表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡張りの部屋  作者: 市川滝
8/10

藤崎海



家に着いた僕は、植木鉢の下に隠してある家の鍵で玄関の扉を開けると、一目散に鏡張りの部屋に行った。

部屋のドアを開け、鏡の前で鏡に向かって必死に呼びかける。

「海‼いるんだよね?そこに…お願い…出てきて…。海‼海‼…。」

「…。」

「お願い…‼」

涙はとめどなく流れ、何度呼びかけても海は出て来なかった。

僕の思い違いだったのか、あの夜にあった事も全て僕の夢だったのか。

そう思い、諦めて鏡に寄りかかりながら、深い溜息をついたその時…。

鏡の中から出て来た冷たい手に、僕の細い首は絞められた。

「ぐっうぅっうぐぅっ‼」

とてつもない力で締め上げられ、僕の体は地に足がつかない程に、宙に浮いていく。

苦しかったけど、それで良かった。

きっと、僕が生きる事より、苦しい事なんて絶対に無い。

僕は、掴んでいた手をブランと落とし、その時を待った。

しかし、きつく締めあげていた手は、急に僕の首から手を離していく。

高く浮いた所から下に落とされ、床に叩きつけられた僕は、せき込みながら息をした。

一気に息を吸い込み、そして吐く。


鏡の光に照らされた部屋の埃は、また高く宙を舞った。

「どう…してっやっめたの…?」

未だせき込む僕の隣で、鏡の中から傷だらけの海が出て来るのが見えた。

海は僕に背中を見せ、僕と目を合わそうともしてくれない。

けれども、震える背中に僕は話し続けた。

「海は…誰なの?本当の海は…?」

「…。」

「海は…ずっと僕を殺したかったの…?」

そして、この質問をした途端、海はやっとこっちを向いた。

「はっ‼今更気づいたのかよ‼遅すぎ…鈍いんだよ‼お前は‼」

傷だらけの海。それはまるで、いつかの夢に出てきた海そのものだ。

海は、魂を吐き出すように止まらなかった。

「そうだ…。俺は、お前の全てが欲しい。生きている人間…動いている時間。俺は全てが憎い…。」

「この世界の何もかもが、俺が生きられたかもしれない光で溢れてる。だから、俺は…お前を殺して…。」

「…。」

海の言葉が、詰まっていくのが分かる。僕は益々、締め付けられる感じがした。

「その為なら、他のどんなものを壊したって怖くねーよ‼」

こんな事を言っていても、海の辛さだけが伝わってくる。

永遠に消えない痛みの中で、もがき、悲しみ苦しむ。

それでも、その憎しみと苦しみが、消え去る事は決して無いのだ。

それを知って僕が海に返せる答えは、一つだけだった。



「僕は、もう…海のものだよ…。」

はっとした顔をした海。海はまた背中を向けた。でも、僕は構わなかった。

ただ、海の側に駆け寄り、後ろからその背中を抱きしめた。

ぎゅっと、強く抱きしめる。やっぱりその背中は、冷たく冷え切ったままだ。

それは、もう二度とその温もりが戻らない事を意味していた。

「こんな姿で、怖いだろ…?」

ボソッと呟くように、海が言った。

海は、今にも消えてしまいそうだ。

僕はそんな海の背中を、絶対に離したくなくて、強く抱きしめたまま言った。

「海がどんな姿でも怖くない。殺されたって構わない…。」

この覚悟が、海を救う事は無い事は分かっていた。それでも海は、少しフッと笑うと、俯いたまま静かに口を開いた。


「お前は、死を恐れてはいないんだな。」

そして、僕の腕をゆっくり離すと、観念したように自分の過去を語り出した。


―俺の名前は、藤崎海。―


元々、俺はこの家に住んでいたんだ。

俺の家族は、俺と母親の二人暮らし。

父親とは、俺が四歳の時に母親と離婚してから、一回も会っていない。

今時、離婚して片親しかいないなんて、ありきたりだろ?

だから、父親がいないって事以外、普通の家族だったはずだった。

―そうだったはずだったんだ。―

だけど、俺が小学校に入学した年、俺の生活は一変した。

あの女に男が出来たんだ。

俺の母親は、家を空ける事が多くなった。

毎晩、男を連れて飲み歩いて、帰って来るのは決まって明け方の朝だった。

その頃から、俺の事なんてほったらかしになって、食事もろくに作ってくれなくなった。

いつもコンビニの弁当か、買いに行く暇も無い時は、机の上におまけみたいに五百円玉が置いてあった。

それでも最初の頃は、俺もあいつの帰りを待ってたんだ。

笑っちゃうだろ?

