12
その夜。ルクスは、眠ったのか眠らなかったのか、よく分からなかった。
寝床に入ったのは、いつもよりかなり遅かったし、夜中に何回も目が覚めて、なんとか眠ろうとしたけれど、なかなか眠れなかった。
一年で一番長い夜は、なるほどとてつもなく長くて、早く朝にならないかと、そればかり念じていた。
朝になれば、あの赤ん坊を見に行ける。
そう思うだけで、わくわくして、ますます眠れなくなった。
こんなにわくわくが止まらないのは、あの、アルテミシアと初めて薬草を採りに行って以来だった。
あのときも、まだ暗いうちに起きて、アルテミシアの家に行った。
流石に、戸を叩くのは、憚られて、家の戸にもたれて、じっと、待っていた。
辺りは、光と陰の世界から、ゆっくり、ゆっくりと、色を取り戻していく。
こんなふうに世界は毎日生まれ変わるんだ、と思った。
朝露にぐっしょり濡れて、風邪を引きそうになったけれど。
その風邪は、気合で吹き飛ばした。
その日は結局、薬草採りには行けなかったけれど。
代わりに、アルテミシアに畑仕事を習った。
それもまた、楽しかった。
それに、アルテミシアを手伝うようになって、みんなからも、よく褒められたり、感謝されるようになった。
有難う、と言われることは、こんなに嬉しかったんだな、って、思った。
憎たらしかったアルテミシアのことも、ちょっと、いや、だいぶ?いやいや、かなり!好きになった。
あいつなら、いつか、けっこん、してやってもいいかな。
けっこん、って、いろいろ、面倒なことも多そうだけど。
賢いアルテミシアなら、きっと、全部知ってるだろうから、任せておけばいい。
けっこん、するには、家を作らなくちゃ。
畑の傍がいいかな。
いっそ、森の近くにするか。
郷では、婚礼式を迎える若者がいると、郷のみんなして、新しい家を作る。
ミーロンとフラウラの家も、つい最近、作られたばかりだった。
ルクスは、その家作りを手伝おうとうろちょろしては、危ないと叱られていたけれど。
皆が協力して家を建てていく様子は、とても面白かった。
俺、畑も頑張るし、狩にも行く。
こんれいしき、をあげたら、木にお願いして、赤ん坊をもらおう。
せいれいの木、は、もう見つけてあるしな。
アルテミシアは大人になるまで、どの木か教えてもらわない、って言ってたけど。
先に見つけたのは、ラッキーだったな。
そんな夢想をしては、うとうとして、ほんのうっすらと、明るくなり始めたら、もう、じっとしていられなかった。
大急ぎで着替えをして、足音を忍ばせて、外に出た。
母親に見つかったら、こんな朝っぱらからどこへ行くのかと、また小言を言われるに決まっている。
両親の寝室の前を通るときには、細心の注意を払った。
なのに、表の戸を開いた途端、ルクスは、思わず、おおお、と叫んでしまった。
慌てて、口を押えて、辺りを見回す。
今の声を聞きつけて、誰か起きてこないかと、しばらくはからだをすくめて様子を伺った。
なんとか、誰にも気付かれなかったみたいだ、と確かめてから、ルクスは改めて、表を見渡した。
夜の間に、この冬最初の雪が降り積もって、辺りは一面、銀世界だった。
真っ白の雪に、ルクスは、思い切って、一歩、踏み出した。
くっきりとつく足跡に、ほわぉ、と思わず叫んでから、慌ててまた口をおさえる。
まったく、今朝は、うっかり叫びすぎる。
ルクスは、まっさらの雪に、点々と足跡を残しながら、進み始めた。
靴の中に、容赦なく雪が入ってくる。
アルテミシアを待っていたあの朝は、まだ朝露程度だったけれど。
今朝は、この雪だ。流石に寒かった。
指先は、じんじん痛くて、真っ赤になった。
耳の先も痛い。
マフラーと手袋をしてくればよかったかな。
いつも、母親に、着けて行けと言われるのを、うるさく感じていたけれど。
あれは、やっぱり、いるものだな、と思った。
辛うじて着て来た上着をぎゅっとからだに巻きつけて、ポケットに手を突っ込む。
ポケットに手を突っ込んで歩くな、と、母親にはいつも言われているけど。
このじょうきょうじゃ仕方ないよな、と、誰にともなく、言い訳をした。
