6、私を狂わせる男
弁慶に見送られた私はいつもの仕事へと向かった。
現金を渡したとはいえ、仕事中も早く帰りたい気持ちでいっぱいだった。
気合いで残業を回避して無事、家に帰宅すると台所に見慣れない主夫が立っていた。
いや、正確には違う。あまりにも佇まいが様になって美しいから勘違いしてしまいそうだけど、弁慶が薄ピンク色をした私のエプロンを着用して料理をしているのだ。
美人は何を着ても似合うなんてよく言うけど、見慣れないエプロン姿はこれまで見てきたイメージを覆す良質なエッセンスになっているようだった。
私は克也君と瓜二つの同居人へ、反射的に弁慶と名付けてしまったことを悔やんだ。
「お帰りなさい。今日は残業せずに済んだんですね。もう少しで夕食が出来ますよ」
今朝よりも顔色が良くなり、爽やかな表情を浮かべる弁慶の声に胸がときめき、立ち往生してしまう。
独り暮らしを始めてから、お帰りなさいと出迎えられるのも、台所で自分以外が料理をする姿を見るのも初体験だった。
「……うん、料理出来るの?」
「本棚にあったレシピ本を読んで、材料を買ってきたので試しに作ってます。自然と身体が覚えているみたいで」
予想外の光景に呆気にとられた私は玄関で靴を脱ぎ、料理をする弁慶の姿を見ると、上手にフライパンを使いこなしていた。
「材料を買ったって……それ、私が今朝渡したお金で買ったんでしょ?」
「もちろん。折角だから、お姉さんも食べてくれますよね?」
「ええ、食べるわ。それにしても、あなたってどんだけ善人なのよ。調子が狂うわ」
平静を装ってレディーススーツを脱ぎ、そのままハンガーにかける。
見渡すと部屋が見違えるように片付けられ、洗濯物が綺麗に畳んでベッドの上に置かれている。
まるで花嫁修業を受けてきたような丁寧な仕事。弁慶の仕業であることは間違いなさそうだ。
「一日、部屋の中にいて退屈だったので、片付けておきました」
「ありがとう……失くした記憶を探してるんでしょ? 出かけてきてもよかったのに」
「鍵、持っていませんでしたから。鍵をかけずに出かけるのは不用心かと思って」
「そういえば、そうだったわね」
ソファーに座り、記憶喪失になっているとは思えない調子で平然と料理を続ける弁慶を見つめる。まるで若い男と同棲をしているみたいだ。私は落ち着かなくてむずがゆい気持ちになった。
やがて、ソファーの前に置かれたテーブルに運ばれてきたケチャップオムライスとオニオンスープ。
湯気を上げる料理からは良い香りが漂ってくる。職場から最短距離で帰宅したばかりの私は食欲をそそられた。
スプーンを入れると鮮やかな色をしたバターライスが飛び出してくる。独り暮らしを始めて、一生懸命に自炊を頑張っている私よりもずっと、上手に出来ていた。
「味はどうですか? 薄くないですか?」
会話を続けながら男性と一緒に暮らしたことなんてないから上手に笑いかけることすら出来ない、不器用な私の隣に座る弁慶。
得意げな表情が冷静に振舞おうとする私の心を容易に乱していく。
「ちょうどいいわよ。まさか記憶を失くしているのに、こんなに上手に料理が出来るなんて驚いたわ」
「自分でも驚いています。身体が覚えているみたいに自然に動いて。でも、気に入ってもらえたなら追い出されずに済みそうですね」
「何を言ってるのよ、最初からすぐに追い出すつもりないわよ。人を薄情みたいに言わないで」
「ありがとうございます。やっぱり優しいですね、佳織さんは」
照れくさくなって、私はビールと一緒につい俯いた姿勢のままオムライスを夢中になって食べる。
彼はその姿を無邪気に微笑みながら見つめていた。




