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 『孤独』の先で待つ


「ぁ……ッ? なん、で……ッ……?」


 ────動けない。


 足が、腕が、全身が……まるで、すくでいるかのように、忽然と小刻みに震え出してしまい……一歩を前に踏み出すことすら出来なかった。


 まさか、『怖がっている』……?


 あたしが……?


 誰に……?


 どうして……?


「──どうした、来ないのか?」

「調子に、乗ってンじゃッ……今、行って、やらッ…………くッ、そ……なんでッ……なんで、だ……ッッ!? なんで、足ッ、動いて、くれ……ね……………………」


 ふと、視線を英雄の方へ向けた時……瞬間的に、本能的に、全てを察した。



 ────こいつだ、と。



 今、ヤツには【具念】は無い。


 外見に変化が起こった訳ではない。


 しかし。


 ヤツがカッと目を見開いた瞬間、背筋が一気に凍り付くような恐怖心が全身に襲い掛かってきた。


 その冴えない外見の背後から、何か、こう……。



 ────言葉では言い表せない『気味の悪い化け物』が、這い出てきているかのように。



 何だ……?


 今、あたしは……『なに』と対峙している……?


 いつか話に聞いた、『物の怪』ってのは……こういうことなのか……?


「……ぁ……ぁ、ァ………………ぁァ……ッッ……」


 全身が、本能が、何度も何度も何度も何度も何度も何度も……鬱陶しい程に、警鐘を鳴らし続ける。


 逃げろッ、と……。


 無理だッ、と……。


 殺されるッ、と……。


 息は乱れ、全身から汗が噴き出し、頭の中はぐるぐると回り始めて……ヤツに睨まれているだけで、気が狂いそうな感覚に苛まれていた。


 もう、勝ち負けどころじゃない。


 あまりの恐怖に思わず後退りし掛けたところで、英雄がさりげなく一歩を踏み出すと、反射的に身体が硬直する。


「────」

「ひッ、ぐ……ッ!?」


 『狂気』が近付いてくる。


 だが、それでも、立ち向かうことも、逃げ出すことも出来ず……ただただ、立ち尽くして……ゆっくりと近付いてくる英雄を見つめるしか、出来ることがない。


 そして。


 ヤツが、あたしの身体の脇を通り抜けた瞬間……。


 その僅かな風圧だけで、ガクンッと膝の力が抜け、その場に尻餅をついてしまった。



 ────ただ、『通り抜けた』だけ。



 ただその行為だけで、あたしは────圧倒的なまでに『敗北』した。


 全身を汗でグッショリと濡らし、まるで、これまでずっと息を止めていたかのように、切れ切れな呼吸を繰り返す。


「ハッ、ハッ……ァ……ッ」

「ハッキリ言っておく────お前じゃあ、俺を乗り越えるにはまだ早すぎる」

「…………ッッ」


 何も……言い返せなかった。


 こんなにも……こんなにも、一方的で、屈辱的で、圧倒的な敗北は……今まで、経験したことすらない。


(────クッッ、ソ……ッ)


 予想を、悪い意味で、遥かに超越する展開。


 何も考えられず、ただ唖然と、未だに小刻みに震える自分の手を見つめていると……背後で、ふいに英雄がこう呟いた。


「お前の考え方は、正しい訳ではない────ただ、間違ってもいない」

「………………え」


 再び、予想だにしなかった発言に、反射的に顔を上げる。


「お前の進んでいるのは、茨の道だ。きっと、大多数の人には理解されないだろうし、むしろ批判ばかり受けるようになる。だけど、お前はそれを受け入れた上で、傷付きながら進んでいくつもりなんだろ?」

「……それが、なんだ……今更……」

「だったら俺は────お前の壁となり、指標となる」

「──な……っ!?」

「この世界にはきっと、お前みたいな存在が必要だ。だから、疑うな。『悪』の道を貫く覚悟があるなら、ただひたすらに突き進め。お前なら、きっと出来る筈だ」

「…………ンだよ……それ……ッ」


 その時、肩越しに振り返ったヤツの後ろ姿は、これまで以上に鮮明に映った。まるで、あたしの姿が、ヤツの姿に重なるような不思議な感覚を覚えて、ふいに察知する。


 かつてはヤツも、今のあたしと『同じ道筋』を歩んだ……?


 人々から批判され続けた、孤独の道を……?


 だから、待っていてくれているというのか……?


 この道筋を進んだ、その先で……?


「そして、いつの日か────『英雄(俺)』のことを、お前自身の力で、完膚なきまでに否定しに来てみろ。俺は、いつでも受けて立ってやる」

「……ッ!!」


 あの『河童』が、『悪』によって殺された時から……。


 『悪』をもって『悪』を制すと決意してから……。


 『悪童』と呼ばれ、厄介者扱いされる日々……誰にも理解されず、だんだんと孤立していく日々……。


 別に、それでも全然構わないと思っていた。


 欲しかったのは、同情などではない。


 求めていたのは、共感などではない。


 ただ。


 それを否定せず、かといって肯定もせず……あたしという存在を信じ、『打ち負かす』という形で、ここまで思いっきり背中を『後押し』されたのは……。



 ────生まれて、初めての経験だった。

 


「……ッ…………く……そ……ッ」


 屈辱感は拭えない。


 だが、それ以上に────身に余るだけの信頼を、受けてしまった。


 それを受けたあたしは、途端に目尻が熱くなって……全力で声を押し殺しながら、血が滲む位に唇を噛み締める。


 こんな情けない姿を……せめて、英雄には、見られるわけにはいかなかったから。


「────おねえちゃん、ないているの?」


 いきなり、そんな声を掛けられて顔を上げると、見覚えのある幼い顔が、目の前であたしの顔を見つめていた。


 先程、牢屋でやり取りを交わした、ウリカだ。


 その隣には、彼女の保護者代わりの老人が傍に付いている。


 あたしは慌てて目元を擦りながら、二人を見上げてた。


「お前らは……」

「──も、申し訳ありません。覗き見するつもりはなかったのですが……あの、出口がどちらにあるのか分からなくなってしまって……」

「……ぐすっ…………あたしの後ろに見える通路を行けば、そのまま出口に出られる……」

「そ、そうですか……っ! あぁ良かった、ありがとうございます……っ!」

「さっさと逃げた方がいい……地上では今頃、『おっかねぇ奴ら』が暴れまわっている……このリダウト王国にいたら────この国ごと、消し飛ばされンぞ……」

「な、なんと……!? な、なにがなんだか分かりませんが、危険だということですね……!? さぁ、急いで行きましょう、ウリカ……!」


 ウリカを急かして、老人らしいフラついた足取りで走り出した。


 そうやって英雄の隣を通り抜けていこうとしたところで……忽然と、英雄がこんな発言を口にしたのだ。


「────オイ。何処へいくつもりだ、そこの『ジジィ』」

「…………え?」

「────まさか『お前』、そのまま逃げるつもりじゃないよな?」

「え、英雄……? お前……なにを、訳の分からねぇこと言って……?」


 瞬間、その場に奇妙な沈黙が流れると、全員の視線が英雄へと向けられる。


 一方、英雄がその鋭い目付きで、真っ直ぐに見つめていたのは────明らかに怯えた様子で顔を青ざめさせる、ただの老人だったのだ。

 







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