13
まだ明けきらない雪の朝、ルクスが凍えながら赤ん坊を見に来た。
その噂は、あっという間に郷中に広まった。
人々は、なんとまあ、と驚いて、なるほどルクスらしい、と頷いて、そんなに嬉しかったのか、と笑い合った。
それにしても、そんなことをしても、ルクスは風邪ひとつひかなかったらしい、とそんなおまけもついて、なるほど、なんとかは風邪をひかない、とはこのことか、とついでに言われてしまった。
けれど、ルクスが風邪を引かなかったのは、ミーロンとフラウラのおかげだった。
ミーロンは大急ぎで暖炉の火を掻き立ててから、ルクスの服を全部脱がせて、自分の服に着替えさせた。
フラウラは、急いで起きてきて、温かいお茶を淹れてくれた。
ぶかぶかのミーロンの服にくるまって、ルクスは、ほくほくと赤ん坊を胸に抱いていた。
ぱちぱち燃える暖炉の火を見ていると、ほっこり気持ちも落ち着いてくる。
温かい冬の服は、冷たい風も通さずに、あっという間に、ルクスはぽかぽかにあたたまった。
赤ん坊のぬくもりは、昨日とまったく一緒で、息は甘い匂いがしていた。
そうしていると、もうとにかく幸せで、いつの間にか、暖炉の前の敷物に横になって、ルクスは眠ってしまった。
心配してルクスを探しにきたルクスの母親は、気持ちよさそうに一緒に眠っている息子と赤ん坊を見つけて、あんぐりと口を開いた。
「ごめんねえ、本当に、うちのバカ息子ときたら…」
朝起きて、息子が家にいないことに気付いた母親は、真っ先に、ミーロンの家にやってきた。
息子の居場所をすぐに分かるあたりは、流石に母親だ。
家を訪ねるには、まだ早い時刻だったけれど、窓の隙間から灯りが見えたので、そっと、戸を叩いてみた。
そのときにはもう、ルクスはすっかりあたたまって、顔色もすっかりよくなっていた。
「いえいえ。
気持ちよさそうに寝てることだし。
もう少しこのまま、寝かせておいてあげましょう。」
ミーロンとフラウラにそう言われて、ルクスの母は、しきりに恐縮しながらも、戻っていった。
結局、昼前まで、ルクスはそのまま眠っていた。
朝早くいきなり押しかけてきて、暖炉の前に長々と伸びて寝てしまうなど、迷惑以上の何者でもないけれど、誰もそれを怒らなかった。
あの赤ん坊の可愛さなら仕方ない。ルクスなら仕方ない。それで済まされてしまった。
その後も、ルクスは赤ん坊の世話をよく手伝った。
赤ん坊に食べさせるのは、木の実を煮崩れるまで煮たお粥だった。
木の実の殻を中の渋皮まで丁寧に剥いて、きれいに洗い、小鍋に入れて火にかける。
途中、何度も水を差しつつ、焦がさないように混ぜ続けなくてはならない。
この手間のかかる鍋の番を、イヤな顔もせずに毎日やった。
ルクスにこれほどの根気があったとは、と皆に驚かれたくらいだった。
鍋の番をしながら、ルクスは赤ん坊の相手もした。
赤ん坊が火の方へ手を出さないように気を付けながら、ときどき鍋をかき混ぜる。
すぐに飽きるだろうと、最初は皆思っていたけれど、結局、その冬の間、ルクスは毎日、その仕事をこなし続けた。
森も畑も雪に包まれて、薬草採りはしばらくの間、おあずけだった。
それでも、冷たくて乾いた冬の間に、しておかなければならない仕事はたくさんあった。
忙しい合間に、アルテミシアも、赤ん坊の顔を見に来た。
そうして、祖母の調合した、赤ん坊の成長にいい薬を、飲ませたりしていた。
ミーロンとフラウラは、赤ん坊の両親、ということになっていたけれど、郷中の人々が、その世話に手を貸した。
子どものいる、ルクスの家族やアルテミシアの家族はもちろん、大昔に子どものいた人たちや、まだ子どものいない人たちも。
みんな、赤ん坊のためにできることをいつも探しているようだった。
その冬は、そんなふうに過ぎていった。
やがて、日差しが明るく輝き、風の中に花の匂いの混じるころ。
赤ん坊は、テーブルの脚につかまって、ゆっくりと立ち上った。
最初にそれを見つけたのは、いつも赤ん坊の傍にいたルクスだった。
ルクスは声も出せずに、ただただ、立ち尽くしてそれを見ていた。
赤ん坊は、そのルクスのほうを振り返ることはなく、今は、立つことに集中していた。
