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村外れ、ほとんど森と言ってもいいところに棲んでいる占いの婆は、自分からは滅多に郷の人々に関わろうとはしなかった。
けれども、もしも、何かを心に抱えていて、どうしようもないとき、誰にも打ち明けられないような悩みを、こっそりこの婆に相談する者は多かった。
ゆえに、婆は、郷の人々の秘密を、誰よりよく知っている、と言う者もいた。
滅多に郷にはこない婆だったけれど、ルクスの生まれたとき、いきなりやってきて言った。
「この赤ん坊は、いずれ、王になる。」
唐突にそれだけ宣言すると、あとはそそくさと帰ってしまった。
恐ろし気な老婆に、大声を出されて、びっくりしたルクスは大泣きをし、母親は赤ん坊をなだめるのに大わらわ。
近くで見ていた父親や、郷人たちも、あまりにも突然の宣言に、目と口をぽっかりと丸く開いたまま、その場に立ち尽くすだけだった。
そのとき以来の来訪だ。
みなが固唾を呑んで見守るなか、占いの婆は、辺りを見回すようにして言った。
「祭りの灯は、どうした?
今宵は大切な冬至祭りぞ。
とっとと、灯しに行かんか。」
全員が、あ、という顔になった。
それから、慌てて四方八方へと駆けだした。
「ああっ!
香草!香草!」
ルクスは慌てて郷人たちに、香草を配って回った。
「ほう、これは、よい香りがする。」
「近年まれにみる、よい火口だ。」
「これならば、森の精霊たちも、いつにもまして、喜ぶだろう。」
皆は火口の香りを嗅いで、口々に褒めてくれた。
細かく砕いて十分に乾燥させた草に摘んできた香草を混ぜると、冬至祭り用の特別な火口になった。
郷の家々から始まり、周辺の森へと、灯りを灯していく。
ゆっくりと、辺りは、冬至祭りの灯に染まって行った。
フラウラは、灯を灯すのはミーロンに任せて、ずっと赤ん坊を抱いていた。
赤ん坊は、少し疲れたのか、フラウラの腕の中で、すやすやと寝息を立てて、安心したように眠っていた。
森の精霊の贈り物。
まったく、その言葉の通りだと思った。
そうして、フラウラは、もうこの赤ん坊を、自分たちの子どもとして育てようと心に決めていた。
赤ん坊の騒ぎもあって、灯を灯し終えたときには、もうすっかり夜も遅くなってしまった。
森も郷も、温かな灯の色に染まると、族長が、旧い呪文を唱えて、祝福を送った。
祝福というものは、目には見えないけれど、その年は、誰もが、胸の奥がほっこり温かくなるような、そんな感覚を覚えた。
族長の祝福の次は、祝歌の合唱だ。
ルクスは、練習のときの三倍、大きな声で歌った。
ちらっと、母親がこっちを見た気がしたけど。
今日は、睨まれなかった。
なんだか、嬉しくて嬉しくて仕方がない。
こんな冬至祭りは初めてだ。
誰もが、そう思っていた。
祝歌が盛り上がり、郷の歌自慢が、次々に独唱を披露する辺りにさしかかったときだった。
誰かが、あっ、と言って、指さした。
つられて見上げた人々は、みな、口々に、あっ、と声を漏らした。
いったいどういうことなのか、真夜中の月に、きれいな虹がかかっていた。
今日、二回目の虹だった。
不思議なことに、その虹は、夜だというのに、はっきりと見えた。
そうして、そこから、七色の光が降り注いでいた。
ちょうど、アルテミシアの歌う番だった。
降り注ぐ光を浴びながら、アルテミシアは高らかに歌い上げた。
森の中に、アルテミシアの清んだ声が、どこまでもどこまでも響いていく。
世界中が、その歌声に聞き惚れて、しんと静まり返った。
フラウラに抱かれて、赤ん坊は、ぱっちりと目を開いていた。
赤ん坊もまた、歌うアルテミシアをじっと見つめていた。
いつの間にか、そのすぐ傍に、占いの婆が立っていた。
占いの婆は、赤ん坊を覗きこむようにしながら言った。
「この子は、ふたつの運命を背負って生まれた。
世界を救う大賢者と、そして、世界を滅ぼす魔王。」
アルテミシアの独唱の後、歌は、最大に盛り上がるところだった。
