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 標と柱(1)



「──あれっ、母上?」

「ん?」


 囲炉裏の居間に入った時、呆気に取られた様な声を上げたイブキの視線の先には……窓の傍に立ち、外の景色を眺めるキナの姿があった。


 イブキの声に反応して肩越しに顔を向けたキナは、今にも消え入りそうなか細い声で、娘の名前を口にする。


「──イ、ブ、キ……」

「母上っ……良かった、起きたんだね」


 ようやく再会した、母と娘。


 決して全快したとは言い難いが……母親の姿を見たイブキは嬉しそうな表情を浮かべて、早足に彼女へと寄り添っていく。


 微笑ましい光景だ、とそんなことを感じながら、目の前の二人を代わる代わる眺めていると……ふと、こちらへゆっくり振り返るキナの姿に、違和感を抱いた。


 キナのはだけた胸元に、薄らと『紫色の痣』らしきモノが見えたのだ。


 あれは、確か────そいつの正体を瞬時に思い出したと同時に、俺は反射的にイブキへと声を上げた。 



「──イブキっ!! 『そいつ』に近寄るなっ!!」



「へっ?」


 しかし、時既に遅し。


 イブキの隣で素早く動いたキナが、突如、彼女の首に腕を回して締め付けて拘束した。


「ぁぐっ!?」

『──アー……ア、ァ、あ、あー────ククッ、これにて第二フェイズ、実験成功だ』


 これは、キナなのか……?


 まるで声色を調整するかのように途切れた女性の声を漏らしてから、ニタリと不敵な笑みを浮かべる。


 彼女が口にした、いかにも研究者らしきフレーズには、何処か聞き覚えのある雰囲気を感じた。


「まさか────ドクター・ラスか?」

『数日ぶりだなぁ、湊本エルマ』

「そう、か……警告を受けておいて懲りずにやって来るとは、執念深い奴だな。その有り様は、一体何の冗談だ?」


 そう問い掛けると、キナ……いいや、ドクター・ラスは、イブキの首を絞めながら片腕を広げ、誇らしげに語り始めた。


『素晴らしいだろう? これぞ、我らが開発した【呪術】の完成形だ。自らを霊体化させて他者の身体に【憑依】し、その者の身体コントロールを得る力。今私はまさに────古地鬼那こじのきなそのものとなったのだよッ!』

「【憑依】、ときたか……」

『クククッ、根気よく身体の内から外を隅々まで調べた甲斐があったものだ。あぁ、この漲る力、研ぎ澄まされた神経……鬼というモノは実に素晴らしい。これだけの身体を御せれば、世界の覇者となるのも夢ではないだろうなぁ?』


 何だろうか……以前会った時とは、明らかに様子が違う。


 あれはまるで、虎の威を借る狐のようだ。何か、俺みたいな代闘者に匹敵するくらいの、強力な後ろ楯でも得たのだろうか。


 密かにそんな推察をする一方……ドクター・ラスに拘束されるイブキが、思い切り歯を噛み締め、腕を力ずくで引き剥がすと……。


「──ふざッ、けんなァッ!!」

『むぉっ!?』


 その胸ぐらを鷲掴みにして、背負い投げの要領で、目の前の壁へ思い切り投げ付ける。


 ズガンッと叩き付けられた衝撃でボロ家の壁は突き破れ、ドクター・ラスは、そのまま外へ転がっていってしまった。


 家の壁に穴が……少しだけショックを受けながらもイブキの傍に寄り添うと、彼女はカタカタと腕を震わせながら、顔を恐怖でひきつらせていた。


「はぁッ、はぁッ…………まさ、か……」

「イブキ?」

「母上の、腕────すごく、冷たかった……まるで、生気が無いみたいに……ッ」

「──!」


 不吉な予感が脳裏をよぎる。


 ここ数日間、一度たりとも目を覚まさなかったのは、どうにも不可解だとは思っていたが……まさか……。


 すると、こちらの推測を裏付けるように、壁の向こう側で立ち上がったドクター・ラスが、衝撃的な真実を暴露するのだった。



『ぃっつ……ククッ、ククク……ッ! 当然だろう。この鬼は────とうの昔に、死んでいるのだからなぁッ』



「──ッ!?」


 あまりにも突然に露見された、残酷な現実。


 せめて、それだけは……その推測だけは、外れていて欲しかった。


 だが、そう考えれば……キナほどの実力者が、アッサリと【呪術】とやらに操られているのも、納得出来る。


 彼女は、衰弱していた訳ではない。


 もう、抵抗すら出来ない哀れな身体になっていたのだから。


「ラボから連れ出した時は、まだ息はあった筈だが……?」

『それもまた、【呪術】の一種。死した者を術者の思い通りに動かす術なのだが……これはまだ開発段階なものでなぁ。まぁ、死んで役立たずになった身でも、良い研究材料になってくれたぞ、コイツは』


