18
幼子は、なかなか目を覚まさなかった。
郷は、重苦しい雲に覆われたように、うち沈んでいた。
ミーロンとフラウラはすっかり憔悴して、郷の人たちも、この家族のことをとても心配していた。
ルクスとアルテミシアの家族は、ことに心配して、毎日のように様子を見に行ったり、食事を届けたりしていた。
もちろん、ルクスとアルテミシアも、一日に何回も幼子の様子を見に行った。
そうして、七日目の朝。
朝の最初の光と共に、幼子は目を覚ました。
枕元には疲れ切ったミーロンとフラウラがいた。
ふたりとももう何日もまともに眠っていなかった。
そのときは、疲れ果てて、意識を失うように眠っていた。
幼子はそっと手を伸ばして、フラウラの手に触れた。
ほんのかすかな感覚だったけれど、それでも、フラウラはぱっと目を開いた。
そうして、目を覚ました子どもを見つけた。
「………。」
しばらくの間、言葉も声も出てこなかった。
けれど、何か胸の奥からふつふつとわきあがってきた。
「起きた?
大丈夫?
具合は?
痛いところは?」
思い付く言葉を次々に、並べながら、両手で子どもを抱き寄せた。
「よかった。
本当に、よかった。」
それから、ぎゅっと胸の中に抱きしめた。
その気配に、隣にいたミーロンも目を覚ました。
「………?起きた?
起きたのか?」
ミーロンはそう繰り返しながら、フラウラごと子どもを抱きしめた。
「よかった。
本当に、よかった。」
両親が泣いているのに気付いて、子どもは、小さな声で言った。
「あの。僕、ごめんなさい。」
「まったくだ。
もうこんな危ないことはしないでね?」
フラウラはちょっと叱るように言った。
それを、まあまあ、とミーロンはなだめた。
「子どもはいろんな経験をするものだから。
けれど、君のことは、いろんな人が心配している。
それだけは、忘れてはいけないよ。」
幼子は、ミーロンに言われたことをしばらくよく考えてから、答えた。
「分かった。」
よしよし、いい子だ、とミーロンは幼子の頭を撫でた。
幼子が目を覚ましたという報せは、あっという間に郷中に広まった。
みんな、この数日、ずっと心配をして、息を潜めるようにしていたから、あちこちで、歓声が上った。
なにより、ほっとしたのは、ルクスとアルテミシアだった。
ふたりは、その話を聞くなり、食べかけの朝食を放り出して、ミーロンの家に駆け付けた。
幼子はちょうど朝食を摂っている最中だった。
何日も眠り続けていたのだから、と、フラウラは消化によさそうなものをたくさんテーブルに並べていた。
幼子は、なかなか見事な食欲で、その食事を片っ端から平らげていた。
部屋に入るなり、ルクスは幼子に駆け寄ると、いきなり抱きしめた。
「ごめんな?
俺、ごめんな?」
他に言葉が出てこない。
アルテミシアも隣に来て言った。
「ごめんね?
怖かったね?
怪我、してなかった?」
「うん。大丈夫。
僕こそ、ごめんね?
すっごい、寝坊しちゃった。」
「まったくだぜ。
どんだけ寝るんだよ、お前。」
ルクスは軽く幼子の頭をかき混ぜた。
幼子は、へへっ、と笑った。
そこへ、ルクスの家族とアルテミシアの家族もやってきた。
「目を覚ましたんだって?」
真っ先に尋ねたのは、ルクスの母親だった。
それから、幼子の姿を見つけて、そこへ駆け寄った。
「大丈夫かい?
痛いところは?
気分は悪くないかい?」
「うん。
ごめんね、おばさん。」
幼子がそう答えると、ルクスの母親は、ぽろぽろと涙を零しながら言った。
「何を言うんだい、この子は。
ごめんね、はこっちだよ。
まったく、うちの息子が、とんだことを…」
ルクスの母親は子どもからむきなおると、ミーロンとフラウラに深々と頭を下げた。
「ちょっ、やめてくださいよ。」
慌てて押しとどめようとするミーロンを遮って言う。
「本当に、申し訳ない。
小さい子に、そんな危ないことをさせるなんて。
ほらほら、お前も。
ちゃんと、おふたりに謝るんだよ。」
ルクスを強引に引っ張ると、頭を押して下げさせた。
「まったくもう、このバカ息子は。
よくよく、言って聞かせますから。
もう、お宅のお子さんにも、近付かないように、って。
ね?ルクス。分かったね?」
ルクスは驚いたように母親を見た。
「母さん、それは、ないよ!」
「何言ってるの。こんなご迷惑をおかけしておいて!」
母親に叱りつけられたルクスの目に、じわりと涙が浮かぶ。
そのルクスの前に、幼子が割り込んだ。
「おばさん!それはやだ!」
幼子は、たどたどしい口調で、なんとか分かってもらおうと言い募った。
「僕、ルクスと遊びたい。
ルクスは何も悪くないよ。
僕が、上りたい、って言ったの。
ルクスは僕のお願いを聞いてくれただけなの。」
ルクスの母親は目を丸くして幼子を見た。
それから、そうだったのかい、ごめんねえ、と言いながら幼子を抱き上げた。
「優しい子だねえ。
ルクスを庇ってくれるなんて。」
幼子はぶんぶんと首を振った。
「そうじゃないの。
悪いのは僕なの。」
ぽろぽろと涙を零しながら、悪いのは自分だと繰り返す。
そんな幼子を見て、フラウラは言った。
「この子もこう言ってますから。
ルクスと遊ばせない、なんて言わないでください。」
「ルクスはもうずっと、この子をとても、可愛がってくれてます。
これからも、仲良くしてやってください。」
ミーロンも言った。
「俺、約束する。
もう絶対の絶対に、チビに危ないことはさせない。
約束するから。」
ルクスも泣きながら訴えた。
「おばさん、あたしも約束する。
ちゃんと、ルクスのこと見てるから。」
アルテミシアも加わって言った。
周囲から訴えられて、ルクスの母親も、そうかい、と頷くしかなかった。
「ルクス、だけど、その約束は忘れるんじゃないよ?」
「うん。分かった。」
ルクスは強く頷いた。
そのときの約束は、ルクスの胸に根を下ろして、ずっとずっと消えなかった。
そして、生涯、ルクスは、その約束を守り続けたのだった。