襟の中に、ぎゅっと首を埋めたら、耳の痛いのも少しましになった気がした。
ミーロンの新しい家は、すぐ隣だった。
ちなみに、アルテミシアの家は、ミーロンの家を挟んだ、そのむこうだ。
雪の中を歩いていたら、すぐに、靴はべちゃべちゃになった。
靴下までぐっちょり濡れて、冷たいというより痛い。
着替えたいけれど、家に帰れば、絶対に母親に見つかる。
せめて、その前に、赤ん坊の顔を、一目だけ、見て帰ろうと思った。
家に帰ったら、朝飯を食えだの、顔を洗えだの、うるさいからな。
こっちは、もっと大事な用事があるんだって。
そなたらふたり、生涯かけて、この赤子を護ると誓え。
昨夜、占いの婆に言われた言葉は、胸の中にしっかりと刻まれていた。
こいつも、アルテミシアも、俺が、護る。
その誓いは、婆に言うというより、自分に誓った言葉だった。
そのためにも、早速、赤ん坊の様子を見なくちゃ。
あの後、大人たちは話し合って、赤ん坊は、ミーロンとフラウラに預けられることになった。
フラウラがそうしたい、って、強く言ったからだった。
郷の大人たちは、子どものいるアルテミシアかルクスの家に預けるのがいいのじゃないかとも言っていた。
ルクスとしては、自分の家に預けられるなら、これほど嬉しいこともないと思ったけれど。
結局は、フラウラたちに預けられることになった。
まあ、それでも構わない。
フラウラの家は、どのみち、隣だ。
そのうち、一晩くらい、貸してくれるだろう。
駆けて行けば、百歩もかからない隣の家に、その朝は、雪の中を歩いて、たいそう苦労して辿り着いた。
もちろん、家に灯りはついていないし、中の様子を伺っても、しんと寝静まっている。
流石のルクスも、この時間に扉を叩くのはまずいと思って、扉にもたれて、そのまま立っていた。
扉にもたれていたら、中の住人が開けたときに真っ先に気付けると思ったからだ。
座りたかったけれど、地面は雪に覆われていて、冷たくてとてもじゃないけれど、座れなかった。
じっとしていると、足先から、冷たさが這い上ってくるようだった。
両手をポケットから出して、真っ赤になった指先に、息をふきかけてみる。
こすったら、ちょっとあったかいような気もしたけれど。
ポケットに入れてるのと、どっちがあったかいかな。
少しばかり、家の暖炉が恋しくなった。
いつもの朝なら、母親が早く起きて、暖炉に火を入れておいてくれる。
起き抜けのルクスは、着替える前に、暖炉の前に走って行って温まる。
早く着替えてこい、と母親は、火箸を振り回して怒るけど。
あのあたたかさは、なかなか、離れられないんだよなあ…
いやいや。
俺は今、すーこーな、しめい、を背負って、ここにいる。
ここにい、る…
ぶえっくしょい!!!
とんでもないくしゃみがでた。
いきなりで、我慢も覚悟もできなかった。
せめて、もう少し、抑えられたらよかったんだけど。
窓の隙間から、光が漏れる。
部屋の灯りが灯されたようだ。
何を言っているのかは分からないけれど、人の話し声も聞こえた。
まずい!
ルクスは慌てて逃げだそうとしたけれど、冷え切ったからだは、思うように動かず、ぎくしゃくとその場に膝をついた。
そのルクスの後ろで、誰かが扉を開けようとして、ルクスにひっかかって動かなくなっていた。
「あれ?
っかしいなあ…
っっっ!」
ミーロンのそんな声がして、気合を入れて力いっぱい扉を押された拍子に、ルクスは前にころころと転がった。
「???
ルクス!!!
おい、大丈夫か?」
慌てて駆け寄ったミーロンに、ルクスは、雪で真っ白になった顔でへらへらと笑った。
「おはよう、ミーロン。
赤ん坊は、元気?」
ミーロンは、驚いていいやら、笑っていいやら、怒っていいやら、よく分からなくなって、その間に、ルクスのからだが、雪のように冷たくなっているのに気付いた。
「お前、この寒いのに、そんな薄着で。
いいから、家、入れ。」
「あ、ははははは…
よかった。
赤ん坊に会える。」
ルクスは嬉しそうに笑うと、ミーロンに抱えられながら、家の中に入れてもらった。




