17.気になる殿方(2)
気にしてなどいませんけど、
けど、どうしてそう思ったのか、私気になります。
再び歩き始めた二人は、スペシャルスイートに戻るまでの数分間、お互い無言だった。アリスが護衛として側について歩く今は、リサが一緒の時に比して明らかに、声を掛けてくる者が少ない。UN制服を着た護衛は、その美しくも冷たい双眸で周囲を威圧するようで、視線は集めても、みな会釈をして速やかに道を譲るので、あまり立ち止まることがなかった。
グロリアステラのエグゼクティブ・スペシャルスイートは、船内の中央付近に位置していて様々な施設にアクセスしやすいが、巧妙に仕切られていて他の客室とは明確に隔てられている。船室前の通路を通るにも許可が必要で、今はメルファリアとアリス以外に誰も見かけない。
部屋に戻り、静かに扉が閉まると、それを待っていたかのようにアリスが口を開いた。
「メルファリア様、先ほどの男性乗客の件ですが」
「アリスさん、そのお話はもう……」
「いいえ。御身の安全のために聞いてください」
安全のために? といちど首を傾げてから、メルファリアはまばたきをして姿勢を正した。
アリスは話しかけた時から既に踵を揃えて姿勢を正している。
「あの乗客は、リー・ジョ・ルムと名乗っています。珍しい名前ではありませんが、これは、マイケル・リーの使う名前のうちの一つです」
「マイケル……」
あっ、と声にならない声を上げて、メルファリアは身体を強張らせた。
メルファリアに対してソファに落ち着くよう促して、アリスも小さなテーブルを挟んだ対面に腰を下ろす。
「まだ確証はありませんが、あの乗客がマイケル・リー本人である可能性があります」
「か、彼が……」
メルファリアは無意識にわが身を抱きしめるように腕を組み、わずかに震えた。
しかし、その容姿どころか体格すら、セヴォールで会った時とはずいぶん違うとメルファリアには思えたし、実際、違っていた。
「ですが、彼のあの姿は一体……」
「実は、シャンヤン星系でのあの戦闘の折、私たちの攻撃によるものではありませんが、彼は全身に大怪我と火傷を負ったという情報があります。その治療のために全身に及ぶ再生医療を行ったとすれば、あの姿が彼の遺伝子本来の姿であるという事かもしれません」
「彼本来の……姿……」
もうあまり覚えてはいないが、幼少期のマイケルは、確かに黒髪に黒い瞳だったと思う。
「差し迫った案件でもなければ、彼にはもう近寄るべきではないでしょう」
「……」
通路ですれ違ったあと、MAYAは自身の持つ膨大なデータの中、そして更に広大なネットワークの中から、アリスの目を通してみた彼の姿を類似検索した。そしてそこに引っ掛かってきたのは、なんとマイケル・リーの少年期の姿だった。しかしそれとて精細ではなくて、今の時点では確たることとは言えなかったのだ。
「メルファリア様の意識の片隅に引っ掛かったのは、これはいわゆる女の勘、というものなのかも知れませんね」
いちど言葉を切り、ひと呼吸置いてアリスは改めて口にした。
「うらやましいです」
そんなアリスにメルファリアは、怪訝な顔をして聞いてみた。
「うらやましい、ですか?」
「はい。私も、女の勘が欲しいです」
……。
一時の驚きから落ち着くと、メルファリアには疑問が次々と浮かんできた。
もし本当にあの乗客がマイケル・リー本人だとしたら、グロリアステラを狙う輩とは無関係なのか?
次の寄港地からあとは、ランツフォート宇宙軍が警戒の任にあたることになるが、アストレイアとプロミオンに護衛されたこの豪華客船は、予告された襲撃を受けずに済みそうな状況だ。だが、急きょ決定されたこの護衛がなければ、反社会的勢力は襲撃を実行しただろうか?
レオンからの報告では、今までのところ不審な動きは全く見当たらないとの事ではあったが。
また、襲撃予定の船に彼が乗り込んでいるのは、内側からの手引きの為、という可能性も捨てきれない。ならば、メルファリア達が降りた後に護衛が手薄になると、そこを改めて狙われることになるのではないか?
