103. 鬼畜王の館と、値札のない商品
夜の帳が下りたレーマネの街。
表通りの華やかさとは裏腹に、裏路地には粘りつくような闇が溜まっている。その中でも一際異質な空気を放つ一角に、『ガミカース商会』の拠点はあった。
窓という窓は鉄板で塞がれ、中の様子は一切窺えない。漏れ出るのは甘ったるい香の匂いと、生理的な嫌悪感を催す湿った空気だけだ。
「……趣味の悪い建物だ」
俺は門の前に立ち、見上げる。本来なら叩き壊して踏み込みたいところだが、相手は「商会」だ。そして俺もまた、今は商人のふりをした貴族。ここは、商いの流儀でいく。
俺がポムキンに目配せすると、彼は心得たように門番に金貨を数枚握らせた。金は万能の鍵だ。門番は黙って懐にそれをしまうと、重厚な鉄扉を少しだけ開けた。
通された応接室で待つこと数分。現れたのは、豪奢な毛皮のコートを羽織り、扇子で口元を隠した一人の女性、クサレッタだった。
俺は目を細めた。
見る力、発動。
名前 クサレッタ
年齢 35歳
性別 女
状態 健康
能力 呪法
(……やはり、こいつか)
俺は表情に出さず、あくまで客として振る舞った。
「あら、あなたは……確かアケニースの坊やね?」
クサレッタは俺たちを見回し、鈴を転がすような声で笑った。クスクス、と喉の奥で嗤うその音には、底知れない狂気が滲んでいる。
「子供を買いに来ました。先ほど運び込まれた、7歳くらいの女の子だ」
俺が単刀直入に切り出すと、彼女は扇子をパチンと閉じた。
「ああ、あの子ですか。目ざといですねえ。ええ、いますよ」
彼女はニタリと笑った。
「でも、あの子は特別なのです。その……とても気に入っているのよねぇ。これから私がたっぷりと手をかけて、素晴らしい作品に仕上げるところなのです。……簡単にはお譲りできませんわね」
「いくらだ」
「白金貨2枚かしら」
クサレッタは涼しい顔で言い放った。足元を見るどころか、売る気がないと言っているに等しい。
「……高いな」
俺は眉をひそめた。
「だが、相場は知らない。……あんた、俺が子供だからってふっかけてませんか?」
「さあ? どうかしら。欲しいの? いらないの?」
クサレッタは楽しそうに笑い出した。金よりも俺が困惑し、焦り、懇願する様を見たいようだ。他者の感情を弄ぶことこそが、この女の娯楽なのだろう。
なるほど、そういう手合いか。ならば、こちらもやり方を変えよう。俺は表情から感情を消し、冷たく告げた。
「……白金貨1枚では?」
「は?」
クサレッタが目を丸くした。
「あら、減ってるじゃない。聞こえなかったのかしら? 2枚と言ったのよ」
「じゃあ、金貨90枚」
「……え?」
彼女の笑顔が凍りついた。予想外の切り返しに、思考が追いついていないようだ。
「80枚」
俺は間髪入れずに更に下げた。
「……っは、あはははは!」
突然、クサレッタが腹を抱えて笑い出した。狂ったような高笑いが、夜の屋敷に響き渡る。
「あー、おかしい! 最高だわ、坊や! 値上げじゃなくて、下げてくるなんて!」
彼女は涙を拭いながら、興味深そうに俺を覗き込んだ。
「いいわよ、80枚ね。その度胸に免じて売ってあげる。ついてきなさい」
計算も損得もない。ただ「面白かったから」という理由だけで、彼女は取引を成立させた。まさに狂人だ。
案内されたのは、屋敷の地下にある石造りの牢獄だった。湿った空気と、異臭が鼻をつく。その一角にある鉄格子の向こうに、3つの小さな影があった。
真ん中に座り込んでいるのが、目当ての少女ムルミだ。そして、その両脇には、さらに二人の子供が転がっていた。
誰も動かない。指先一つ、瞬き一つせず、ただ虚空を見つめている。まるで電池の切れた人形のように。
俺は彼らに視線を向けた。
名前 ホスマル
年齢 5歳
性別 男
状態 呪縛
能力 馬
名前 デリス
年齢 8歳
性別 女
状態 呪縛
能力 育
(……能力持ちか)
能力だけではない。完全に自我を封じられ、物言わぬ肉塊として扱われている彼らを見て、胸の奥でどす黒い怒りが湧き上がった。こんな場所に、置いておけるか。ここで俺が背を向ければ、彼らは完全に「壊される」。クサレッタの玩具として消費され、ゴミのように捨てられる未来しかない。
「……この2人は?」
俺は努めて冷静な声を装った。
「あら、その子達もお気に入り? 欲張りねえ」
クサレッタは鉄格子を扇子で叩いた。カン、と冷たい音が響くが、子供たちは反応すらしない。
「その子たちはあまり可愛くないのよ」
「2人で、白金貨1枚は?」
俺は即座に言った。ムルミの代金、金貨80枚。それに白金貨1枚を上乗せする。合計すれば、当初の彼女のふっかけた額に近い。だが、意味合いは違う。俺が提示した額だ。
「……そうねえ」
クサレッタは目を細め、俺と子供たちを交互に見た。
「いいでしょう。持って行きなさい」
彼女は興味を失ったように手を振った。俺が金に糸目をつけず「全て」を欲しがったことで、逆に興が削がれたのかもしれない。あるいは、白金貨1枚という即金に商人の本能が反応したか。どちらでもいい。助け出せるなら。
「スピディ、払ってくれ」
「へいへい。毎度ありーっと」
スピディが革袋から白金貨と金貨を取り出し、クサレッタに渡す。鍵が開けられると、俺は牢の中に入り、子供たちに手を差し伸べた。
「……」
誰も反応しない。俺はムルミを抱き上げ、ポムキンとスピディに他の二人を任せた。ムルミの体は羽のように軽く、そして氷のように冷たかった。
屋敷を出る時、背後からクサレッタの「また良い商品が入ったら呼んであげるわ」という笑い声が聞こえた気がしたが、俺は振り返らなかった。今はただ、この小さな命たちを、あの腐った闇から遠ざけることだけを考えた。
待たせていた馬車に子供たちを乗せ、俺たちは夜の街を駆け抜けた。その道中、俺の腕の中で死体のように動かないムルミを見つめながら、俺は静かに誓った。
絶対に、治してやる。




