15
ある日のことだった。
その日も三人は仲良く、森に来ていた。
雨になりそうだよ。
朝、出かけようとするアルテミシアに、祖母は、くんくんと風の匂いを嗅ぎながら言った。
あまり、遠くへ行かないようにするんだよ。
はい、とアルテミシアは頷いて、駆けて行った。
いつもならアルテミシアは、大人の言いつけを疎かにするような子どもではなかった。
けれども、その日だけは、少し事情が違った。
沢に沿って歩いているときに、百年に一度だけ咲くという、珍しい花を見つけてしまったのだ。
それは、以前、祖母が寝物語に語ってくれた花だった。
大昔に、祖母が一度だけ見たことがあるという、不思議な花。
それは光を受けて七色に輝き、その花を見つけた者は必ず幸せになれるという。
そんな特別な花だった。
「アルテミシア!」
足場の悪い沢沿いを、手を繋いで歩いていた幼子は、いきなり立ち止まると、アルテミシアを呼んだ。
どうしたのかと見ると、傍らの岩の上を、しきりに指差している。
その指差す先を見ると、大きな岩の上に花が、一輪だけ咲いていた。
最初は、あんなところに珍しいな、と思っただけだった。
土もなさそうだし、他の花もなさそうだ。
そのとき、雲間からさしてきた日光を受けて、花が七色の光を放った。
アルテミシアは思わず息を呑んで、先に立って歩いていたルクスの服を、力一杯引っ張った。
足元に注意を払いながら慎重に歩いていたルクスは、いきなりあらぬほうへ引っ張られて、足を踏み外しそうになった。
「おい、こら、いきなり、何をする!」
文句を言おうと振り返ったルクスは、ぱっくりと口を開いて上を指差しているアルテミシアに、もう一度驚いた。
アルテミシアのそんな顔を見たのは初めてだった。
「どうした?」
心配になって尋ねると、アルテミシアは無言で岩の上を何度も指差した。
「あ?
なんだ?」
ルクスは手をひさしにして、岩を見上げた。
それから、いきなり叫んだ。
「うぉ!
なんだ、あれは?
すげー!すげーな、おい!」
感動すると語彙が極端に少なくなるのは、小さいころから変わらない。
「なんだ、あれ!
すげーぞ、おい!」
すげー、すげー、と何度も繰り返してから、一片の迷いもなく、いきなり岩をよじ登り始めた。
「あ。ちょっ、危ないよ、ルクス!」
アルテミシアは、慌ててルクスを引き留めようと服の裾を掴んだ。
「おい、放せ。
今、俺が、あれ、取ってきてやるから。」
ルクスは振り返りもせずにアルテミシアの手を振り切ると、大岩をよじ登り始めた。
大きな岩には手や足をかけるところも少なくて、おまけに斜面は向こう側に行くのではなく、ちょうどふたりの背の高さ辺りまで、手前にせりだすようになっている。
とてもではないけれど、登ろう、という気にもなれないような岩だった。
ルクス以外は。
それをルクスはするするとよじ登っていく。
常々、ルクスの、危険を顧みずに挑戦するところには、アルテミシアも感心していたけれど、このときは、それ以上だった。
よくもまあ!
あんなところを、するすると登れるなんて、とても人の技とは思えない。
なによりもまず、あれを登ろうと思えるなんて、本当にすごい。
せりだした部分を乗り超えて、その先によじ登ると、ルクスはそこでひと休みして、アルテミシアたちを振り返った。
「おおー。
眺めがいいぜ、ここ。」
岩の縁に立って、あちこち見渡している。
「この沢って、こうなってたんだ。
ちょっと、こう、こーんなふうに、曲がってるんだな?」
両掌を平行にして、こーんなふうにと、沢の形をなぞってみせるのを、アルテミシアは、はらはらしながら見ていた。
「ちょっと!
手を、離さないで!」
「あー?」
アルテミシアを見下ろして、ルクスはにやりと笑った。
「なんだ、びびってんのか?
大丈夫だよ。」
それからわざと岩の上で片足立ちなどしてみせた。
けれど、アルテミシアが、ひっ、と息を呑んだのを見て、流石にやり過ぎたかと反省した。
大人しく立つと、きちんと足場を確保してから、もう一度、辺りを見回した。
「けど、ここ、本当に、見晴らしがいいぞ。
そうだ、お前らも、上ってこいよ。」
「は?」
アルテミシアはぶんぶんと首を振った。
「大丈夫だよ。
ここなら、ちゃんと立てるって。
俺、引っ張ってやっから。」
ルクスは説得しようとしたけれど、アルテミシアは首を振り続けた。
けれど、その手を、下から引っ張られた。
「僕、いきたい。」
「は?」
アルテミシアは、見下ろして、また、ぶんぶん首を振った。
すると、幼子は、とても悲しそうな顔をして言った。
「だめ?」
う。
アルテミシアは言葉に詰まった。
そのくらい、その顔は悲しそうだった。
「おう。お前、怖いんだったら、下で待ってりゃいいよ。
だけど、チビは上げてやれ。
そこで抱えてくれたら、俺、こっちから引っ張るから。」
岩のせりだしたところから身を乗り出して、ルクスは、こっちこっち、と合図をした。
「そこでお前が持ち上げたら、届くだろ?」
確かに。
そこなら届きそうだ。
こんなに行きたがっているのだし。
こちらから持ち上げて、ルクスがあっちから引っ張ってくれるなら、危険はないかも。
そう考えたアルテミシアは、ルクスの言った通り、幼子を抱き上げて、岩の傍に行った。
子どもの膝のところを抱えて、高く持ち上げる。
「おう、もうちょっと、こっち。
ここへ足を乗せろ。
そうだ。
よし、捕まえたぞ。
おい、チビ、俺の手を離すなよ?」
「うん。」
ルクスは幼子の手を掴んで力一杯引き上げた。
岩の上に乗った幼子は、初めてやり遂げた大仕事に、ひどく感動していた。
「うわー…すごい。」
「だろ?
お。
ちょっと待ってろ。
俺、あの花、取ってくる。
いいか?
ここで、じっとしているんだぞ?」
分かった、と頷くのを確認してから、手を離す。
それから、ルクスはひょいひょいともう少し高いところにあった花を取りに行った。




