5、早朝電光石火
「お姉さん……お姉さん……お仕事の時間、大丈夫ですか?」
まだソシャゲの世界にいるのだろうか……?
私の癒す文豪のような優しい声にくすぐられる。
すると控え目な力加減で身体を揺すられる。それは段々と威力を増し、私を覚醒させた。
目を開き、ベランダから朝日が差し込んでいることに気付き、私は勢いよく飛び起きた。
「……克也君?! えっと、今何時?」
ハンバーガーショップで拾った男性が心配そうに見つめている。
衝動的に私は容姿が似ている克也君の名を呼んでいた。
「七時四十五分です。克也君って、俺の名前ですか?」
当然の問いを投げかけてくる記憶喪失の男性。だが、仕事に行かなければならない私はそれどころじゃなかった。
「もうそんな時間?! 目覚ましを掛けていたのになんでっ?! あんたは克也君なんて名前じゃないわ。ややこしいから弁慶とでも名乗ってなさい!」
目覚まし時計を鷲掴みして現実を思い知る。
八時ジャストの電車に乗れなければ始業時間に間に合わない。
私は咄嗟に出た反応で昔、飼っていたブルドックの名前を叫んでいた。
「……弁慶、しっくりこないですけど、覚えやすい名前ですね」
「ああぁぁあ!! 朝はゆっくりしたい派なのに、今日もギリギリじゃない!」
まるで成長のない自分に嫌気が差しながら、勢いよく立ち上がる。
慌てて洗面所へと向かい、顔を洗って髪型をセットする。
慌ただしく支度をする私の姿を不思議そうに見つめる弁慶。
「昨日も思いましたけど、お姉さんスタイル良いですね」
「ああんもうっ! 急いでるんだから、見ちゃダメよ!!」
「すみません、でも恥ずかしい身体じゃないですよ」
「それとこれとは別っ!! こっちは見せてるんじゃないのよ」
洗面所も狭く、一部屋しかないアパートでは大きい胸を隠す余裕すらない。
心配そうにしている弁慶の視線を浴び、恥辱に苛まれたまま私は着替えを済ませ、化粧をしてハンドバッグを掴んだ。
「そういえば、洗濯機を回したままだった! 代わりに干しておいてくれる? これ、自由に使ってくれていいから!」
財布から取り出した漱石二枚を弁慶に突き出し、後を託す。
弁慶はキョトンとしたまま返事はないが、手渡すことに成功した。
「行ってらっしゃい、お姉さん。転ばないように気を付けていってきてください」
玄関まで付いてきた弁慶が優しく微笑み、靴を履いている間に玄関扉を開く。
慌てる私を面白がってるわけじゃないよね……と疑念を持ったまま勢いよく私は玄関を飛び出した。
そういえば……私は肝心なことを思い出し、振り返る。
私よりも身長の高い、若い男。直視してしまうと同棲を始めたみたいでゾクゾクしてしまう。弁慶を見上げた姿勢で私は自分の名を告げた。
「弁慶、私の名前は篠塚佳織よ。覚えておきなさい」
「はい、佳織さん……ですね、覚えておきます」
彼の柔らかく繊細な声に胸がキュンと締め付けられる。
何でこう、この男は朝から私の心を揺さぶらせてくるのか。
身体が熱くなってくるのを感じた私は踵を返し、階段へと向かって小走りになった。
衝動に任せてヒールの付いた靴を履いたことを後悔しながら、駅までの道のりを周東並みの俊足で駆け抜ける。
発車のジングルが鳴り響く中、私はギリギリ電車に飛び乗り、事なきを得た。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
動悸を抑え、何とか呼吸を整える。満員電車の中、当然のように席に着くことは出来ず、吊革を掴む。
目の前の席に座るスーツ姿の男性を見下ろしながら、私は洗濯機の中に自分の下着も纏めて入れていることを思い出し、恥じらいもなく何てものを押し付けてしまったんだと頭を抱えた。