などと様々なことが、ぐるぐると頭の中を廻る。
彼は、メルファリアが乗船していることを当然知っており、その上で自分は正体を明かさずにいるわけだ。であるから、隠しているのは素性だけ、とは到底思えない。
そうしてメルファリアは、意を決してアリスに頼み込んだ。
「やはり、マイケル本人なのかどうか、直接聞いてみようと思います。ですから、御一緒していただけませんか?」
「先ほど、近寄るべきではないと申し上げたばかりですが、やはり貴女は御自分で確かめたがるのですね」
アリスは、その藍色の瞳でメルファリアを見つめ、二つ返事はしなかった。
「何とかしなくては、という気持ちが抑えられません。我がままを、聞いて頂けませんか?」
「……わかりました。では、私が必ずお守り致しますが、ひとつだけ約束して下さい……」
§
二人は再びエグゼクティブ・スイートから出て、アリスはリー・ジョ・ルムが座るカフェのテーブルを迷わず見つけて、メルファリアを案内した。黒髪の青年は、今はオープンテラス(とは言っても船の中ではあるが)で一人で寛いでいるところだった。
「あの、少しよろしいですか?」
「やあ、これはこれは。……どうぞ」
口元にあったコーヒーカップを置いて、リー・ジョ・ルムと名乗る青年はメルファリアを対面の席へと誘った。促された席にメルファリアはゆっくりと腰を下ろし、アリスがすぐそばに立ったまま控える。長身のウェイターがオーダーを伺うために近づいたが、アリスがそれをジェスチャーで遮った。
「単刀直入にお聞き致します。あなたは、……マイケルなのですか?」
「ほう、……よく気が付いたな、メルファリア」
隠そうとはせず、リー・ジョ・ルムの目がすうっと鋭くなった。落ち着いた口調のおかげで気付かなかったが、その声はやはりマイケル・リーのもので、いざそれが確認できると、メルファリアは背筋に冷たいものを感じて唾を飲み込んだ。
「……ではやはり、貴方がまた、海賊をけしかけたのですか?」
すると、メルファリアが見つめる先で、彼はあからさまに迷惑そうな顔をしてみせた。自分の容姿について問われるとでも思っていたのか、彼は少し意表を突かれたようでもあった。実際のところ、メルファリアにとっては彼の姿の変化など、もうどうでも良いことだ。
「海賊? ああ、この船にそんな予告があったようだが、……さあな。どのみち俺はもう、次の港でこの船を降りる。あとは……どうなろうとも知らぬよ」
黒髪の青年は、鋭い目つきのまま口元にだけ薄く笑みを浮かべた。
「いったい何を企んでいるのですか? わたくしへの意趣返しなら、大勢の無関係な人を巻き込むなど、おやめ下さい」
メルファリアの言葉を聞いてしばし思案顔になり、リー・ジョ・ルムは再び薄笑いを浮かべた。
「ああ。貴女はこの船を心配しているのだな。……ふふふ、愚かなメルファリア。俺はお前のことを愛していたのに。私の想いに応えられぬというなら、せいぜい……ふふふふふ」
否定も肯定もない。ただただ薄暗い、煤けた情熱のようなものだけがメルファリアには伝わってきた。
「あ、あなたという人は!」
肘掛けの上で拳を握りしめたメルファリアに、アリスがさりげなく半歩近づいた。
「ふふふ。俺をどうにかするかい? そうしたところで、いまさらもう遅いだろうがな」
「もう遅い、とは一体……」
薄笑いのままにらみ合いつつ、青年はテーブルの上で両手指を組んだ。
「きさま達のおかげで、この俺がどれほど苦しんだか、わかるか? 熱くて、痛くて、苦しくて。……どうやって償わせてやろうかと、来る日も、来る日も、……」
彼の眼光はいよいよ鋭く、そしてなんとも薄暗い。にらめっこでは、とうていメルファリアに勝ち目はなさそうだ。そして、まるでメルファリアが一方的に加害者であるかのような言い草だが、その認識の間違いを指摘したところで恐らくどうにもならない、そんな無力感のようなものにとらわれた。
「ところでメルファリア。あの星は、ノアと言ったか? 風光明媚な、きれいな星だな。セヴォールとは大違いだ」
「え? ……ええ」
「あれも、俺のモノにしてやろうと思ったのだがな。……ならぬものなら、どうとでもなるがいいさ」
「どうとでもとは……ど、どういうことですか」
惑星ノアのお屋敷にある、中庭の静かな風景が脳裏にふと浮かんで、メルファリアの声がにわかに震えた。冷静に対峙しようと努めたが、鼓動が荒くなるのを押さえられない。
「思い知れ……くくく」
「なっ」
慄くメルファリアを少しの間眺めたのち、青年はわざとらしくちらりと遠くに目をやった。
「おっと、私も忙しいのでね、この辺で失礼するよ」
リー・ジョ・ルムはカップの中身を残して席を立ち、質問にはまるで答えぬままに去ろうとする。
「お待ちなさい——」
掴みかからんばかりの勢いで立ち上がったメルファリアを、アリスが優しく抱きしめて引きとめた。
「メルファリア様が手荒な事をなさってはいけません。約束ですよ、ここは抑えて下さい」
歩き去る黒髪の青年に、どこからともなく褐色の肌の女性が近づいて、そのまま二人は並んで先へと歩いて行く。その後ろ姿をメルファリアはしばらくの間睨めつける格好になって、変に事情を察したウェイターが片づけを後回しにして、静かにその場から離れていった。
与り知らぬところで恨みを買っていたら、それは気味が悪いですよね。
ところで、女の勘ってのは、精巧なヒトシミュレータでも再現できないのでしょうかね?




