17
幼子は、ルクスに、ここでじっとしていろ、と言われた場所に、立っていた。
ルクスのほうを見て、凍り付いたみたいに、立ち尽くしていた。
けれど、ルクスには、どうすることもできなかった。
アルテミシアにも、どうすることもできなかった。
ぶつかる寸前、ルクスは、幼子のほうへ手を伸ばした。
何も考えていなかった。
ただ、本能的に、幼子を守るように、自分のほうへ引き寄せて、ぎゅっと胸の中に抱きすくめた。
ざあっという本降りの雨の森の中を、アルテミシアの悲鳴が貫いた。
その一瞬。
すべての音は消えた。
降る雨も、落ちるルクスも、すべての動きを止めた。
その世界を、七色の光が覆った。
不思議な花の放つ光だった。
アルテミシアは、見開いた目でその一部始終を見ていた。
もう、どうしようもない。
幼子もルクスも、きっとひどい怪我をするだろう。
自分はなんてことをしてしまったのだ。
絶望と後悔に押しつぶされた心に、七色の花の光は、希望のように差し込んだ。
七色の光は、ルクスと幼子を包み込むと、ゆっくりと下の安全な地面まで下ろしていった。
光のなか、ルクスの手足についた小さな擦り傷も、きれいに治っていた。
一瞬の後。
ざあざあという雨の音と、地面に下ろされたルクスと幼子は戻ってきた。
アルテミシアは、ふたりの元へ急いで駆け寄った。
ふたりとも、気を失っていた。
けれど、どこか怪我をした様子はなかった。
ルクスは、幼子を守るように、しっかりと抱きかかえていた。
冬の暖炉の前で、ふたり仲良く寄り添って、昼寝をしているように見えた。
「起きて!
ルクス!
起きて!」
アルテミシアはふたりのからだを揺すって起こそうとした。
すると、ルクスが、気持ちいい昼寝から起こされた、みたいな顔をして、目を開けた。
「なんだ?
今、いいとこなんだ。
もうちょっと頑張れば、あの花を…」
寝ぼけたように言いかけて、口の中に入ってくる雨に気付いた。
「うわっ!
なんじゃ、こりゃ!」
髪も服も、どこもかしこもずぶ濡れだった。
「いいから、帰るよ!」
アルテミシアは間髪入れずに宣言すると、幼子を抱え上げようとした。
「おう!
チビは、俺の背中へのせろ!」
ルクスもすぐに跳ね起きると、幼子を自分の背中へ背負った。
「走るぞ!」
アルテミシアに否やはない。
ふたりは、そのまま、郷を目指して駆け始めた。
郷に戻ったとき、ふたりともずぶ濡れだった。
心配して子どもたちの帰りを待っていた家族は、すぐにふたりを乾いた服に着替えさせて、火を焚いて冷え切ったからだを温めてくれた。
幼子は、郷に帰りついても、まだ目を覚まさなかった。
ミーロンとフラウラは、ルクスとアルテミシアにお礼を言って、子どもを連れて帰った。
温かい飲み物で、頬に赤みが戻ってくると、ルクスとアルテミシアは大人たちに取り囲まれて、事情聴取が始まった。
ふたりは、岩の上に不思議な花を見つけたところから、全部、包み隠さずに正直に話した。
それから、長々とお説教をくらった。
ふたりともお説教にはすっかりしょんぼりしてしまったけれど、それよりも、心配なのは幼子のことだった。
翌朝になっても、幼子は目を覚まさなかった。
枕元で香を炊いたり、音を鳴らしたりしても、効果はなかった。
ルクスは、放っておくとろくなことをしない、と、母親に、大量の薪割りを言いつけられた。
丸一日やっても、到底終わるはずのない量だったけれど、ルクスはそれを、たった半日で片付けた。
やり終えた途端、薪割りの斧を放り出して、ミーロンの家に駆けて行った。
ルクスが行くと、ちょうど、アルテミシアも、お見舞いに来たところだった。
持ってきた籠には、幼子のからだによさそうな薬草や香草がたくさん入っていた。
ふたりはその籠を抱えて、ミーロンの家を訪ねた。
「昨日は、うちの息子がお世話になったね。」
ミーロンは、そう言って、ふたりを家に入れてくれた。
フラウラはずっと子どもの傍にいて看病をしていた。
ふたりが行くと、無理して笑って言った。
「ごめんね。まだ、目を覚まさないのよ。」
フラウラは、子どもを心配するあまり、すっかりやつれた様子だった。
覗き込んだ幼子は、すやすやと寝息を立てて、眠っているようだった。
どこか苦しそうには見えなかった。
昨日の出来事は、大人たちには全部話していたし、それは、ミーロンたちにもちゃんと伝わっていた。
「不思議な花を見つけたんだって?」
全員が黙りこくっていると、ミーロンがそんなことを言い出した。
「俺も、聞いたことあるよ。
七つの色に光るんだろ?
それを見つけたら、すごくいいことがあるそうだね?」
「…本当にその花だったのか、思い出してみたら、自信ないな、って…」
しょんぼりと話すアルテミシアを、ルクスは遮った。
「いいや。あれは、確かに、七色の花だった。
俺は、すぐ近くで、この目で見たんだ。」
それから、ミーロンを真っ直ぐに見て言った。
「あの花は見つけても、摘んじゃいけない花だったんだ。
なのに、俺、あの花を摘もうとしてた。
アルテミシアにも止められたのに。
どうしても、持って帰りたかったんだ。」
「あたし、考えなしに、弓を射てしまった。
だから、ルクスは岩から落ちて…」
「チビを岩に上げたのは俺なんだ。
高いところを見せてやりたかった。」
「あたしたち、もっと注意するべきでした。
本当に、ごめんなさい。」
ミーロンとフラウラはふたりの話しを静かに聞いた。
それから、フラウラは言った。
「アルテミシアは、その花が光って、ルクスとこの子を助けてくれるところを見たのよね?」
アルテミシアが頷くと、静かに微笑んだ。
「よかった。
なら、きっと、大丈夫。」
大丈夫、大丈夫、と、フラウラは、まるで自分に言い聞かせるように言い続けていた。




