8、煉獄の祭壇へと向かう愚者
スペアキーを手渡し、弁慶の記憶探しを始めた日の夜、久し振りに妹の咲楽から連絡が入っていた。
内容は簡潔で明日、遊びに行ってもいい? という単純明快なものだった。
自殺した克也君と瓜二つの男性を見て、咲楽は一体何を思うだろう……。
記憶を失っていると説明しても、そう簡単に受け入れては貰えないかもしれない。
それを考えるといくら考えても決心が付かなかった私は引っ越して部屋が狭くなった上に、片付けが終わっていないからと嘘をついて、咲楽の訪問を回避した。
それから、一週間の時が流れた。
克也君の記憶を求めて、街を歩いたが目ぼしい成果もないまま、依然として変わらず弁慶との共同生活は続いている。
その日は強制参加の飲み会を終えて、疲れた身体を引きずってアパートに帰宅した。
お帰りなさいと迎えられた瞬間、私は零れ落ちそうになる涙を堪え、弁慶に抱きついていた。飲み会を終えた日の夜に感傷的になるのはよくあることだった。
「お酒臭いですよ、どうしたんですか?」
心配そうにする弁慶の声が耳をくすぐる。半分、酔いは醒めているのに、染み付いた心の痛みが消えてくれない。こんな生活をいつまで……。
大した給料が貰えるわけでもないのに、終わりの見えない残業に上司への接待。少しでも拒絶した態度を取れば、どうなるか分からない恐怖が私を覆い尽くしていた。
「ゴメンね弁慶、今日だけは許して。みんな、貴方みたいに優しい人ばかりだったら良かったのに……」
「佳織さん……ごめんなさい、分かってあげられなくて。夜遅くまで付き合わされて、お仕事大変なんですよね」
最初に出会った日も残業に飲み会と酷い目に遭っていた。
だから自然と私の憂鬱さが伝わってしまったのかもしれない。
大きな胸板に包み込まれ、簡単に心を許してしまう私。
口から漏れ出ていく弱音。
お酒の力のせいでこのまま彼に慰められたくなる衝動を抑えられない。
気づけば、私はベッドに倒れ込み、弁慶の身体を離すことができないでいた。
「身体が震えてるよ。寒いんですか?」
「そうかもしれない」
「じゃあ、このまま温めますね」
「お願い……」
嫌悪でしかなかったはずの男性の身体に包まれる。
感じたことのない感触が私の冷めた体温を温める。
限界を迎えた私を奮い立たせてくれる温かな光。
私には彼が必要なのだと、はっきりとこの瞬間、全身から理解した。
「お姉さん、俺、もう我慢出来そうにないです」
「こんな情けない女に欲情しちゃったの?」
「そうみたいです。但し、お姉さんは凄く魅力的な女性ですけど」
「私は全然、お姉さんなんかじゃないわよ」
「それを言ったら、俺も弁慶じゃないです」
家を失くした彼を慰めるのが私の役目だったのに、彼は私の頭を優しく撫でる。それが、私達を一組の男女へと誘っていく合図だった。
「でも、同情で抱かれるのは嫌いよ」
「毎日、ここに泊めてもらえて、記憶探しも手伝ってくれて、心から感謝してます。だから、これも当然の対価です」
「四十点ね」
「赤点ギリギリセーフですね」
何がきっかけになるかなんて人生分からないものだ。
そう思いながら、彼の唇を受け入れる。
甘く蕩けるような感触が刺激的な雨を私に降らせる。
子ども時代の甘え方をすっかり忘れた私の手を掴み、優しく手指を絡め合わせる。
勢いに任せて情熱的に交わされるキスの感触がさらに私の理性を揺れ動かし、彼の存在を素直に受け入れていく。
気付けばレディーススーツを脱がされ、ワイシャツまで脱がされる。
下着姿になり、守るべき障壁がいよいよ無くなっていく。
もう、いいだろう……。
彼の持つ優しさに触れてしまった以上、もう制御できない。
彼が寝ている間にこっそり繰り返してきたマスターベーションの反動か、既に私の下半身は彼を受け入れる体勢を整えていた。
「脱がしても良いですか?」
「うん、いい歳してこんなことするの、初めてなのよ私。
それでも最後まで優しくしてくれるなら、貴方の好きにして」
「はい、こんなに魅力的な身体をしているのに初めてだなんて興奮しますよ。
精一杯優しくします。身体から力を抜いてくださいね」
まるで慣れているようにそう私に助言をする彼。
私はブラジャーのホックを外して、自ら覚悟を示した。
甘い吐息が漏れ、現実感なく意識が揺らめく。
前戯を終えて、裸のまま抱き合い、身体を密着させる。
出産する妊婦のように両足の広げることに抵抗があったが、もう覚悟は出来ていた。
股の間に入ってくる、彼の逞しい肉体を受け入れる。
薄暗がりの中でも侵入しようとする彼の生殖器の動きは正確で、慣れない私はただ彼に従ったまま身を委ね、痛みに耐え、時間を忘れて快楽を貪った。
全ての情事を終え、シャワーを浴びて夜遅く、力尽きて裸のまま眠っていると、不意にスマホのバイブレーションで目が覚めた。
私は激しい頭痛に苛まれてしまうが、眩しい光に堪えながらスマホを操作した。
そこに浮かび上がる、咲楽からの連絡。
近くまで出掛けるから家まで遊びに行っていい? という内容を見て私は正気に戻った。
咲楽との接触は出来る限り避けて通ってきたけど、それがかえって疑念を持たせる要因になっているのかもしれない。
隣には裸で眠っている弁慶の姿。まるであの頃の克也君を抱いているような感覚がさらなる興奮を呼び、妹の彼氏を略奪しているような背徳感を昂らせていた。
耐え難い恐怖に襲われた私は弁慶を奪われることだけは耐えられないと思い、再び断った。二度目は迷い一つなかった。
肉欲に逆らえるほど、私は強くなかった。
次の一週間はそれをまざまざと思い知らされる一週間だった。
仕事が終わって帰宅すると、弁慶は私が誘いの言葉を発する前に抱いてくれた。セックスなんて経験しなくても平気だって思っていたのに、今はこんな私に欲情してくれていることを嬉しいとさえ感じている。
三年前、あの頃の克也君も同じように思ってくれていたのだろうか。
答え合わせのしようがない疑問が頭に浮かぶ。
気づけば私は、咲楽の影が忍び寄る恐怖を忘却して、彼を失いたくないという感情に支配されていった。