両手で机の脚をつかみ、からだを持ち上げる。
あと少し…もう、少し…
おぼつかない赤ん坊の足が床にしっかりと立つのを、ルクスは、ずっと見守っていた。
そうして、とうとう赤ん坊はその大仕事をやってのけた。
その瞬間、ルクスは、思わず、やったー、と叫んでいた。
ルクスの声に驚いた赤ん坊は、ぺたん、と尻もちをついてしまったけれど。
ルクスを振り返って、にこっと笑った。
まるで、大仕事をやり遂げた自分を、すごいでしょう?と誇るように。
ルクスはその赤ん坊を抱き上げると、頭の上に持ち上げた。
高いところに持ち上げられて、きゃっきゃと赤ん坊が喜んで笑う。
ルクスはどうしてか、涙があふれてきてしまった。
それでも、やったーやったー、と言い続けた。
騒ぐ声を聞き付けて、何事かとミーロンが見に来た。
そのミーロンに、ルクスは、今の出来事を伝えた。
それを聞いたミーロンは、赤ん坊を受け取って、もっと高いところに持ち上げた。
赤ん坊は、ますます、きゃっきゃと喜んだ。
遅れてやってきたフラウラは、赤ん坊を持ち上げて、やったーやったーと叫びながら、奇妙な踊りを踊るふたりを見つけて、首を傾げた。
ミーロンは、落ち着いた一人前の青年だと思っていたけれど、今はルクスと変わらない少年のようだった。
赤ん坊が立った、という噂は、あっという間に郷の中に広まっていく。
みんな、春が来るのを喜ぶように、赤ん坊の成長を喜びあった。
温かい人々に囲まれて、赤ん坊は、すくすくと成長していった。
赤ん坊はすっかりルクスに懐いてしまって、傍にいないと、その姿を探すようになった。
そうして、ルクスを見つけると、いつもついてくるのだった。
最初に言ったのは、父さん、母さんではなく、ルーだったのは、その後ずっと、ルクスの自慢だった。
単に、ルクスはいつも赤ん坊の傍にいたから、自然と周りの人たちがルクスを呼ぶのを、よく耳にしていたからに過ぎないのかもしれないけれど。
ルクスは、赤ん坊に最初に名前を呼ばれたのは自分だと、みなに何度も言いふらしては、それはもう何度も聞いた、とうっとおしがられていた。
温かくなってくると、ルクスは赤ん坊を家の外に連れ出した。
道端の石ころ。小さな虫。尖った枝。
赤ん坊の目線になると、危ないものはたくさんあるんだと、改めてルクスは思った。
あのおバカなやんちゃ坊主が、赤ん坊の世話をするようになって、一気に賢くなったようだ、と、皆に不思議がられた。
アルテミシアの畑にも、赤ん坊を連れて行った。
赤ん坊は、ふかふかの土を握って、楽しそうに遊び始める。
それを見ていて、ルクスも、耕した畑の土は、周りの土とは全然違うのだなと思ったりもした。
ルクスは口だけじゃなく、本当に、赤ん坊をよく世話していた。
そして、赤ん坊のおかげで、ルクス自身も成長していた。
春が過ぎ、夏が来て、秋になる。
季節が移り変わる毎に、赤ん坊はできることが増えていった。
今年の秋には、甘く煮詰めたベリーも、たくさん食べられるようになった。
転んで、泣いて、抱き起こしてもらう。
ルクス、と、アルテミシア、も、たどたどしくだけれど、言えるようになった。
指先で、種をひとつずつ摘まめるようにもなった。
次々に季節は巡り、森の民の暮らしも巡る。
ルクスは初めて自分専用のナイフをもらって、最初に作ったのは、赤ん坊に握らせる木彫りの人形だった。
アルテミシアは細い糸を編んで、赤ん坊に温かい襟巻を拵えてやった。
いや、いつの間にか、赤ん坊も、赤ん坊ではなくなっていた。
この子に名前をつけてはならない、という老婆の進言は、ずっと守られていた。
名前を呼べなくても、日常では、それほど困ることも少なかった。
次の冬が過ぎて、春も過ぎ、一年、二年、と経っていく。
ルクスとアルテミシア、それから、森で拾われた子は、いつも三人一緒にいるようになった。
三人は、森の中を駆けまわり、冒険した。
小さな怪我は、何回もしたし、毒虫に刺されたりもした。
お腹を壊したことも、熱を出したこともあった。
子どもだけで切り抜けられないピンチは、周りの大人たちが必ず助けてくれた。
だから、みんな安心して、冒険を続けられた。
そうして、森の子どもたちは、大きくなっていった。