皆の歌声のなかなのに、婆のしわがれた声は、全員の耳に届いていた。
「森の中の赤子は、滅びの子。
決して、拾ってはならぬ。
もしも、拾ってしまったなら、すぐさまその命を、森に返さねばならぬ。
さもなくば、森は白く枯れ、世界は、崩壊の道へと進むだろう。
赤子の命は、世界を滅びから救う糧となる。
我らは、長く、そう言い慣わしてきた。」
歌の最後の和音のところが、ゆっくりと風に溶けるように消える。
しん、と訪れた静穏のなか、小さな光が、婆の手の中に、きらりと光った。
「虹の橋が、そなたを迎えにきた。
あの虹を渡り、元いた場所へと還れ。」
婆は、とても老婆とは思えぬほどの素早さで、赤ん坊に近付くと、その手に握ったナイフを、赤ん坊の喉元に突き立てようとした。
けれど、刃が赤ん坊の白い喉に届く手前で、それは、叩き落とされていた。
赤ん坊を抱いていたフラウラは、一瞬後に、その状況に気付き、慌てて、赤ん坊を護るように胸の中に抱きしめた。
フラウラと赤ん坊を庇うように、ミールムも立ち塞がった。
最早、老婆には、これ以上、赤ん坊を傷つける術は残されていなかった。
婆のナイフを叩き落としたのはルクスだった。
ルクスは拳を握りしめて、婆のナイフを力一杯殴っていた。
何かを考えて、そうしたわけじゃない。
ただ、気がついたら、そうしていた。
婆は、目を丸くしてルクスを見ると、ほう、と呟いた。
「そなた、この赤子を護るか?」
ルクスは、うんうん、と頷いた。
すると、婆は、もう一度、ほう、と言った。
ルクスの拳は婆のナイフに当たって、少し切れていた。
そこから赤い血が滴り落ちる。
ルクスの怪我に気付いたアルテミシアが、慌てて駆け寄った。
アルテミシアはルクスの傷ついた拳を握ると、その横に並んで、共に婆を見つめた。
ふたりの子どもに見つめられた婆は、もう一度、ほう、と呟いた。
「ならば、そなたらふたり、生涯かけて、この赤子を護ると誓え。」
ふたりは即座に強く頷いた。
郷の人々は、この様子を固唾を呑んで見守っていた。
老婆が意味もなくこんなことをしたとは、誰も思わなかった。
けれども、やはり、それを見過ごせる者は誰もいなかった。
彼らは、老婆から子どもたちを護るように、周りを取り囲んだ。
老婆は、郷人全員に聞こえるように言った。
「それが、この郷の者の選択ならば、それもよかろう。
ただし、この赤子に名を与えてはならぬ。
それだけは、この婆の言うことを、必ず守れ。
大いなる力は、人の手には余るもの。」
大昔の森の民は、精霊たちと親しかったそうだ。
しかし、どれほど親しくなっても、精霊に名前をつけてはいけない。
そう戒める寝物語を、幼いころに聞かされたことのない森の民はいない。
しかし、この赤ん坊は、どう見ても、精霊には見えなかった。
どう見ても、普通の赤ん坊だった。
「この赤子が、救いの子となるか、滅びの子となるかは、赤子を護る者次第かもしれぬ。」
「俺に任せろ。
こいつも、アルテミシアも、俺が、護る。」
堂々と宣言したルクスを、どこか楽し気に老婆は見た。
「おぬし、大きゅうなったのう?」
ルクスは何故かぞくりとして、思わず後退った。
それを見て、婆は、ほほほほほ、と笑った。
「わしごときに怖気付いとるようでは、大切なものは、護れんぞ?」
う。
ルクスはお腹に力を入れると、ぐい、と一歩前に踏み出した。
それを見た老婆は、満足そうに頷いた。
「王とは孤独なものじゃ。
どのみち、そなたの歩くは茨の道よ。
しかし、共に歩く者を得るなら、その道もまた、楽しかろうて。」
このばあさんは、いったい何を言ってるんだ?
婆の古臭い言葉遣いがよく分からなくて、ルクスは首を傾げた。
それを見た婆は、また、ほほほほほ、と笑った。
「さてと。よいものを見たのう。」
婆はそうひとりごちると、ゆっくりときびすを返した。
婆の前の人垣は、自然に左右に分かれて道ができる。
そこを婆は、ゆっくりと歩いて戻っていった。




