チハナ
出発する前に二人は名を教えてくれた。此方の名を尋ねてきたので、やっぱりステータス画面は二人には見えないものかもしれない。
どの世界でも個人情報は大切である。
道中はアレンの馬に相乗りさせてもらうことになった。抱き上げられるような形で騎乗するが、初めての乗馬、初めてなのに横乗り。
急に地面から距離が離れて普通に怖い。
まさかスーツで乗馬する日が人生で来ようとは夢にも思わなかった。ぎこちない様子を微笑ましく見られているのも恥ずかしい。
本当は馬車で迎えに来たかったらしいのだが、あの草原まで馬車が通れるほど整備されてない道が多かったことと、隣国との境界近くに私が居たため早急な保護を優先し、速さ重視で馬で駆けて来てくれたと言う。
夜明け前に出勤させた挙句労働させてしまって何だか申し訳ない気持ちになった。
王様にはぜひこの二人に特別手当をしっかりつけて欲しい。
「先日城にいる魔術師が花嫁様の召喚を感知しまして、我々を向かわせたのです」
自分が知らない間に身体にGPS機能がついていたらしい。魔法すごい。
城に向かいながらまずは現在地の確認をさせてもらった。
ここはパルヴァイスという国で、人間が多く暮らしているらしい。他国には魔族や妖精もいると言う、やはりファンタジーど真ん中の世界だ。
その辺りの詳しい説明は城に着いてからと言われたので別の質問へと移行する。
「アレンさんは…その、どうして私が花嫁だと?」
おそるおそる尋ねてみる。ステータス画面が所謂異世界転移特権なのかの確認をしておきたい。
「この世界の古くからの言い伝えがあるのです。まさか今代で花嫁様がいらっしゃるとは思いませんでしたが」
「今代って…私の他にも花嫁が居たんですか?」
「はい、随分昔に。そうですね八百年ほど前でしょうか」
何時代の人が召喚されたのだろう。
そもそも日本人だったんだろうか。言語の壁はないと思っていいようだし、案外外国の人が呼ばれていたりするのかもしれない。
「先代の儀の時も花嫁様は現れませんでした。隣国が秘匿していたのかもしれませんが少なくとも我が国は確認していません」
「そうなんですか」
「はい。…本当に花嫁様が現れてくれてよかった」
呟かれた言葉に顔を上げればアレンが目を細めていた。そんなに嬉しそうにされると何だか居た堪れない。
その『花嫁』たる役割が自分には理解できていないからだ。
名称から察するに誰かに嫁がされるのだろうか。嫁ぐということは結婚するのか。
「え!」
思わず声を上げてしまい慌ててかぶり振った。
自分はまだ二十三歳で、何しろロクに恋愛もできたことのない言うなればひよっこだ。それが、結婚。確かに学生時代の友人の結婚式には今年に入って出席したし、出産祝いも買って渡したことがあるけれども。
「花嫁様?気分が優れませんか?」
「いえ、いえ、あの、今ちょっといっぱいいっぱいなので名前で呼んでもらってもいいですか」
花嫁ワード、落ち着くまで封印。
精神状態に悪いことは今は見ないふりだ。
社会人になって学んだ処世術である。
体調不良になっても弊社は有給など簡単には使わせてくれないのだ。
「はあ、ではチハナ様」
アレンの言葉に一度頷く。出来ればその堅苦しい呼び方もやめてほしいと言えばそれには眉を寄せられた。
名前は尋ねられた時咄嗟に偽名を名乗ってしまった。『チハナ』偽名をいうかゲームをプレイする際やSNSで使用していた名前だ。
名字の『橘』からとって『チハナ』。
魔法の世界では本当の名前を知られると厄介なことがあると、自分の中のファンタジー知識が働いてとっさに偽ってしまったのだ。
とにかく元の世界に帰るまで自分の名前は『チハナ』で通そうと決めた。
「チハナ様、城門だ!もう少しで着くぜ」
前を先行して走っていたイースがいつの間にか隣を走っており、進行方向を指差す。
話が聞こえていたらしく名前で呼んでくれることに少し嬉しくなって笑顔を浮かべた。
目があったイースも笑みを返してくれる。
声の通り目の前には立派な城壁が広がり、その継ぎ目の所に城門も見えた。
そしてもの凄い人集りも見える。
「イースさん、アレンさん。あれは?」
震える声で尋ねるとこちらの様子に気付いたアレンが落ち着かせようと思ったのか背を優しく撫でてくれた。
「驚かせてしまいましたね。我々の所属する騎士団です」
「俺たちの帰りを待っていたんだろ。信用ねーなー」
馬の速度を落としながらイースが不満気な声で言うとアレンがじとりとした目でそれを見やる。
「日頃の行いでしょう」
「これでも殿下の護衛なんだぜ。も少し評価が高くてしかるべきだろ」
やいやいと続く二人の軽口に普段の様子が垣間見え、一瞬強張っていた身体から力が抜けた。
「二人とも仲がいいんですね」
「付き合いが長いだけですよ」
「そうそう。心配しなくてもチハナ様が怖い目に合うことはないからな。俺たちは殿下のところに無事にお連れする為に居るんだ」
イースのその言葉に引っ掛かりを覚えた。
王様は陛下と呼ばれるはずで、殿下は王子様のことだと記憶している。そしてこの二人は殿下の護衛だと言う。
自分を必要としているのはこの国の王子様なのだろうか。
はてと首を捻っている間に城門はすぐそこまで迫っている。
すっかり登りきった朝日の光に背を押されるように、パルヴァイス王国の城門を潜ることとなったのだった。




