第二十話 本日は、曇りのちバッタ
三匹目のジャイアントローカスト。それが落ちてくるのは、私たちの頭の上だ。
加速。
音が、光が薄れていくように感じられた。
私だけなら余裕で避けられるけど、ミルカを引っ張って離れるのは難しい。
視界の端で、エリスが槍を大バッタから引き抜き、こちらへと駆けてくる。
私の目からは遅く感じられるけど、他と比べれば十分速い。
落ちてくるバッタと走るエリス、見比べるとちょっとだけバッタが早い。
でもバッタの落下点を避け、エリスに道を譲るように動けばエリスが間に合う。
私はロバの手綱を離して、ミルカの後ろに回り込もうとする。
身体を動かそうとすると、途端に空気の抵抗が強くなった。
それでも僅か一歩の距離を移動して、ミルカの後ろに回り込んだ。
彼女の身体を両手で抱きしめると、腰を入れて後ろに引っ張る。
柔らかいお山を掴んでいるけど、今は気にしている場合じゃない。
背中で空気を押して、一歩、二歩とあとずさると、そこにバッタがゆっくりと落ちてくる。
バッタと目が合った気がした。どこを見ているか分からない複眼の目だけど、私の動きを追うようにゆっくりと足を伸ばしてくる。
三歩目。バッタの足が、私たちの身体から五センチほど離れたところをなぞるように落ちていく。
着地したバッタが、ゆっくりと体を落とし、跳ね上がる姿勢を取る。
こっちに飛び掛かってくる気だろう。
でも、ここでエリスが間に合った。彼女の槍が、バッタの首のあたりを貫いた。
解除。
光と音が戻ってくる。
「わわわわっ」
ミルカが驚きの声を上げた。後ろに引っ張られたと思ったら、目の間にバッタが落ちてきて、串刺しになったのだ。無理もない。
「ふぅ」
疲れた。五トントラックでも、さっきの空気を押すのよりは軽い気がする。ブレーキがかかっていなければだけど。
「やるじゃないか」
ニィと笑ったエリスが、槍の先で暴れるバッタを蹴飛ばす。バッタが槍を抜けていく。
でも視界の端に、カーターの上へ落ちてくるバッタ。
四匹目?
三匹目はまだ槍から抜け切っていないし、エリスは気付いていない。もう彼女は間に合わない。
ここは私が行くしかない。
加速。
なるべく空気抵抗を減らすよう、地を這うような姿勢でカーターに向けて走る。
同時に身体の上を滑らせるようにして、小剣を抜く。
カーターまでは十歩もないくらいだけど、ズボンの生地の僅かな余りが脚に絡みついて走りにくい。
スカートよりはマシだけど、服を着たまま泳ぐときっとこんな感じなんだろう。
四歩、五歩、六歩。
もうすぐカーターの目の前だ。
でも、上から落ちてきたバッタがカーターに噛みつこうとして。
ザスッ。
慎重に小剣で複眼を突き刺す。
間に合った!
切っ先が反対側の複眼から飛び出す。
勢いのまま柄を手放すと、バッタはカーターを外れて奥へと落ちていく。
私はそれとすれ違うようにして足を止めた。
それから暴れるバッタにカーターが巻き込まれないよう、少し後ろに引く。
解除
「はぁ~っ」
疲れた。なるべく身体に合うようにズボンを作ってもらったけど、現代のような伸縮素材はないので、布に余裕がどうしてもできるし、それが加速中は脚を縛って動きづらくする。競技用ウエアのように、なるべく身体にピッタリして面積が少ない方が動きやすいけど、さすがにここでは出来ないし。
「ああ、リンさん。助かりました」
カーターが手をわななかせながら、目の前に落ちたバッタと私を見比べる。
「やるな」
ハーディがやってきて、まだ暴れている四匹目のバッタに止めを刺しながら言った。
ちょっと、ヒーロー物の映画のハリウッド俳優っぽい。
ぴゅう。
口笛の音に目をやると、エリスが親指を立てていた。グッド、の意味だろう。彼女はミルカの近くでもう三匹目のバッタを、槍で刺したままグリグリとしていた。ミルカは、私の方を見て万歳していた。可愛い。
それから四匹のジャイアントローカストを、街道から森の中に放り捨てて一件落着。そう思ったのだけど、何やらカーターとハーディたちが真ん中の馬車の前で話し合っている。
「どうしたんですか?」
私はロバをミルカに任せて聞きに来た。
「ああ、リンさんか。このジャイアントローカストなんだけどね……」
カーターの話では、森の奥にいると知られているけど、街道に出てくるという話は聞いたことがないらしい。それで原因を考えていたらしいけど、結局理由が何であれ、なるべく早くここから離れようという結論にさっき決まったということだ。
だけど、それは少し遅かった。
馬車を出そうとした時、また森の中の藪が揺れた。出そうとした馬車を止めたまま見ていると、そこから一人の男が姿を現した。
「何だ、お前は?」
ハーディがカーターの横に来て誰何する。
男は農夫というよりは、カーターのような商人に近い、比較的小ざっぱりとした恰好をしていた。
彼はそれに答えず、ニコニコしながら近寄ってくる。
違和感があった。気持ちが悪い。
AIで人の顔を生成した時、静止画なら本物と区別がつかないけれど、動画にするとどこか作り物っぽさが残る。この男の表情はそういう、偽物っぽさがあった。
ハーディはカーターを庇うように槍を向け、エリスは他に敵はいないか警戒するように周囲を見回した。
ケケケケ。
男は笑い声のようなものを上げると、突然体が膨らみ、服が破れ、その体が三メートルほどに大きくなった。人のようでいて、毛の少ない猿のようでもある。
「ボガードだ! 人に化ける質の悪い、危険な妖精だ」
カーターの警告。
ひょっとして、ジャイアントローカストはコイツから逃げてきた?




