第十四話 ナッツと蜂蜜の焼き菓子
「リンさ~ん、これ、美味しいですよ~」
ミルカが、買ったばかりの大きな鹿肉を、嬉しそうに食べていた。たった今、露店の前の鹿の肉から切り取られたものだ。鹿は胴体を一本の鉄の串に貫かれ、ゆっくりと回転しながら焼かれている。肉の焦げる匂いが、辺りに立ち込めていた。
「分かったから、そんなに大きな声を出さないでよ」
「だって、こんなの村では食べられないですよ~」
私たちは、週に一度の市に来ていた。周囲の村々から来た村人が、持ち込んだ農作物の麻袋を並べ、買いに来た街の人たちと丁々発止の値段交渉をしている。別の場所では、布や古着が積まれていたり、農具が並べられていた。
エルバーデンの街に行くまで、私たちはカーターの店で働かせてもらうことになった。店でといっても、実際は倉庫で毎日持ち込まれてくる農作物や、獣の皮などを仕分ける仕事だ。今日は市の日だったので、仕事は午後からにしてもらって市に来ている。
「ふぇ、あの槍を持った人、女の人ですよ」
今日は普段、街ではあまり見ないような人たちも来ている。ミルカが言っているその人は、私よりも背の高い女性だった。革のジャケットや、ズボンを穿いて、自分の身長を超える槍を持っていた。体は太くはないが、たぶん筋肉で締まっていた。背が低くポヨポヨのミルカとは正反対だ。
長い黒髪を背中で一本に縛り、鋭い目の瞳の色は黒。でも、顔つきは日本人ではなく、白人系の美人だ。
「リンさ~ん、変なことを考えていませんか?」
私がミルカと見比べていることに気づいたのか、疑わしそうな声を出した。ミルカと話している内に、彼女は雑踏の中に消えてしまった。
「いいえ、珍しいと思っただけよ」
別に、本心を言う必要もないので、誤魔化した。それにしても、今日は彼女だけでなく、武装した男たちも何人か見ている。人が集まって活気がある分、治安は悪くなるのかもしれない。せっかくなので色々見たいけど、いつもより気を付けた方がいいだろう。
「これは結構、いけるわね」
私もミルカと同じ鹿の肉を買ってみた。味付けは塩だけで、ちょっと獣臭さはあるけど、それなりに美味しく食べられた。この世界、焼いた肉類などはいいのだけど、野菜は日本より苦味が強かったり、パンやチーズは酸っぱかったり、クセが強かったりした。
味付けは塩と、ハーブに酢、ニンニク、マスタードくらいだけど、薄味で健康には良さそう。飲み物は、水もあるけれど衛生が不安なので、水もあるけれど、衛生面が気になるので、普段はぬるくてアルコールの薄いエールを飲んでいる。
日本のご飯やお味噌汁が懐かしくはあるけれど、食事に関してはそれなりやっていけそうである。
「結構なんて贅沢です。ご馳走ですよ、ご馳走!」
「あ、うん。そうだね」
私の反応が薄かったせいか、ミルカがちょっと怒っている。言い方は淡々としていたかもしれないけれど、私も鹿の肉は本当に美味しいと思っていたから勘弁して欲しい。そう思っていたところに、焼けたナッツと蜂蜜の匂いが漂ってきた。
「あ、焼き菓子ですよ! しかもその場で焼いてる! あれ、絶対美味しい奴ですよ!」
はしゃぐミルカが指さす方を見ると、確かにクッキーっぽいものが売っている。大きさは、日本のクッキーやビスケットよりも大きくて、どら焼きくらいあった。すでにミルカの足がそっちへ向かっているので、私も後を追った。
その後、焼き菓子を食べながら歩いた私たちは、おやつに干しリンゴを買った。市が出ている広場の中では、大通りから一番奥へと来てしまった。人混みを通り抜けて戻るのは、少し面倒くさいと思っていると、視界の端に不審なものが見えた。
広場の端でフラフラ歩いていた子供に、路地の奥から男が手招きをしている。子供は何の警戒もなく、その男に近付いていった。あれはマズそう、と思った時には、頭から麻袋をかぶせられ、路地の奥へと連れ込まれてしまった。
「ゴメン、ミルカ」
「へぇ?」
加速。
音が間延びし、消えていく。
まだ、ズボンが出来ていないので、足首までのスカートをはいているけれど、身体を倒してなるべく空気抵抗を減らして走る。
角を二つ曲がるとすぐに、見えた。子供が入っているくらいの麻袋を担いだ男と、もう一人の男。街の人はもちろん、ミルカの村の人たちよりも、もっとボロボロの服を着ている。近いのは、街の前でストーカーされた変態か。
最後に服を洗ったのがいつかも分からない感じで、髪の毛も同様。日本で言えば、橋の下や河川敷に住まれている方々のようだけど、決定的に違うのはその腰に吊るした短剣のようなものだろう。つまり、容赦はいらないということだね。
私は手の空いている方の男へと走り込み、脛を蹴ってから転ばせた。彼が倒れる前に、麻袋の男も同じように脛を蹴り、倒す。倒れている男から麻袋を引っ張り、彼の上に落ちるように調整する。これで子どもに怪我はないだろう。
別に力持ちじゃないけど、小学校に入るか入らないかくらいの子供なら、担いで逃げられると思う。でも、子供を担いで加速したまま走るのは流石に無理。たぶん、台風の中を進もうとするみたいに空気の圧力を受けると思う。それに男たちは脛を押させて倒れているし、捕まらなければ普通に逃げられるだろう。
わたしは地面に転がる男の腰から短剣を抜き、麻袋の口を切り裂いた。そして、短剣をもと来た方へと投げる。反撃はないと思うけど、なるべく武器は離した方がいいよね。
解除。
男たちの呻き声が聞こえてくる。
「痛ぇっ、何だお前は!」
「何しやがる、チクショウ!」
麻袋が床に落ち、四、五歳くらいの男の子が出てきた。
「うわぁぁぁん!」
私は足元の男たちの手に気を付けながら、男の子の肩に手を置いた。
「大丈夫。お姉ちゃんが、助けてあげるから大人しくして」
男の子を後ろ向きに、俵のように肩に担ぐ。
彼は身を竦めているが、暴れるようなことはない。
一刻も早くここを離れて、広場に戻ろう。
「お姉ちゃん!」
男の子の声にハッとなり、下を見た。
太い腕が私の腰に回され、閉じようとしてた。
加速。
男たちは二人とも地面に転がっている。でも、ここは広場から三つ目の角の手前。もう一人、角に隠れていたの?
子供を片手で支え、もう一方の手で太い腕を引き剥がそうとする。ピクリとも動かず、ゆっくりと閉じていく。強引に身体をねじって、腕の間を抜けようとする。ダメ。より締まっていった。
僅かに首を回して背後を見ると、四角い顔のプロレスラーのような男が、私に飛びついてきていた。
「ひぃ!」
私だけに聞こえる私の悲鳴が響く。
腕の間が、閉じた。




