10.メルファリアの構想
地球の酸素もあと十億年しか持たないそうです。
それまでには地球以外の可住惑星を手に入れたいものですね。
大きな窓から調光された柔らかな光が差し込む昼下がり。
執務室の中で、私物のあまりないレオンはまだその広さを持て余していて、高い天井と窓の外と、そして机の上を順番に眺めてはぶつぶつと何やら呟いていた。
机の上に置いた3Dホログラムディスプレイと連動するノア版の地球儀をくるくると回しては、気になるところを指定して3D表示を拡大する。表示された立体地形図を様々な角度から眺めつつ、レオンは珈琲の残りを啜った。
「うーん、まだまだ情報が荒いところが多いなあ」
ノアは実験惑星であって、人が住まないテラフォーミング最初期から、人工衛星や滞空ドローンをたくさん運用して地上をつぶさに観測している。地図データは常に観測を続けるそれら衛星などからのデータで随時更新され続けており、逆に製本された地図帳と言うべきものはない。
テラフォーミングの経過観察にはそれで事足りるとしても、レオンが眺めて思案するためには情報量が足りないようだ。
「でもまあ、色々と見栄えのする処を幾つかピックアップできたよ」
「そうですか。それは良かったですね」
アリスが棒読みでそっけない反応を示して、空いたコーヒーカップをこれ見よがしにレオンの目の前から取り上げる。その服装が、つい先ほどから給仕服に変わっていた。このお屋敷で他のメイドたちが身に着けているものと同じデザインテイストの、古風でモノトーンに近いものだ。
「(そういうのは断ったはず……)」
リサが着ると可愛らしくも見えるが、アリスが着ると、立ち居振る舞いのせいだろうか、同じ服装でも凛々しく見える。というか、凛々しくを通り越して偉そうにさえ見えるので、なんとなく似合っていないような気がする。
ツッコミそうになるのを敢えてこらえ、レオンは気にしないふりを貫くことにした。このお屋敷内では珍しくないし、随分前ではあるが、アリスが一度着たことがあるものだと思う。無視しよう。
カップを片付けようとするアリスの後姿を睨んでいると、視線に気づいたかのように振り向いたので、レオンは地球儀に向き直ってまたくるくると回し始めた。
惑星ノアの「売り」は手つかずの大自然が織りなす雄大な景色である。
それしかない、とも言えるが。
これを最大限に活用するため、スターズ・アンド・プログレス社が運用する星間クルーズ船の船旅客を惑星ノアに招き、自然観察ツアーを催そうというのがメルファリアの発案だ。
一般的に、テラフォーミングによって可住環境を整えた各惑星は(人類域内の殆どの可住惑星はそうだ)いきおい実用面が優先されて、人が美しさを感じる風景には縁遠い例が多く、それがいまだに地球観光が盛況な理由の一つでもある。
そこで、セレブ相手の船旅の日程に組み入れて金持ち客を取り込もうというわけだが、お屋敷の隣接地に竣工した立派なゲストハウスと付帯設備は、その為の物となる。ありていに言うと、有象無象の一般人は端から相手にしておらず、サービスのレベルは高止まりしたままを想定している。
いずれはマリンレジャーなどを充実させ、滞在型も含めた高級会員制リゾートを目指す構想をメルファリアは持っていて、まずは自然観察ツアーではじめの一歩を踏み出そうという目論見だ。
惑星ノアにはそもそも無目的の一般人がいないので、不審者の入り込む余地を排除した高度なセキュリティとプライバシー保護を確保できること等も、やんごとなき方々に対してはアピールポイントとなるだろう。
メルファリアは、この星の野放図な発展は望んでおらず、それ故にこの星系の総督という責務をも担うことにした。工業プラントが必要とあればラグランジュ点に大規模構造体を浮かべて用意するつもりだし、鉱物資源の調達には他の惑星や小惑星などが活用される。地上で景観に悪い影響を与える人工物や構造物は、ノアでは可能な限り排除され或いは特定の場所に集約されて隠されることになる。
テラフォーミングの初期から人が住まう事を最優先とはしない方針を維持して、一見何も無いように見えるこの星に、メルファリアは壮大な青写真を思い描いていた。
警護役たるレオンとしては、セキュリティとプライバシー保護が高いレベルで保たれるのは意に沿うものでもあるので、コーヒー農園を作りたい気持ちは捨てきれないのだけれども、リゾート惑星化には賛成だ。
そんなわけで、メルファリアとレオンはそれぞれに自然観察ツアーの催行プランを策定することなっていて、今頃はメルファリアも自分の居室かどこかで、おそらくはリサと一緒に思案中なことだろう。
レオンは観覧地点と順番、その時間割などから幾つかのパターンを作ってみて、物語風に割り当てることが出来ないかと検討してみることにした。この星に歴史はまだないので、地球時代から伝わる神話などを拝借してモチーフにしようかと考える。
著作権を主張されることは無いし、リスペクトさせて頂きました、とでも言っておけば問題ないだろう。
