16
難なく花のところへ辿り着いたルクスは、花の不思議な美しさに、目を奪われた。
「すげー、ほんと、すげーな、これ。
いや、すげー、すげーよ。」
語彙もほとんどなくなっている。
「いいから、早く下りなよ。」
アルテミシアは、下から見上げながら言った。
ルクスの耳には多分、聞こえていないだろうけれど。
この場所で弓を射るのは、流石にまずいと思った。
「いや、すげーって。
ちょっと、待ってろ?
今、持って行ってやるから。」
「摘まなくていいから。
せっかく咲いてるんだから、そっとしておいてあげて。」
「はあ?
それじゃ、お前らが、傍で見られないだろ?」
「ここから見られたので十分だから。
摘んだらダメ。」
アルテミシアは少し怒っているみたいだ。
「えぇー…」
ルクスは不満そうに唇を尖らせると、もう一度花をしげしげと見た。
とても不思議な花だった。
ひとつの花のなかに、色が七つある。
こんな花は見たことがなかった。
この花は絶対に、あとのふたりにも見せたかった。
「だけど、摘んだら怒るだろうな…」
薬草摘みのときも、ルクスが余分に摘もうとすると、アルテミシアはいつも怒る。
必要以上に摘んではいけない。
いつもうるさいくらいに、アルテミシアはそう言っていた。
「ときどき、あいつ、母ちゃんより、うるさいからな…」
だけど、こんな珍しい花は、もう二度と見られないかもしれない。
ルクスはもう一度アルテミシアにむかって言った。
「なあ、俺、引っ張ってやるから。
お前も上ってこいよ。」
「イヤだよ。」
けれども、アルテミシアは、頑なに首を振った。
そのときだった。
ぽつっ、と、小さな雨の粒が、アルテミシアの頬に当たった。
「ルクス!
雨が降ってきた!」
そう言えば、朝、出しなに、祖母に声をかけられたのを思い出した。
「早く帰ろう、ルクス。」
雨に濡れたら、こんな岩の上はますます危ない。
高いところにいる幼子のことも、心配だった。
「おチビちゃん、下ろさないと。
早く!ルクス!」
アルテミシアはもう花のことよりも、ルクスと幼子の安全のほうが気になっていた。
けれども、ルクスは、まだ花が心残りだった。
さっきから、ルクスも、ぽつりぽつりと、ほっぺたに、雨の粒を感じていた。
アルテミシアは、雨が降る前に帰ろうと、うるさい。
けれど、まだ、本降り、なわけじゃない。
今のうちに、なんとか…
こっそり、摘んでいくか?
ルクスは花を睨んだ。
花は摘めばいずれ枯れる。
だけど、摘まなくても、どうせ枯れる。
そうだ!
ふいに、ルクスはいいことを思い付いた。
根っこごと、掘り返せばいい!
そうして、畑に植えなおしてやればいいんだ。
そうしたら、そのうちに、畑全体に、七色の花が咲くかもしれない。
いい考えのように思った。
このとても不思議で珍しい花を、郷のみんなにも見せてやれると思った。
何より、この花を、畑で増やす、ということは、魅力的に感じた。
思い付いたら、もう夢中。
夢中になったら、他のことは、全部忘れてしまう。
ルクスは、花の根を傷つけないように、周りを掘り始めた。
けれども、ルクスの計画はすぐに固い岩に阻まれた。
花の周りに、土はほとんどなくて、花の根は、固い岩の隙間に入り込んでいた。
無理に引っ張れば、根が千切れてしまう。
けれども、固い岩には、素手ではどうしようもなかった。
雨はますますしっかりと降り始めた。
まだ大丈夫、とごまかすのも、そろそろ限界な感じだった。
ルクスは焦った。
なんか、道具、ないかな?
細い枝とか…尖った石とか…
辺りをきょろきょろと見渡すけれど、使えそうな物は何も見当たらない。
アルテミシアは、薬草の根を掘る道具を持っているけれど、今から降りて、貸してくれと言っても、絶対に貸してくれないだろう。
アルテミシアは、花を摘むのには反対だし、何より、今は早く帰りたがっている。
だけど、今を逃したら、この花は、もう枯れてしまうかもしれない。
強い雨に打たれて、ダメになってしまうかもしれない。
そう思ったら、やっぱり、どうしたって、花をこのまま置いて帰れなかった。
くそっ!
ルクスはもう一度、岩の間に手を突っ込むようにして、花の根を取ろうとした。
ここを、もう少し、なんとか…
ざあ、と音を立てて、雨は降り始めた。
前髪から落ちてくる雫が、目に入ってうっとうしい。
そのときだった。
ひゅん、と風を感じて、反射的にからだを引いた。
それから、カツン、と固い音がして、予想外のほうから、何かがルクス目掛けて飛んできた。
ルクスはもう一度、反射的にからだを引いた。
それは岩に当たって弾かれた矢の先だった。
迫ってきた矢は無事に避けたルクスだったけれど。
二度目の動きに、完全にバランスを崩した。
「ルクス!」
アルテミシアが悲鳴のように名前を呼んだ。
もう一本、矢が、飛んできた。
それはルクスの服を見事に射抜いて、もう一度、岩に当たって弾かれた。
「うわっ!」
この動きは、流石のルクスも対応できなかった。
矢はルクスの服をしっかり射抜いた状態で、岩に反射して、ルクスごと、あらぬほうへと飛んだ。
本能的に、なんとか岩にしがみつこうとしたけれど、勢いを殺しきらずに、ルクスはそのままそこから転がり落ちた。
このままじゃ、チビに当たる!
アルテミシアの悲鳴が森に響いた。




