106. 指示待ちの子供たちと、冷たい紋様
レーマネを出発してから数日が経過していた。
道中、俺たちが揺られている荷馬車の中は、まさに「すし詰め」状態だった。
「……狭いな」
「密着してますねぇ。筋肉の熱気が充満して素晴らしい」
俺のぼやきに、ポショルが嬉しそうに答える。
現在の車内の布陣はこうだ。
荷台の奥に、俺と変態医師ポショル。
その対面に、巨体のポムキンと、職人のマンダル(彼は馬車のメンテナンス要員として、荷物と同化するように隅で寝ている)。
そして中央のスペースに、ムルミ、ホスマル、デリスの子供三人が座っている。
御者台にはスピディとダガン。
総勢8名。定員オーバーギリギリの過積載だ、新しいこの馬車でなければ無理だったろう。
だが、出発直後の混乱に比べれば、今は随分とマシになっていた。
「おい、ムルミ。水を飲め」
「……」
俺が指示すると、ムルミは無表情で水筒を受け取り、口に運ぶ。
彼女たちは、言葉を発しないどころか、生命維持に必要な行動すら自発的には行わなかった。食事も、睡眠も、そして――排泄さえも。
最初のトラブルは悲惨だった。
出発して半日、子供たちがモジモジすることもなく、突然その場で垂れ流しそうになったのだ。
「我慢しろ」と言えば我慢するが、今度は膀胱が破裂するまで我慢しようとする。
極端すぎるのだ。
『尿意や便意を感じたら、我慢せずに申告しろ。あるいは、休憩中に済ませろ』
俺がそう明確な「ルール(指示)」を与えたことで、ようやく最悪の事態は回避された。
今は『移動中は座って動かないこと』という指示を守り、人形のように静かに座ってくれている。おかげで足の踏み場もでき、窮屈さは多少解消されていた。
「……それにしても、奇妙ですね」
揺れる車内で、ポショルがムルミの腕を触診しながら呟いた。
俺たちはこの数日、暇さえあればこの「呪縛」の正体を探っていた。
「ここです。上腕の真ん中あたり」
ポショルが子供たちの服の袖を捲り上げる。
そこには、直径数センチほどの、複雑な幾何学模様の「紋様」が刻まれていた。
刺青のようにも見えるが、インクの滲みがない。まるで綺麗な紫色の何かを埋め込まれているかのような質感だ。
「触ってみてください」
「……ああ」
俺はそっと指先で紋様に触れた。
「……冷たい?」
ひやりとした感触。
子供たちの体温は温かいのに、この紋様の部分だけが、まるで氷か金属に触れているように冷たい。
だが、金属が埋まっているような硬さはない。それでも皮膚よりは硬い。
(【見る力】でも、詳細は不明か……)
俺は鑑定眼を凝らしたが、表示されるのは相変わらず【状態:呪縛】の文字だけ。
この紋様が魔術的な受信機なのか、それとも毒を分泌する器官なのか、さっぱりわからない。
「私の医学知識にも、これに該当する症例はありません。クサレッタという女、とんでもないものを開発しましたね」
ポショルがお手上げだとばかりに肩をすくめる。
俺はムルミの袖をそっと戻した。
「……とにかく、『システム』のところへ連れて行くしかないな」
「システム?」
「ああ、いや……ポルム教国のことだ。あそこの総本山なら、解呪の専門家がいるはずだ」
俺は誤魔化した。
完全な味方でもないこの男に話して良い内容ではないだろう。
国境を越え、最初の宿場町を過ぎたあたりから、街道の整備状況が良くなってきた。
ガタガタと跳ねていた車輪の音が、スムーズな回転音に変わる。
「おい、スピディ。次の街はどこだ?」
俺は小窓を開けて、御者台に声をかけた。
「へい。予定通りなら、夕方には『スタレン』の街に着きやすぜ。そこで一泊します」
「スタレン……か」
俺は記憶の引き出しを探ったが、該当する街の名前はなかった。
前世の『アーノル』として旅をしていた頃には、立ち寄ったことのない街だ。あるいは、この数十年で新しく発展した街なのかもしれない。
「どんな街だ?」
「牧畜が盛んな、のどかな場所らしいっすよ。治安も悪くないとか」
それは朗報だ。
今回の旅は、子供たちの体調を最優先にしている。
野宿は極力避け、多少迂回してでも街の宿に泊まるルートを選んでいた。野営で冷えて体調を崩されたら、元も子もないからな。
「……ボス、見えてきやしたぜ」
スピディの声に、俺は外の景色を眺めた。
夕日が沈みかける橙色の空の下、なだらかな丘陵地帯が広がっている。
そのあちこちに、木の柵で囲われた牧場が見えた。
草を食む牛や羊の姿。
「ほう……」
俺の目が、職業病のように牧場を捉えた。
遠目だが、良い牧場に見える。
今、馬車を引いている二頭(あの牧場で買った地味だが優秀な馬たち)も悪くはないが、長旅を見越して予備の馬や、交換用の馬を確保しておいても損はない。
「良さそうな牧場だな。……少し馬を見ていくか」
「へいへい。ボスの馬道楽が始まりましたよっと」
「人聞きが悪いな。リスク管理だ」
軽口を叩き合いながら、俺たちの馬車は夕暮れのスタレンの街へと滑り込んでいった。
未知の紋様への不安を抱えつつも、旅は今のところ順調に進んでいた。




