第4話「Stranger by the Fire - 焚火のそばの知らない人」
バネッサは、食後のマシュマロが焼けるのを待っていた。
焚火の前にしゃがみ込み、枝の先に刺した白い塊を、じっと見つめる。
表面が少しずつ膨らんでいく。
端が、ほんのり狐色になり始めた。
「今日のご褒美ですからね。焦がさないようにしませんと」
そう言いながら、口元はすでににやけていた。
資源調査のため、バネッサは十日前からこの山に籠っていた。
いくつもの鉱脈を渡り歩き、採取し、記録し、調べる。
その結果、この山の魔法鉱石は、どうやら質より量で勝負するタイプらしいと分かってきた。
サンプル以外の鉱石は、ひとまず地中に埋め戻してある。
目印も置いた。
後日、数回に分けて回収する予定だ。
「あと、ひと月くらい探索したいものですねー」
焚火に薪を足しながら、バネッサはひとりごとを呟いた。
街に戻っても、たいしてやることはない。
銭湯に入る。
保存食を補充する。
マシュマロを買い足す。
だいたい、そのくらいだ。
そのとき、ギルから借りていた準魔道具のレシーバーが、短い警告音を鳴らした。
『第一防衛線に侵入者あり。人数、一名。金属反応なし』
「え、こんな時間に?」
『現在位置より、こちらを目指して移動中と予測。移動速度から、遭難者の可能性あり』
「そうなんですね」
バネッサは真顔で頷いた。
「……あ、今のは採取師ギャグです」
『次の指示をお願いします』
「スルーですか。最近の準魔道具は冷たいですね」
マシュマロの焼き色を確かめながら、バネッサは続けた。
「第二防衛線に入るのは、いつ頃ですか?」
『六十分から八十分後と推測』
「では、しばらく放置で。マシュマロがそろそろいい感じなんです」
『了解。第二防衛線侵入時に、再度警告します』
焚火の光は、隠蔽の魔道具で外から見えないようにしている。
それでもこちらを目指しているということは、偶然ではない可能性もある。
見破られているなら、警戒は必要だった。
もっとも、バネッサはのんびりしたものだった。
焼けたマシュマロをそっと口に入れる。
「んふ」
熱い。
甘い。
最高である。
「静かな夜だったのに、少し騒がしくなってきましたね」
◇ ◇ ◇
『警告。先ほどの警戒対象が、第二防衛線に侵入』
マシュマロを食べ終え、お茶を飲んでいたバネッサに、レシーバーの無感情な声が届いた。
「もう一度スキャン。生体情報を詳しくお願いします」
『女性。推定十代前半。出血反応なし。歩調から衰弱状態と推測』
バネッサは湯気の立つカップを手にしたまま、少しだけ目を細めた。
「ふむ」
『接近許可の有無を確認』
「では、マシュマロを焼いてお待ちしましょう」
『他者との接近は危険を伴うと警告します』
「若い女の子がお腹を空かせているのでしょう。うまく誤魔化しますよ」
『この国内において、金髪の女性が単独で野営している状況は不自然です』
「はいはい。そこはまあ、たいへん今さらですね」
バネッサは新しいマシュマロを枝に刺した。
「周辺警戒は継続してください。ほかに人がいる可能性もありますから」
『了解しました』
バネッサは焚火を見つめる。
炎の奥で、白いマシュマロがゆっくりと柔らかくなっていく。
「さて」
彼女は小さく笑った。
「お腹を空かせた子には、甘いものです」
◇ ◇ ◇
あまねは、ふらふらになりながら歩いていた。
遠くに見えた光は、思っていたよりも遠かった。
足に力が入らない。
濡れて乾ききっていない服が、肌に重く貼りついている。
何度も立ち止まりそうになった。
それでも、あまねは光から目を離せなかった。
最初に見たとき、その光は不思議な色をしていた。
炎のようで、炎ではない。
普通の焚火とは違う揺らぎがあった。
けれど近づくにつれて、それはただの焚火に見えてきた。
ぱちぱちと薪が爆ぜる音。
ゆらゆらと揺れる橙色の火。
そして、甘い匂い。
あまねのお腹が、小さく鳴った。
焚火の前に、人が座っていた。
こちらに背を向けている。
まだ、気づかれていないはずだった。
どうしよう。
火に当たらせてください、とお願いできるだろうか。
水をください、と言えるだろうか。
でも、相手が悪い人だったら。
あまねは足を止めた。
逃げられる距離を保たなければならない。
走れるかどうかは分からない。
それでも、近づきすぎてはいけない。
そのとき、焚火の前の人物が、こちらを見ないまま片手を上げた。
手招きのように見えた。
あまねの心臓が跳ねた。
気づかれていた。
しばらく、その場から動けなかった。
けれど、火は暖かそうだった。
甘い匂いもしていた。
あまねは、意を決して一歩を踏み出した。
もう一歩。
さらに一歩。
何かあれば逃げられるかもしれない距離まで近づく。
焚火の前に座っていたのは、金髪の女性だった。
長い金色の髪が、火の光を受けてぼんやり光っている。
なぜ、こんな山奥に一人でいるのだろう。
そう思った瞬間、女性がくるりと上半身を捻った。
あまねの方を見る。
目が合った。
女性は、まるで近所の子に声をかけるような口調で言った。
「マシュマロを焼いたのですが、食べますか?」
本来なら、警戒するべきだった。
山奥。
夜。
一人で焚火をしている金髪の女性。
怪しいところしかない。
けれど、その声はあまりにのんびりしていた。
それに、甘い匂いがした。
焦げかけた砂糖の匂い。
柔らかく溶けた何かの匂い。
あまねは、おずおずと焚火に近づいた。
「熱いので、気をつけてくださいね」
女性が、木の枝に刺したマシュマロを差し出す。
あまねは思わず受け取った。
お礼も言わないまま、立ったまま、かじりつく。
熱かった。
でも、甘かった。
口の中で、柔らかく潰れる。
喉を通ると、糖分が身体の奥へ直接染み込んでいくようだった。
生き返る、という言葉の意味が少し分かった。
口の中を少し火傷した気がする。
けれど、気にならなかった。
「お水もありますよ」
金属製のカップが差し出される。
あまねはそれを受け取り、ごくごくと飲んだ。
冷たすぎない水だった。
飲み干すと、自分がどれほど喉が渇いていたのかに気づいた。
女性は空になったカップを受け取り、穏やかに問いかけた。
「こんな山奥で珍しいですね。お一人ですか?」
あまねはカップから手を離し、少し身を固くした。
「は、はい」
それから、慌てて言葉を足す。
「火が見えたので……何だろうって思って」
「そうでしたか」
女性は、深く追及しなかった。
それが少しだけ、ありがたかった。
「寒そうですね。もっと近くに来て、焚火で温まってください」
焚火のそばには、丸太が置かれていた。
女性が座っている丸太には毛皮が敷いてあり、見るからに暖かそうだった。
女性は、よいしょ、とお尻を横にずらす。
そして、空いた場所をぽんぽんと軽く叩いた。
「どうぞ。ここ、少しだけ特等席です」
あまねは、まだ迷っていた。
でも、火は暖かかった。
マシュマロは甘かった。
水も、まだ喉の奥に残っている。
それに、その人の声は、不思議と嫌な色をしていなかった。
あまねは小さく頷き、焚火のそばへ近づいた。