あの最低の女が、あの酒臭い女が、まだ母親だって信じてたんだからよ。

異臭のするゴミだらけの部屋で、よくもまぁ毎日毎日飽きずに、あいつの帰りを待ってたもんだ。

自分の馬鹿さ加減に反吐が出るくらいにな。


だけど、ある時あの女が、ひょっこり帰って来たんだ。

一緒にいた男を連れて。

その男は、気に喰わない事があると、よく俺を殴りつけ、暴力をふるった。

お風呂の水の底に沈めたり、タバコの火を体中に押し当てられた事もあった。

あの女は、俺が暴力を振るわれている所を、ただ黙って見ていた。

助けを求めたけど、悪いのは俺の方で、逆らわず言う事を聞きなさいと言われた。

誰も助けてはくれない。

もう、助ける気もないのだと自覚した。

鏡の部屋に入れられるようになったのも、ちょうどその頃だ。

足に鎖が付けられ、首には首輪を付けられ、扱いは動物以下だった。

学校にも行かせてもらえず、一日中鏡張りの部屋で過ごす日もあって、ご飯は一日に一回あの男が持って来た。

買って来た弁当の中身を、ごみのように床にばらまいて、それを俺が犬みたいにして這いつくばって食べるのを、喜んで見てた。

鎖で繋がれ抵抗できない俺に、あいつはいつも苛々の鬱憤をはらす道具として使った。

俺が睨み付けると、顔に唾をかけられ、もっと暴力は酷くなった。

逃げる事も、抗う事も出来ない自分を、心の中で、何度も何度も…殺した。


そして、小学三年の冬。

俺は完全に、ここに閉じ込められ、学校にも外にも出て行けなくなった。

この頃になると、あの女も男の暴力に加わるようになった。

酒に酔ったあの女は、俺を産んでどれだけ不幸になったかとか、産まなきゃ良かったって話を、永遠繰り返し叫んでた。

薄暗く、暖房も無いこの部屋は、堪えきれないくらい寒かった。何もないこの部屋で、ただ窓から映る景色だけを眺めていた。

そしてついに、誰もこの部屋に来なくなってご飯もくれなくなっていって…。

―俺は、死んだんだ。―

この部屋で。誰もいないこの部屋で、一人。

誰からも助けてもらえず。

気づいてもらう事さえも無く。

いつだったか、窓越しに小さい子供が楽しそうにはしゃいでるのを見た。

後ろから歩いて来た母親は、その子供が怪我をしないか、転ばないかって、ただ息子の事だけを心配していた。

俺は、全てを憎んだ。

自分には無い、全ての〝当たり前〟を。


そして、何年かの年月が経った頃、お前達家族がやってきた。

出会うべきではないと分かっていた。

だけど、俺とお前はあまりに似すぎていた。

ずっと見てた。ずっと…。

お前が、母親から受けたひどい仕打ちも。無関心なお前の弟も。

お前の学校の奴らも。全部…。だから、許せなかった。

体育用具室での事も、俺がやったんだ。あんな奴らの、一体どこにそんな権利がある?

毎日毎日、お前を虐げて…。

楽しそうにしているあいつらを見て、ふざけんなって思った。

―殺してやりたいと思った。―

奴らが、のうのうと生きているのが、許せなかったんだ。でも、殺せなかった。

俺は、釈然としないまま。怒りが消える事も無いまま…。


この部屋からは、出られないままだった。

それは、俺は死んでからずっとだ。

〝出て行く方法は、ただ一つ。〟

魂が救われなくては、出て行けない。

この地獄のような部屋から出て行く為なら、何でもする…そう思った。

だから、お前を殺して、ここから出て行こうと思ったんだ。

それでもし、出て行けなかったとしても…。

俺は、もう一人じゃない。

そう思った。


僕は、やっと真実を知った。海の話した過去の話。今まで、僕らが話さなかった話。

どれも辛い事ばかりで、そのどれもがもう、取り返しのつかない事ばかりだ。

でも、初めて海の言葉に、体温を感じた気がした。

鏡のように正反対の僕ら。

だけど、その内と外でこんなにも近い。

海の人生と、僕の人生が交錯していく。


―海は、僕だったんだ。―


「ごめんな…。」

全て話し終わった後、海はそう言った。

「お前とはもう、会わな…」

「嫌だ…‼」

答えを聞くより先に、口に出していた。

最後の言葉なんて、聞きたくない。

「僕は、海のものだって言ったでしょ?」

「は…?」

「僕には、優しい両親も、ましてや僕の死を悲しんでくれる人もいない…。」

「え…?」

「だから、海が望むなら…僕の全てを海にあげるよ。」

困惑しているのは、海の方だった。

「俺はお前を利用してたんだぞ!」

「うん…。」

「俺が今後、お前と会うって事は…俺はお前を殺さなくちゃならない‼」

「…。」

「一緒に生きる事は、無理なんだ…。」

そんな事、分かってるよ。海…。

「それでも、いいんだ…。」

僕の一言に、海は一層声を荒げる。

「何がいいんだよ‼」


今にも、泣きそうな海の瞳と向き合った。

僕にはそれで十分だ。

「何も良くねーだろ‼お前…‼自分の言ってる事分かって…‼」

「海と…一緒がいいんだ。」

留まる事も、進む事も無理なら、いっそ同じ場所まで落ちよう。

俯く海に、僕は言った。

「僕にとって、生きる事は地獄だ。」

「…。」

「生きてく以上、傷つく事も、苦しむ事も避けられないのなら…僕を消して欲しい。」

泣きながら、その場に崩れさる海。こんな海は、初めてだ。

「海…最後のお願い。僕を殺して…。」

大丈夫。僕だけは、海の側にいるよ…。

海が、僕の胸に手を伸ばす。

震える手に、僕は身を委ねた。

―僕は海の話を聞いて、初めてこの世界を憎んだ。―

誰も、海を助けなかった事を。 

僕らが生きる事さえ許さない残酷な現実を。

戦う事さえ、出来ない僕らの日常を。

そして、何より海を傷つけ、海の心を奪い続けたその男と、海の母親を。


僕はもう、天国に行こうとは思わない。

僕の死を、悲しんでくれる人が欲しいとも、思わない。

誰かを信じる心が欲しいとは思わない。

幸せも、愛情も欲しいとは思わない。

だから、死ぬ事さえ許されない罪だと言うのなら…。どうかこの罪だけは責めないで。

僕らの、一回きりの過ちを許して下さい。

誰からも、望まれない命を…。

誰にも救えない魂を。

どうか、助けてください。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