「しかし、下見というか、予行演習は必須だなあ。実際に見てみない事には何とも言えないところが多いね」
そういえば、クレイオ博士の執務室に隣接した書庫には、この星と実験に関する製本した資料がたくさんあるそうだ。レオンも一度おじゃましたことのある、大昔の図書館のようなあの部屋だ。
「博士の書庫への入室と、閲覧の許可をお願いしてみようかな」
「製本した資料ですか。デジタルツインはないのでしょうか?」
「どうだろう。なんならデータ化の許可も頂けたらいいな」
アリスはまだ性懲りもなく給仕服で振舞っているが、レオンはきっぱりと、その件に関してはスルーを決め込むことにした。
§
幾日か過ぎて新居にも何とか慣れてきたころ、レオンとメルファリアは其々のツアー素案を持ち寄り、来訪者に訴求すべく検討を続けることになった。まずはこの星にどれだけ関心を持ってもらえるかが、以後の安定した収益源になり得るかどうかに直結するはずだ。
「今のところ、この星の見どころに詳しい者がいないから俺たちが知恵を絞らなくてはならないけど、いずれはツアーディレクターを選任してお任せしたいですね」
「ええ、そうね。添乗員等も含めての人選と、教育も必要だわ」
セレブ相手のツアーでは、ロボットやホログラムではなく生身の添乗員による心のこもった「おもてなし」が提供される。リサが「おもてなし」の重要性をいやに熱心に説く隣で、メルファリアは得心してうんうんと大仰に頷いてみる。レオンも、セレブリティと呼ばれる人たちが自然な様を有り難がるのを、今はもうよく知っている。
人と見分けがつかないアリスならその役を担えるかとも思うが、コストだけを比較しても、プロフェッショナルな人材よりもアリスの方が遥かに高いだろうと思うし、そんな場面こそむしろ雇用の確保のためにも人材である方が良いのだろう。ハードウェアだけでなく、今後まだまだ準備しなければならないものは多いということだ。
「それはそれとして、メルファさん、ひとつ提案があります」
レオンはホログラム地球儀から地上各所をしばらく眺めていて気になったのだが、この星にはまだ整理番号が附番されただけの河川や湖沼、峰々が数多い。それはただ単に区別するためにアルファベットと数字の羅列で表され、無味乾燥なことこの上ない。
繰り返すが、惑星ノアは現時点で実験惑星であり、ランツフォート家の個人所有だ。だから学術的取扱いに留まっていたとしても仕方のない事だが、観覧客に対して景色を紹介・説明するとしたら、これはとても味気なく聞こえるのではないだろうか?
この、レオンの問いかけた内容はメルファリアも当然に承知していて、ただ、その数は膨大なので段階的に処理しようと考えていたようだ。
「ツアーに含まれるところは、紹介すべきものについては間に合うように命名しようと思いますが、その為にも先にツアールートとパターンを決めてしまいたいと思います」
メルファリアは真面目な顔で、今後やるべき面倒な作業の順序をレオンに説いた。
「そこなんですけどね、むしろ整理番号のまま売り出しましょうよ」
「え……どうしてですか?」
どのように名付けるかをふと考えだしたメルファリアは、レオンの言葉に意識を引き戻された。
「つまり、ネーミングライツパートナーを募集して、たくさんお金を出す御大尽たちに命名してもらうんです」
あー、とリサが納得したように手を打つ。
「世界中に、発見者が名前を付けた地名などはたくさんありますよね。発見者の名前そのものが由来の地名も多くあります。もちろん、山や川の名ですから、総督であるメルファさんと協議のうえで最終決定しますが、良い名称を考えるのを手伝ってもらう、という形になると思います」
しかも、高値で売りつけたうえで。
「なるほど、そういうことですか」
「自分の名付けた名勝ともなれば、その御仁はきっと訪ねて来てくれるでしょうし、宣伝と集客にも少しくらいは効果が期待できると思いますね。それに、なんといっても一番のメリットは、新たなコストを必要としない、既にある物だというところです」
「どれほど希望者がいるかは分からないけれど、とにかくやってみましょう、という事ですわね」
と言うメルファリアの思いは控えめだが。
メルファリアは、彼女の自覚よりはずっと有名人であり、その名前にはそれなりの影響力がある。その彼女の治める星に存在する山河や景勝地に名付けることが出来るとあれば、希望者が重複してもなんらおかしくない。中には、単にメルファリアにお近づきになりたいがために大金を出す者もいるんじゃないか。
レオンは、実はかなりの勝算を見込んでいるのだった。
などと打ち合わせはその後も更に幾度か行われ、とりあえず八個の催行シナリオが仮決定されて準備が進められることとなった。
ほかに売るものといえば、
メルファリア・ランツフォートが貴方を気にかける権利とか……
あ、いや、なんでもありません。




