120. 鉄の呼吸、受け継ぐ火花
アルヴィンたちが旅立った、その日の午後。
マンダルは誰に告げることもなく、偶然通りかかった商隊に強引に話をつけ、凄まじい速度で街道を戻っていた。
行き先は、アケニース。
都に着くやいなや、彼は息つく暇もなく、街一番の規模を誇る「タンダル工房」の扉を蹴り開けた。
「おい、タンダル! いるか!」
工房内には数十人の弟子が働き、槌音が響き渡っていたが、先代の怒声に一瞬で静まり返った。
奥から、脂汗と煤にまみれた巨漢が現れる。
マンダルの息子であり、現在の工房主、タンダルだ。
「……親父? どうしたんだ、藪から棒に。旅行に行ってたんじゃなかったのか?」
「遊んでる暇はなくなった。……『最後の剣』を打つ」
その一言で、タンダルの表情が強張った。
親子の間に、言葉はいらなかった。
マンダルの瞳に宿る、冷たく燃えるような光。
タンダルの背筋に、久しく感じていなかった戦慄が走る。
それはかつて自分が越えようとあがき、今では肩を並べたと思っていた巨大な壁が、崩れ落ちる寸前に放つ最後の輝きのように見えた。
「……本気か」
「ああ。手伝え。今の俺には、最後まで叩き切る体力がない」
「わかった」
タンダルは即座に近くの弟子を怒鳴りつけた。
「おい! コジインの工房へ走れ! ランダルを連れてこい! 『今すぐだ』と伝えろ!」
「は、はい!」
弟子が飛び出していくのを見届けると、二人の男はコジインのマンダル専用の鍛冶場へと足を踏み入れた。
そこは主が不在の間もランダルによって磨き上げられ、火を入れればすぐにでも神業が生み出せる状態に保たれていた。
炉に火が入る。
呼び出された孫のランダルが息を切らして到着した頃には、すでに工房内の空気は張り詰めていた。
マンダルが用意させたのは、工房の秘蔵庫に眠っていた最高純度の鋼と、特殊な鉱石の数々だった。
「始めるぞ」
マンダルが小槌を構え、赤熱した鉄を金床に乗せる。
向かい側に立ったタンダルが、大槌を構える。
カァン!
マンダルの小槌が、叩くべき箇所を示す。
ドォン!!
間髪入れず、タンダルの大槌がその場所を正確に、強烈に叩く。
カァン、ドォン! カァン、ドォン!
二つの槌音が重なり、一つのリズムとなって工房を揺らす。
親子であり、師弟。
数十年積み重ねてきた呼吸は、言葉など介さずとも完璧に同期していた。
飛び散る火花が、彼らの真剣な眼差しを照らす。
(……ふん、相変わらずうるさい指図だ)
タンダルは大槌を振るいながら、内心で舌を巻いていた。
鉄の温度、伸び具合、不純物の位置。全てを見透かしたような指示出し。
だが――。
カァン。
(……ん?)
違和感があった。
マンダルの小槌が示した位置は、タンダルの感覚からすれば、わずかに「ズレて」いた。
そこじゃない。今はもっと端を叩いて、形を整えるべきだ。鉄が悲鳴を上げている。
一瞬の迷い。
親父の目が落ちたのか? それとも、俺の腕が上がったのか?
答えは、後者だ。
悲しいかな、俺の目は今、親父を超えている。
本来なら叩く場所を修正し、俺の判断で理想形へと導くべき局面。
だが。
(……捨てろ、雑念を)
タンダルは一瞬で迷いを断ち切った。
正しかろうが、間違っていようが、関係ない。
これは「マンダルの剣」だ。親父が打つ最後の作品だ。
ならば、俺の役割は矯正することじゃない。
たとえ親父の目が曇っていようと、その意図を汲み、俺の技術で無理やりねじ伏せて「正解」にしてやることだ。
満足するまで打たせてやるよ、クソ親父。
「余計なことを考えるな!!」
轟音のような怒声が飛んだ。
一瞬の手加減を見抜いた父の叱責。
「鉄だけを見ろ! 俺を見るな!」
「ッ……!」
タンダルはニヤリと笑った。
ああ、わかってるさ。
疑うな。叩け。親父の納得いくように、俺が合わせてやる。
ドォォォン!!
迷いを捨てた一撃が、鉄に食い込む。
マンダルの表情はピクリとも動かない。
ただひたすらに、目の前の鉄と向き合い、命を削るように小槌を振るうのみ。
それからは、無我夢中だった。
時間は溶け、肉体の限界を超え、ただ鉄を折り返し、鍛え上げるだけの機械となった。
全身から汗が噴き出し、筋肉が悲鳴を上げる。
タンダルほどの熟練工ですら、意識が飛びそうになるほどの集中。
「……よし」
マンダルの短く、重い声で、大槌が止まる。
タンダルは肩で息をしながら、膝に手をついた。
目の前には、極限まで鍛え上げられ、鈍く光る鉄の塊がある。
「もういい。あとは俺一人で仕上げる」
マンダルは小槌を置き、火箸を手に取った。
視線は鉄から外さない。
「帰れ」
「……フゥーッ……」
タンダルは大きく息を吐き、汗を拭った。
これ以上の作業は、製作者の魂を焼き付ける、極めて個人的で繊細な領域だ。
一流の職人であるタンダルにはわかる。ここから先は、他人が触れていい領域ではない。
「……無理すんなよ」
タンダルは短くそう言うと、ふらつく足取りで外へと向かった。
だが。
部屋の隅、煤けた壁にもたれかかっていた若者は、動こうとしなかった。
「……ランダル。お前も出ろ」
マンダルが背中越しに声をかける。
しかし、孫は首を横に振った。
「嫌だ。見ている」
「あ?」
マンダルが振り返り、古傷のある鋭い眼光で孫を睨みつける。
だが、ランダルは怯まなかった。その目には、職人としての純粋な渇望が宿っていた。
「じいちゃんの『最後』なんだろ。……これを見逃したら、俺は一生後悔する気がする」
「……邪魔になるぞ」
「音も立てない。息もしない。俺はただの壁だ」
真っ直ぐな視線。
マンダルは鼻を鳴らし、ふいと視線を外した。
「……動くなよ。話すなよ」
「……ああ」
「壁になるなら、勝手にしろ」
マンダルは再び、鉄と向き合った。
目の前には、まだ熱を帯びた鋼。
これから形作られるのは、人生をかけた一振りの業物。
カン、カン、カン……。
静寂の工房に、澄んだ槌音だけが響き始めた。




