3、幻想の国の彼氏
妹の彼氏だった草薙克也に瓜二つの男性の姿が何度も脳裏をよぎる。
あの現場を後にして仕事に戻り、働き続ける間も、手を差し伸べて助けなかった後悔に蝕まれた。
目の前に倒れている人すら、救おうとしない醜い自分。
そんな薄情な私に前向きな出来事なんて訪れるはずがない。
意味もなく嫌気が差し、泣きそうになった。
職場の飲み会が終わり、朦朧とした意識の中で気づけば終電を逃していた。
下品な上司の会話に気配を消して酒に逃げても向けられるセクハラ行為。
何が楽しくて、飲み会に参加しているのかも分からない。
他の女子社員のように彼氏に庇ってもらったり、上手に笑って済ませられたらいいのに、そんな彼氏もおらず、笑って済ませる気概も沸いてこなかった。
終電を逃した後の身体はやけに重い。飲み過ぎたせいで頭痛でぐらついた意識の中、足取り重くファーストフード店の二階へと上がる。
今更後悔しても遅い、少し頭を正常に戻してからこの後どうするか考えようと席に着いた。
烏龍茶を飲みながら、スマホにインストールされたソシャゲを起動させる。
起動画面にはイケメン化された文豪たちの姿が出迎えてくれる。
どれも甲乙付け難いほどにスラっとした体型をしていて素敵な男性ばかり。
下ネタで私の精神を犯すことなく、疲弊した私の心に寄り添って、優しく癒してくれる。
現実の男と過ごすよりも、彼らの個別ストーリーを読んで泣いている方が余程、有意義な時間だと思うくらいには、私はこのゲームにハマっている。
酔ったままやけくそにガチャを100連回す頃には、汚い手で触れられた太股の嫌悪感を抹消することが出来た。
ほっと一息つくも束の間、窓際の席に座る、男性の姿が直ぐに目に留まった。見間違えるはずがない、昼間に桜の木の下で倒れていた男性だ。
克也君と瓜二つの男性の姿を目にして、段々と酔いが醒めていく。
もう、ずっと会えないと思っていた人が目の前にいる。
幻覚ではないことを自覚した私は形容しがたい恐怖を覚えた。
克也君は死んだ。決して化けて出てくるわけがない。
克也君に似た男性が何者か確かめるためにも、カップに注がれた、珈琲をちびちびと飲む男性に私は近づき、声を掛けた。
「すみません、昼間に桜の木の下で倒れていませんでしたか?」
話しかけた後で、どんなナンパの仕方だ、と自分に呆れながら返答を待つ。
一瞬、私の声が届いていないかと思ったが、数秒の間をおいて、男性は私の存在に気づき、視線を合わせた。
「はい、そうですが……俺のことを知っている人ですか?」
「……知り合いに似ているの。だから……ごめんなさい。突然、話しかけてしまって」
「そうでしたか。俺のことを知ってるわけじゃないんですね」
虚しいことに噛み合わない会話だった。
見れば見るほど、男性の姿は克也君そっくりだ。
しかし、この男性が克也君なら私のことを忘れているわけがない。
望んでいた答えとは違う返答に落胆が広がった。
「何時から倒れていたか知らないけど、身体は大丈夫? 家に帰らないの?」
話しかけておいて、薄情にこのまま立ち去るわけにもいかない。
私は冷静を装い、踏み込んだ質問をした。
「いつから倒れていたのかは分かりませんけど、今は大丈夫みたいです。
でも、自分の名前も帰る家も思い出せなくて……」
男性は自分が記憶喪失になっていることを打ち明けた。
大きな外傷もなく、男性自身は体調不良に陥っているような様子はない。
疑っても仕方ないが、漫画やドラマでしか見たことがないような状況。
帰る家もないと寂しそうに口にする男性を見て、私は不安を覚えた。
このまま彼を置いていったら、誰かが手を差し伸べてくれるだろうか。
学生服を着た女子高生じゃないんだ。心配して声を掛ける人はいないだろう。
手厚く保護してくれればいいけど、世の中、そんな都合のいいことばかりじゃない。
もしも、この男性が克也君だったら、置いて行くわけにはいかない。私は今度こそ、手を差し伸べることにした。
「記憶喪失ってことよね? これからどうするの? 珈琲一杯じゃお腹も空くでしょう」
「そうですね……帰る家も分からないですし、正直困り果ててるところです」
行く当てもなく、捨てられた子犬のように声を絞り出す男性。
詳しく話を聞くと鞄はおろか、財布も持っていないそうで、今飲んでいる一杯の珈琲でさえも、偶然道端に落ちていた無料券と交換したものらしい。
同じ系列のファーストフード店で働く友人がクレーム対応用にハンバーガーやドリンクの無料券を所持していて、好意で譲って貰った経験がある。
男性が拾った無料券もその類のものだろう。
私はちょっと待ってなさいと言って、再び一階のカウンターで注文をして、彼のもとに戻った。
「これでも食べて元気出しなさいよ。お礼なんて要らないから」
「お姉さん……有り難うございます」
私が買ってきたダブルホットサンドに齧り付く男性。このハンバーガーはクラウン、クラブ、ヒールの間に二枚のビーフパティとキャベツや玉ねぎをスライスしたものが挟まれている、ボリュームたっぷりのハンバーガーだ。
一個で600カロリー近くあると知って私は卒倒しかけた。お腹を空かせたこの男性には丁度いいだろう。
「こんな美味しいものをありがとうございます。俺、山で死ぬか海で死ぬか、どっちにするか考えてたところなのに」
「何よそれ、ただの馬鹿じゃない。縁起悪いこと言わないで。自分の命を粗末にする人は嫌いよ」
「……優しいんですね、お姉さんは」
「たまたまよ。ホームレス生活を送ってる人にいちいち手を差し伸べてたりしないから」
克也君に似た整った顔立ちをした男性の姿を前に平静を装い、会話を続ける。
半分になったハンバーガーを両手で掴んだまま、私のことを凝視する男性。
人はお金がないと生きていけない。
人は一人では生きていけない。
それは当たり前のことだけど、全てを失った人に手を差し伸べられる人はそう多くない。
私だって同じだ。ただ妹の彼氏に容姿が似ているというだけで手を焼いている。路頭に迷っている人の気持ちなんて、理解できない側の人間だ。
「それで、これからどうするの? 警察にでも行く?」
「いいえ、警察に行っても相手にしてもらえなかったので。記憶が戻るまでこの街にいます」
「はぁ……仕方ないわね。だったら、私の家に来る? 帰る家、ないんでしょ?」
「いいんですか? 見知らぬ男を家に入れて」
「いいの、一人暮らしの私には心配するような彼氏もいないから」
男性は少し躊躇いがちに頷いて、私の提案を受け入れた。
余計なものを拾ってしまったのかもしれない。
そう思いつつも、私はタクシーを探して乗り込み、記憶喪失の男性を家に招き入れることにした。




