第15話 タイムカプセルの苦い澱(おり)
母校の旧校舎を借り切って開かれた同窓会は、夜が更けるにつれて熱気を帯びていた。
かつては泥だらけになって校庭を駆け回っていた同級生たちが、今や立派なスーツに身を包み、あるいは洗練されたドレスをまとい、それぞれの現在地について語り合っている。グラスが触れ合う軽やかな音と、あちこちで巻き起こる笑い声が、懐かしい木の廊下に反響していた。
「いやあ、晴夫はすごいよな。まさか、あの有名ゲーム会社のメインシナリオライターだぜ? 子供の頃からの夢を本当に叶えちまうんだから、やっぱり大したもんだよ!」
特設された宴会場の隅で、ビールグラスを手にした男が、心からの称賛を込めて晴夫の肩を叩いた。
三十代半ばを過ぎた晴夫は、すり減った安物のスーツの襟を少しだけ正し、誇らしげな、しかしどこか引きつった笑みを浮かべて頷いてみせた。
「はは、まあね。企画からプロットの構築まで、全部俺の頭一つで動かしてるようなもんだからさ。最近は寝る暇もないくらい忙しいんだよ」
口から出まかせの大嘘だった。
ゲームのシナリオライターとしての実績など、一度たりとも存在しない。現実の晴夫は、日雇いのアルバイトを転々とし、アパートの家賃すら滞りがちな底辺の生活を送っていた。明日食べるパンの金すら少しない極貧のなかで、この同窓会の案内状を受け取った時、晴夫のなかに巣食っていたのは「惨めな姿を笑われたくない」という強烈な恐怖と、歪んだ虚栄心だった。
ここで「負け組」だと思われるくらいなら、盛大な嘘をついて「成功者」を演じきってやろう。そうして積み上げた嘘は、酒の勢いも手伝って、すでに自分でも引き返せないほどの高さに達していた。
だが、その偽りの城は、突如として持ち込まれた一つの木箱によって、音を立てて崩れ去る寸前まで追い込まれることになる。
「おいみんな! 校庭の裏手から、当時のタイムカプセルが綺麗に掘り出されたぞ――!」
幹事の男が、泥のついた古い木箱を抱えて宴会場に飛び込んできた。
「うわあ!」
「懐かしい!」
「マジで埋めたままだったのかよ!」
会場が一気に沸き立ち、みんな歓声を上げながらその木箱の周りに群がった。二十年前、自分たちが中学生だった頃に未来の自分たちへ宛てて埋めた、思い出のタイムカプセルだった。
蓋がこじ開けられ、中から色褪せたノートや、当時の流行りだった雑誌の切り抜き、そして誰もが忘れていたガラクタが次々と取り出されていく。
そして、その底から、一人の女子が声を上げて奇妙なものを取り出した。
「あ、これ……当時みんなで流行ってたお菓子のオマケ付きスナックだ! うわ、未開封のまま入ってたよ!」
掲げられたのは、二十年前のゲームタイトルのイラストがプリントされた、色褪せたパッケージのスナック菓子だった。当然ながら賞味期限など遥か昔に切れている。だが、誰かが「うわ、懐かしい! 中身どうなってんだろ、ちょっと開けてみようぜ!」と冗談半分でパッケージの封をビリビリと切り裂いた。
プシュッ、と湿気た空気が漏れ出し、中から出てきたのは、原型を留めないほどドロドロに湿気り、異臭を放つ茶色い澱のような塊だった。二十年の歳月が密閉された空間で作り上げた、見るも無残な「食べ物のなれの果て」
――つまり、究極の残飯だった。
「うわ、臭っ! なんだこれ、ただのゴミじゃねえか!」
「当たり前だろ、二十年前だぞ!」
周囲がげんなりと笑い声を上げ、その気味の悪いお菓子の残骸をすぐにゴミ袋へ放り込もうとした、その瞬間だった。
晴夫は、そのスナック菓子のパッケージに印刷されていたキャラクターのイラストを見た瞬間、全身の血液が逆流するようなめまいを覚えた。
それは、中学生の頃の自分が、寝食を忘れてのめり込み、「いつかこんな最高のストーリーを書く人間になってやる」と誓った、原点のゲームだった。
