102. 路地裏の薬師と、真夜中の買い物
カイルの工房を後にした俺たちは、夜風に当たりながら大通りを歩いていた。
懐には、かつて俺が投げ渡し、そして巡り帰ってきた白金貨の重みがある。
腹は満ち、懐も温かい。最高の気分だ。
「……ん?」
宿へ向かう曲がり角に差し掛かった時だ。
ふと、視界の端――暗い路地裏を、二つの人影が横切るのが見えた。
男が二人。そのうちの一人が、小さな「荷物」のようなものを抱えている。
いや、荷物じゃない。だらりと垂れ下がった細い腕。あれは子供だ。
(……人攫いか?)
関わるべきことでもないが、胸騒ぎがした。
俺は咄嗟に目を細め、意識を集中させた。
【見る力】、発動。
抱えられている子供の情報が浮かび上がる。
名前 ムルミ
年齢 7歳
性別 女
状態 呪縛
能力 薬師
「……またか」
俺は思わず足を止めた。
状態『呪縛』。
見覚えのある、禍々しい文字だ。
晩餐会で見たクサレッタの従者、そしてハインツ商会で見た女奴隷と同じ状態異常。ポショルが「理解不能な術」と称した、人の心を縛るあの力だ。
だが、それ以上に俺の目を釘付けにしたのは、その下の項目だった。
能力『薬師』。
薬を作る力。
この能力を持つものを見たのは初めてだ。ポショルは薬学だが、まああれはなー。
(……あんな原石が、呪いで潰されるのか?)
「……ボス? どうしました?」
俺の様子が変わったことに気づき、スピディが声をかけてきた。
「スピディ。あの二人組が見えるか?」
俺は顎で路地裏をしゃくった。
「ええ、見えますよ。柄の悪そうな連中ですね」
「あいつらを点けろ。アジトを特定するんだ」
「へ? 今からっすか?」
「ああ。危険は避けろよ。深追いはするな。会話が聞こえたらラッキー程度でいい。場所がわかったらすぐに宿に戻ってこい」
「……了解っす。人使いが荒いなぁ」
スピディはぼやきながらも、瞬時に気配を消し、闇に溶けるように路地裏へと消えていった。
「ポムキン、俺たちは宿に戻るぞ」
宿に戻ってから、茶を一杯飲み終える頃には、スピディが窓から音もなく戻ってきた。
さすがは『影』だ。仕事が早い。
「窓から入るな。どうだった?」
「……ちと、きな臭いっすね」
スピディは神妙な顔つきで報告を始めた。
「奴らが入っていったのは『ガミカース商会』……あのクサレッタって女が仕切ってる商会の裏口でした」
「やっぱり、あそこか」
「中までは入れませんでしたが、換気口から少しだけ会話が拾えました。『もう終わったのか?』『第一段階はな。子供は壊れやすいから慎重にやれ』『全く反応がなくなるのは値打ちが下がる』……とか、そんな物騒な内容でしたぜ」
「……なるほどな」
『第一段階』。
おそらく、自我を奪って従順な人形にするための処置――あの『呪縛』を植え付ける儀式を行っている最中なのだろう。
子供を拾い、あるいは攫い、徹底的に調教して高値で売りさばく。奴隷商人の中でも一番下衆な連中のやり口だ。
「『上の指示を聞きに行かねぇとな』とも言ってました。まだ完全に手遅れってわけじゃなさそうですが……」
スピディが言葉を濁す。
「……よし」
俺は立ち上がった。
「スピディ、ポムキン。行くぞ」
「は? 行くってどこへ?」
スピディが目を丸くする。
「決まっている。そこだ。その子供を買う」
「ええぇ……マジっすか? もう夜ですよ? 俺、今日は走り回ってクタクタなんすけど……」
「馬鹿言え。夜こそが奴隷売買の本番だ。昼間に堂々と人身売買をする商人がどこにいる」
「いや、まあそうですけど……」
俺には確信があった。
あの子供――ムルミには価値がある。
生まれつきの『薬師』。そんな逸材を、自我のない操り人形にされてはたまらない。ここで見過ごして廃人にされては、目覚めが悪いどころの騒ぎではない。
「ポムキン、金を持て。さっきの白金貨もだ」
ポムキンは文句ひとつ言わず、武器と金袋を準備した。
「おい、ポショルはどこだ?」
部屋を見渡すが、あの変態紳士の姿がない。薬のことなら専門家の意見も聞きたかったが。
「ああ、あの先生なら『この街の夜の生態系を調査してくる』って言って、酒場街へ消えましたよ」
「……チッ、肝心な時にいないな。まあいい、奴は放っておけ。行くぞ」
「へいへい……。今日のボス、なんかスイッチ入ってません?」