 どこまでも、最低な言い草だ。


 それを耳にしたイブキは、一瞬だけ身体を震わせると……憤怒だけが滲み出た顔つきでドクター・ラスを睨み付け、怒号を発した。


「そうやって……死して尚も、母上の身体を弄ぶのか────このッ、クズが……ッッ!!」

『ククッ、いいやぁ? 実験は、むしろこれからよ。次なる最終フェイズの始動と共に────妖族滅亡へのタイムリミットが始まるのだ……ククッ、クハハハハハハッ!!』


 鬱陶しいまでに愉悦に浸ったような笑い声を上げながら、ドクター・ラスはその場から立ち去る。


 それを追って、イブキは慌てて壁の穴から外へ飛び出すが……直ぐに立ち止まって力なく項垂れ、今にも泣きそうな小さな声で母のことを呼ぶ。


「母、上……っ……」

「嫌な予感がするな……イブキ、お前はここで待っていろ」

「………………うぅん、大丈夫。ワレも、行く。ドクター・ラス……アイツだけは────絶対に、許さないッッ」

「──!?」


 イブキの隣に立って気遣いの言葉を投げ掛けるも……彼女はゆっくりと顔を上げ、そのこめかみに血管が浮き出る程に、強烈な怒りを剥き出しにしていた。


 その形相は────まさに『鬼』の如く。


 思わず、こちらが気圧されそうな強い気迫を目の当たりにした時、俺たちの前に、いつもの女天狗が風と共に出現した。


「──お二方」

「天狗……!」

「キナ殿は、里の方へ下りていきました。ですが、お気をつけ下さい。なにか────悪いモノが近付いている……そんな予感が致します」







─※─※─※─※─※─※─※─※─※─







 キナの姿をしたドクター・ラスが里に下りれば、それを目の当たりにした妖族たちが、こぞって彼女の周りに集まってくる。


「キナさん……?」

「頭目っ! もう起きて大丈夫なんですか!?」


 それは、キナと妖族の間に繋がれた強い信頼の証。


 彼女が無事に目を覚ましたことを、彼らは満面の笑みで祝福していた……目の前に立つ人物が、悪意の塊であることも知らずに。


『……ククッ、どいつもこいつもバカ面を並べてやがる』

「と、頭目……?」


 最早隠すつもりもなく、ニヤけた笑みを浮かべるキナの顔つきを見て……途端に、妖族たちの顔に動揺の色が浮かぶ。


 彼らの心配を他所に、ドクター・ラスは意識を集中させると……キナの身に秘められた妖力を、惜しげもなく発動させた。


『さぁ、私に見せてくれ、古地鬼那こじのきな。ハグレ者でありながら、妖族の頭目として認められるに至った、その力を────【百鬼夜行ひゃっきやこう】』


 その時、周囲に一筋の波動が広がったと思ったら……。


 武器を手にする餓鬼衆の面々が、突如、狂ったように周りの仲間たちを攻撃し始めたのだ。


「ァ……ッ!?」

「お、オイッ!? 急に何しやがんだッ!?」

「グ、ガッ!? カ、身体ガ、勝手ニ……ッ!?」

「クソ……ッ! 暴れている奴らを押さえろッ!!」


 里民たちは慌てふためき、餓鬼衆が暴れる者を何とか取り押さえようとする。


 その光景を呑気に傍観するドクター・ラスは、顎に手を当てて、愉しそうに不気味な笑みを浮かべていた。


 しかし、悪夢はそれでは終わらない。


『ふむふむ、これも推測通り。自身の妖力を他者に混入させて意識を支配し、自らの従者と化す能力、か……ククッ、なるほど。まさに、軍勢を率いる者に相応しき力ではないか。それに……』


 続けて、何処からともなく里に落下してきたのは────『人造魔人デーモン』。


 ナビードの『魔域支部』で生産されていたのを、ドクター・ラスの独断でここまで運送していたモノだ。


 しかも、一体、二体、どころではなく……十体、二十体と、とてつもない数が出現。それらはその強靭な腕を振るいつつ、数え切れない【魔術】を乱発し、里の景観を滅茶苦茶に破壊し始める。


「つ、次はなんだっ!?」

「こいつらッ、襲ってきてッ……うわぁぁぁぁぁっ!?」


 餓鬼衆が何とか対応しようとするものの、人造魔人が振るう圧倒的な力の前では、一向に歯が立たない。


 戦う術を持たない里民も餓鬼衆も人造魔人の襲撃に倒れ、里の住居は次々に燃やし尽くされ……気付けば、往古盆地は戦火の渦に呑み込まれていた。


『──ん?』


 そこで、里の端をうろついていた人造魔人が────何かの衝撃で、木っ端微塵に弾け飛んだ。


 続けて、その隣の奴も、更にその隣の奴も、立て続けに破壊されていくのを、ドクター・ラスは目撃する。


 しかし、彼が慌てる様子は微塵にもない。



『ククッ、来たか。さて、なれば次は────妖族の柱をへし折ってやるとしよう』



 そう不吉な言葉を呟きながら、彼はその戦火の中に紛れるように……ゆっくりと姿を眩ませるのだった。










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