そして、そのパッケージに添えられていたのは、当時の自分が書いた「未来の自分へ:大人気シナリオライターになって、このお菓子を一緒に食べる大人になっていますように」という青臭いメッセージカードだった。
「……っ」
喉の奥がキュッと締め付けられ、冷や汗が一気に噴き出す。
嘘をついて笑っていた仮面が、音を立ててひび割れていく。周囲の笑い声が遠ざかり、晴夫の足は勝手に後じさっていた。耐え切れなくなった彼は、誰にも気づかれないよう、賑わう宴会場からそっと身を翻し、薄暗い旧校舎の廊下へと逃げ出した。
たどり着いたのは、人の気配のない古い家庭科室だった。
埃っぽい空気が漂う部屋の中で、晴夫は流し台に手をつき、荒い息を何度も繰り返した。
「はぁっ……はぁっ……なんだよ、あれ……ふざけんなよ……」
頭が割れそうに痛かった。
自分は何をやっているのだろう。大嘘をついて、惨めさを隠して、何がシナリオライターだ。明日の食事すらままならないくせに、何が成功者だ。二十年前の自分が描いた夢の残骸が、今の自分の無様な姿を冷笑しているように思えてならなかった。
「――へえ。華やかな同窓会の裏で、一人だけ冷や汗を流して隠れんぼとは、随分と脂ぎった夢の残骸だねえ」
突如として、暗がりから鈴を転がすような、しかしどこか冷徹な少女の声が響いた。
晴夫がびくりと肩を震わせて振り返ると、調理実習台の縁に、一人の少女が軽やかに腰掛けていた。動かすたびにふわりと揺れる長めの栗色の髪。フリルとリボンがあしらわれた、どこか時代錯誤な奇妙な衣装。年齢は十代半ばほどに見えるが、その深い色の瞳は、夜の闇の中でも不思議な光を湛えていた。
「な……お前、誰だ……? ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ……!」
「ノコリ。ノコリでいいよ」
——残飯の女神ノコリ。
ノコリはくすくす笑いながら晴夫に近づいてきた。その態度は、人間の焦燥など一切意に介さない、超越的な軽妙さに満ちていた。
「さっきの校庭の箱、面白かったねえ。二十年前に誰かが埋めたお菓子のなれの果て。すっかり湿気って、見る影もない残飯になってたよ」
「なんだと……お前、あの場にいたのか……? って、勝手に人のプライベートに入ってくるな! 出ていけ!」
晴夫が苛立ちに任せて追い払おうと手を伸ばすと、ノコリはひらりと身軽に台から飛び降り、驚くほど素早い動きで晴夫の手首を掴んだ。
そして、彼女の懐から取り出されたのは、まさにさっきタイムカプセルから発掘され、ゴミ箱に捨てられかけていた、あの古いスナック菓子の湿気った破片だった。
「おい、待て、それに触るな……っ!」
「ダメ。残された理由を、少し見せてもらうよ」
ノコリがその不気味な残飯の端切れにそっと指先を触れさせた瞬間、家庭科室の空気がピタリと凍りついた。
瞬間――。
晴夫の視界が歪み、脳の奥底をハンマーで殴られたような強烈な衝撃が走った。
——魔法『残響』。
二十年前のまばゆい光景。
中学生の晴夫が、仲間たちと笑い合いながら、夢の未来を語り合ってタイムカプセルを埋めている。
その瞳には、無限の可能性と、世界を変えられるという純粋な熱量が満ちていた。
『俺は絶対に、すごいストーリーを書く人間になるんだ!』
だが、その映像は容赦なく現代へと引き剥がされ、その後の無様な現実へとスライドしていく。
努力を怠り、言い訳を重ね、チャンスから逃げ続け、気づけばただ歳だけを重ねた怠惰な日々。
日雇いの現場で泥まみれになりながら、「自分はまだ本気を出していないだけだ」と呪文のように呟き続けるみじめな背中。
「あ……あぁ……っ!」
晴夫は頭を抱え、その場に崩れ落ちた。
脳裏に焼き付いたのは、過去の輝かしい幻影と、それを自らの手で少しずつ腐らせてきた現在の空っぽな姿の、あまりにも残酷な対比だった。
「見えたかい?」
