッドに座らされた三人の子供たち。
ムルミと、ホスマルとデリスは、まるで彫像のように静止している。
「……やあ、アルヴィン君。顔色が悪いですね。薬を出しましょうか?」
「いや、いい。……それより、この子たちはどうだ」
俺が尋ねると、ポショルは眼鏡の位置を直しながら、カルテ代わりの羊皮紙を示した。
「肉体的な健康状態は極めて良好です。栄養失調も回復しつつある。……ですが、精神の摩耗が著しい」
ポショルは、真ん中に座る少女、ムルミの肩に手を置いた。
「ただ、この子……ムルミさんだけは、わずかに反応があります」
「反応?」
「ええ。強い光を当てたり、大きな音を立てると、反射的に身を竦める。痛覚刺激に対しても、微細な挙動が見られます。……ですが、あとの二人は」
ポショルは残る二人の少年に視線を移した。
彼らは瞬きこそすれど、虚空を見つめたまま焦点が合っていない。
「指示がない限り、呼吸以外の活動を行いません。完全に『待機状態』です」
「……どういうことだ。呪いは解けたはずだろ」
「ええ、呪縛が消えているとするのなら、これはもっと根深い……『深層心理への刷り込み』によるものでしょう」
ポショルは指を組んで推論を語る。
「呪法にも段階があるのか、あるいは洗脳の期間や強度による個体差か。ムルミさんは比較的、自我の殻が残っていた。しかし他の二人は、自我が泥の底に沈みきってしまっている。……呼び戻すには、根気強い治療と、何か『きっかけ』が必要かもしれません」
きっかけ。
それが何なのか、今の俺には見当もつかなかった。
俺は頷くことしかできない。
頭では理解している。対策を練らなければならない。だが、思考に靄がかかったようで、具体的なアイデアが浮かんでこないのだ。
「……わかった。ポショル、引き続き経過を見てやってくれ」
「ええ。君も……あまり無理をしないように」
ポショルの気遣いが、今は痛かった。
医務室を出ると、廊下で世話係のリーダーであるアニタが洗濯物を抱えて歩いていた。
来た時はおどおどしていたが、今ではみんなに指示を出して動いている。彼女は、俺の姿を見ると心配そうに眉を下げた。
「アルヴィン様……」
「アニタ。……頼みがあるんだ」
「はい、なんでしょう」
「あの子たちの事、面倒見てやってくれ」
アニタは力強く頷いた。
「わかりました。……それと、アルヴィン様」
アニタの後ろから、クロブがひょっこりと顔を出した。
彼は努めて明るい声を出そうとしているようだった。
「少しは良い報告もさせてください。……あの子たち、ドラン、マルディ、アイーシャ、レンの四人ですが」
「……ああ。あいつらがどうした」
「凄まじい吸収力ですよ。勉強に関しては、舌を巻くほどです。読み書きはもう基本をマスターしましたし、算術の理解も早い。特にレンなどは、複雑な計算も遊び感覚で解いています」
クロブは嬉しそうに報告書を見せてくれた。
そこには、子供たちの成長記録がびっしりと記されている。
本来なら、俺が飛び上がって喜ぶべき成果だ。
未来ある子供たちが、知識という武器を手に入れ、自分の足で歩き始めている。
マンダルが生きていれば、「へっ、あいつらも見込みがあるじゃねぇか」とニヤリと笑っただろう。
(……マンダルなら)
また、思考がそこへ行き着く。
俺は口角を無理やり持ち上げた。
「……そうか。それは、よかった」
自分の声が、他人のもののように乾いて聞こえた。
クロブたちの笑顔が、すっと曇るのがわかった。俺の空元気を見透かされたのだろう。
「……すみません、お疲れのところ」
「いや、いいんだ。報告ありがとう。……また、来るよ」
俺は逃げるようにその場を後にした。
背中に、職員たちの心配そうな視線を感じながら。
コジインを出ると、空は茜色に染まっていた。
美しい夕焼けだ。
だが、今の俺には、それが血の色にしか見えなかった。
物事は進んでいる。
子供たちは成長し、問題は分析され、解決へと向かおうとしている。
止まっているのは、俺だけかもしれない。
俺は屋敷へと続く道を歩き出した。
足取りは重く、影だけが長く伸びていた。




