第5話「Almost Home - まだ帰れない」
金髪の女性は、のんびりした口調であまねに問いかけた。
「あなたは、迷っちゃったのですか?」
「はい」
あまねは反射的に答えた。
けれど、すぐに首を小さく振る。
「……あ、いいえ」
「ふんふん」
金髪の女性は、それ以上追及しなかった。
あまねの返事に、大して期待していなかったのかもしれない。
あるいは、最初から答えを急がせるつもりがなかったのかもしれない。
女性は新しいマシュマロを枝に刺した。
「今日は大判振る舞いですよ」
そう言ってから、ふと思い出したように顔を上げる。
「あ、申し遅れました。私、バネッサと言います」
「み……」
あまねは、言いかけて口を閉じた。
名字を言おうとした。
けれど、言ってはいけない気がした。
「あまねです」
「では、あまねさん」
バネッサはにこりと笑った。
「マシュマロ、もう一つ食べますか?」
「……はい」
「えっと、自分で焼いてみますか?」
「……やってみます」
バネッサは枝を一本渡してくれた。
あまねはマシュマロを火に近づける。
近づけすぎると焦げる。
離しすぎると、なかなか焼けない。
火の熱が頬に当たる。
白かった表面が、少しずつ柔らかく膨らんでいく。
その間、バネッサは見たことのない器具で、空や地面を調べていた。
手のひらほどの板。
細い針のついた筒。
金属とも木ともつかない箱。
ときどき器具を空へ向け、ときどき地面に近づける。
何をしているのか、あまねには分からなかった。
けれど、バネッサは何も説明しなかった。
あまねも、何も聞かなかった。
マシュマロのおかわりを食べ終えると、バネッサは立ち上がった。
「じゃあ、寝ましょうか」
あまりにも自然に言うので、あまねは一瞬、聞き間違えたのかと思った。
バネッサは毛皮を地面に敷き直し、見慣れない生地の毛布を広げる。
「夜は冷えますからね。こちらへどうぞ」
バネッサとあまねは、焚火のそばに並んで横になった。
毛布は軽いのに、とても暖かかった。
少し獣の匂いがする。
けれど不快ではなかった。
「明日、大きな道路まで案内してあげますね」
「はい……お願いします」
言いながら、あまねは自分の声が小さくなっていくのを感じた。
疲れていた。
寒さも、空腹も、怖さも、少しずつ遠ざかっていく。
眠ってはいけない気がした。
でも、目を開けていられなかった。
その夜、あまねは夢も見ずに深く眠った。
◇ ◇ ◇
翌朝。
あまねが目を覚ますと、バネッサは焚火の後始末をしていた。
焚火は、もう消えている。
残った炭を小さな布袋に入れ、灰を払い、土をならす。
最後に枯葉を少し散らすと、そこに焚火があったとは分からなくなった。
あまねは、ぼんやりとその手際を見ていた。
「おはようございます。朝ごはんです、召し上がれ」
バネッサが差し出したのは、緑とも茶色ともつかない団子だった。
あまねは両手で受け取る。
昨日のマシュマロとは違った。
とても違った。
ひと口かじると、口の中に草のような苦みと、粉っぽい甘さが広がった。
まずい。
かなり、まずい。
けれど、身体は食べ物を欲しがっていた。
あまねは黙って飲み込んだ。
「火を先に落としてごめんなさい。出発が遅れちゃうので」
早朝の寒さに震えるあまねに、バネッサがすまなそうに言う。
ああ、そうか。
大きな道まで連れて行く、と言っていた。
「……大丈夫です」
「では、行きますか」
バネッサは散歩にでも出かけるような軽さでリュックを背負った。
あまねは小さく頷き、その後ろについて歩き出す。
「キャンプが趣味で、この辺りにはよく来るんですよ。安心してついてきてください」
「……ふうん」
何となく、うさん臭い。
けれど、あまねはそれ以上聞かなかった。
バネッサがそういうことにしたいのなら、そういうことにしておこうと思った。
実際、バネッサはこの辺りに慣れているようだった。
迷わず斜面を抜け、倒木を避け、歩きやすい場所を選んで進んでいく。
ただ、ときどき奇妙な道具を取り出しては、植物や地面を調べていた。
あまねがじっと見ていることに気づくと、バネッサは少しだけ間を置いた。
「あ、これですか」
手に持った器具を見下ろす。
「これはですね……えっと」
さらに少し考える。
「カメラです」
どう見ても、カメラではなかった。
「……ふうん」
また嘘っぽい。
でも、それもそういうことにしたいのだろう。
会話はそこで終わった。
しばらく歩くと、水の音が聞こえ始めた。
木々の間を抜けると、川岸に出る。
あまねが落ちた川だろう。
けれど、昨日の場所よりもずっと上流のようだった。
細い丸太橋がかかっている。
渡る前に、バネッサが手を差し出した。
「滑りますから、気をつけて」
あまねは少し迷ってから、その手を取った。
バネッサの手は暖かかった。
橋を渡ったあと、バネッサは道端の木の実をいくつか採った。
「これは食べられます。こっちは駄目です。こっちはお腹を壊します」
そう言いながら、食べられるものだけをあまねに渡してくれる。
二人で歩きながら、それを食べた。
朝の団子より、ずっとおいしかった。
やがて、見覚えのある山道に出た。
そこから少し歩くと、大きな舗装道路が見えてきた。
あまねは足を止めた。
ここは、最初に自分が山に入ったハイキングコースの入口だった。
まだ昼前だった。
こんなに早く戻れるなんて思っていなかった。
昨夜、バネッサの焚火にたどり着くまでの時間を考えると、自分は相当迷っていたのだろう。
そう思うと、少しだけ足元が冷たくなった。
「さ、着きましたよ」
バネッサが道路の方を示した。
「右に行っても、左に行っても、街があります。お巡りさんにお願いして、お家に送ってもらってください」
「……はい」
あまねは俯いた。
「……ありがとうございました」
山に来た。
迷った。
助けられた。
そして、元の場所に戻ってきた。
けれど、戻る場所はなかった。
道路は右にも左にも続いている。
どちらへ行っても街がある。
どちらへ行っても人がいる。
それなのに、あまねには次にどこへ向かえばいいのか分からなかった。
バネッサは、そんなあまねを黙って見ていた。