冷ややかなノコリの声が、晴夫の耳元に突き刺さる。
ノコリは湿気った菓子の破片をそっと手放し、憐れみすらない深い瞳で彼を見下ろした。
「あの箱に入っていたのは、夢の続きじゃない。あんたがここに至るまでに捨ててきた、無数の『現実逃避の言い訳』だ。夢にしがみついているつもりで、実際はただ、時間の流れから目を背けて立ち止まっていただけじゃないか」
「違う……! 俺はまだ……まだ諦めてない……!」
声を絞り出すように晴夫が叫んだが、その言葉にはもはや何の力も宿っていなかった。
ノコリはフッと鼻で笑い、静かに首を振る。
「見栄を張らなきゃ自分を保てないなんて、随分と窮屈な人生だねえ。残された理由は分かったよ。……さて、どうするの? いつまでそのボロボロの幻にしがみついているつもり?」
「うるさい……! お前に何が分かる! 俺の人生の何が分かるっていうんだ!」
絶望と怒りに駆られ、現実から逃げ出すように立ち上がった晴夫の視界に、家庭科室の壁際に立てかけられていた大きな姿見(鏡)が飛び込んできた。
そこに映し出されていたのは、ごまかしようのない「現実の姿」だった。
すり減ってヨレヨレになった安物のスーツ。
血走った目と、深く刻まれた疲労のシワ。
かつて未来の自分に夢を託した少年の面影など微塵もない、ただの、夢見ることから逃げ続けた老け込んだ中年の男が、そこにポツンと立っていた。
「……これが……俺……?」
声が出なかった。
タイムカプセルが暴き出したのは、二十年という残酷な経過時間と、自分が作り上げた「成功者」という虚構のウソを、一瞬で木端微塵に粉砕する鏡の中の現実だった。
浦島太郎のようだった。
自分だけが、かつて夢見た美化された物語のなかに閉じこもったまま、現実という名の荒野に取り残されていた。
「あ……あぁ……あぁぁぁ……っ!」
言い訳の糸が完全にプツリと切れ、晴夫はその場に両手をついて、声を殺して号泣した。
もう見栄を張ることも、嘘をつき続けることもできなかった。自分がどれほど滑稽で、どれほど臆病な人間だったのかが、痛いほどその身に突き刺さっていた。
しばらくして、晴夫が顔を上げた時、家庭科室の中にノコリの姿はもうなかった。
ただ、床の隅に、あのタイムカプセルから出てきたスナック菓子の粉々になった残骸が、寂しく散らばっているだけだった。
晴夫は震える手でその粉をそっと拾い集めると、ゆっくりと立ち上がった。
涙で濡れた顔を袖で乱暴に拭い、彼は鏡の自分をもう一度だけまっすぐに見据えた。
カッコ悪くてもいい。底辺の泥水をすすることになってもいい。
もう二度と、虚構のなかに逃げ込むことはしない。現実の重みをすべて背負い、自分の足で明日を生きる。
晴夫は一礼するように深く息を吐き出すと、振り返ることなく、暗い廊下を抜けて夜の街へと歩き出した。
旧校舎の屋根の上。
ノコリは手すりに腰を掛けると、手元に広げた使い込まれた古い日記帳に、静かに細いペンを走らせていた。
『人間は、叶わぬ夢にすがりつく時が一番見苦しく、そして哀しい。タイムカプセルという名の甘いタイムマシンに逃げ込み、自分の現在地を見失った男の顔は、随分と苦い澱に満ちていた。彼が残したお菓子には、眩しかった過去と、目を背け続けてきた現実の重みが混ざり合っていた。……まったく、浦島状態の大人ってやつは、どうしてこうも時間を無駄にしたがるんだろうね』
パタン、と音を立てて日記帳を閉じると、ノコリは懐にそっと抱え直した。
遠くの街の灯りのなかを、一人でトボトボと歩いていく晴夫の背中が見える。
決して華やかな後ろ姿ではなかった。けれど、その足取りには、幻影ではない確かな「現実の重み」が宿っていた。
「さて……次はどんな残飯が、私を待っているのかな」
ノコリはふっと口角を上げると、夜の闇へと軽やかに溶けるように歩き出していくのだった。




