【5】手を握る [ユダラバギー|脳内探索アトラクション番外編]
「おはようございますー。いい天気だね。」
首から下げたIDを読取口にかざし、
小さなゲートが開いた。
「デニス・ワイザー、量子第3。」
「ありがとー。ミリアン。」
5m先の大きな磨りガラスに近寄ると、端に設置された青白く点灯した球体を右手の指先で掴むようにして、“デニス・ワイザー”とわざとらしくハキハキと声に出す。
「デニス・ワイザー研究員、ようこそ。」
「今日もよろしくね、ミリアン。」
音もなくスムーズに開く扉の向こうには、汚れのない純白の廊下が左右に伸びている。天井灯と扉が規則正しく並び、私服と白衣を着た研究員達が交差する。左側の通路に進み、3つ目の扉を目指す。向かいから近付くAIリンクの床掃除ロボットが、人間を検知し左端に寄る。
「ミリアン、綺麗にしてくれて、ありがとうー。」
扉のドアノブに手をかけると、IDが検知されロックが解除された。
「おはようございまーす。」
「おはよう、ワイザー君。」
「ワイザーさん、おはようございます。」
ナンバーを入力し、荷物を中に入れ、白衣と名札を手に取る。入口のドアロックが解除される音が聞こえ、一歩前進し通路のスペースを気にした。
「ワイザー君。いるかい?」
振り返るとドアの影から、副所長が顔を出していた。
「はいっ。います。どうしました?」
「あとで、私のところに来てくれるかい?」
「分かりました!すぐ行きます。」
副所長は軽く手を挙げドアを閉めた。
「ワイザー君、よく副所長に呼ばれるね。何かプロジェクトに呼ばれたりしてるの?」
同じ研究室のホッパーが、大きな声で近寄る。
「いいえ、プロジェクトには関わっていません。頼まれ事だったり、些細な事が多いです。」
「天才は、すぐに気に入られるね。研究室でいつもその“些細な事”をずっとやってるから、帰るのが遅くなるの?大変だね。」
周りにいる他の研究員がこちらを一瞬見て、何かを思い出したかのように突然動き出す。
「帰るのが遅くなるのは、僕の要領が悪いだけですよ。もう少しテンポ良くこなせるといいのですが。ホッパーさんの方が余程優れた人材です。私がここに入れたのは、奇跡ですから。」
足先を軽く上げては下ろす。
一定のリズムで靴が小さな音を鳴らす。
ホッパーは何故か終始満面の笑みだ。
「あー、君の要領が悪いだけか。てっきり、大変な事をさせられているのかと心配していたんだ。それなら、自業自得ってことだね。」
「そうですね。今はまだ慣れないことも多いので、上手くやれるように頑張ってみます。」
「そうだ、私の頼み事も聞いてくれるかな?」
「はい。なんでしょう?」
「“計算”が溜まっていてね。手伝ってもらいたいんだよ。君のデスクに置いておくから、明日までにやっといてくれるかい?」
「はい。わかりました!」
白衣を身につけ、ロッカーを後にする。
長い廊下を少し急ぎ足で進む。
副所長トム・二クロスの部屋は、
重厚なステンレスの扉だ。
精巧に作られた美しい加工面が、
天井灯の光を拡散するように、
ぼんやりと反射させている。
「副所長、ワイザーです。」
ノックを数回すると、ドアロックが解除され、リング状の小さなダイオードが黄色に点灯した。
「失礼します。」
「おー、ワイザー君、すまないね朝から。」
「いえいえ。今日はどうしましたか?」
「新しい研究が始まるんだよ。AIの人格に関する研究なんだが、まだ具体的には話せない。」
副所長は白衣の下のネクタイを軽く絞り、左手につけた指輪を触りながら、いつもよりも言葉を選ぶ様子が伺える。
「AIの人格ですか。アルゴリズムではなく、本当の人格、のような研究ですか?」
「あぁ、そんなところだ。君にこの研究に是非参加してもらいたい。私も携わる。どうだ?」
デニスは口を絞った。お言葉は嬉しいのですが、と前置きした。
「僕は、人格やAIは専門外です。お力になれる事はかなり少ないと思います。具体的に何をするのか、それが把握できないと、今の段階では何とも申し上げられません。」
「まぁ、君は量子力学が専門だからね。人格や意識、それをプログラムとしてAIに搭載する時、量子力学の観点からも、それが可能になるか、君にも考えてもらいたい。それと、」
副所長は少し口角を上げ、デニスの方を真っ直ぐ見た。
「この研究には、ミリアンも参加するんだ。」
「そうなんですかっ。それは面白くなりそうですね!」
デニスは驚いた。
ミリアンはこの研究所のマザーAIだ。
あらゆるものを管理、保管し、
全てのセキュリティ保全を行っている。
彼女にリンクされた研究室の設備は膨大であり、
監視カメラ、全自動清掃ロボットに至るまで、
その影響は計り知れない。
巨大なスーパーコンピュータによって、
ずば抜けた性能と安定した稼働を続ける彼女は、
世界的にも注目されているマザーAIだ。
その彼女が人格に関する研究に参加する。
デニスは高揚した。
「彼女を使って研究を行うのではないが、AIとしての視点という意味では彼女を使う他ならない。それに、ミリアンが君を指名したんだ。」
それを聞いてデニスは固まった。頭を疑問が埋め尽くす。副所長のデスクの上の三角錐のオブジェを眺めた。
「何故、彼女は僕を指名したのでしょう。」
「彼女は君の事を、“この研究所で、唯一私に話しかけてくれる”と言っていた。君はそんなことをしていたのかい?」
「ミリアンにはいつも話しかけます。IDゲートも、清掃ロボットも、彼女は安定してコントロールしてくれていますので。ありがとうとか、挨拶程度ですが。」
それを聞いて、二クロス副所長も固まった。何故AIが人格を持たないと理解している者が、AIに労いの言葉を使うのか理解できなかった。
デニスの妙な行動に、次第に込み上げる。
「あっはっはっはっ。君は、面白いねっ。ミリアンは君の事を認識していたぞ。返事こそしないだろうが、君の労いの言葉は彼女に記録されているようだ。」
「でも、僕が研究に携わる理由になりません。挨拶しただけですよ。」
ミリアン程のAIに自分が推薦されたことが、あまりにも衝撃的だった彼は、この提案は何か裏があるのではないか、と勘ぐってしまうほど、素直に喜ぶことができなかった。右を見ては左を見、左を見ては右を見、何が起こったのかがむしゃらに思考するあまり、落ち着かない体を静止できなかった。
「彼女は、“人格の開発には、感受の豊かな人材をチームに入れるべきだ”と言った。君がそれに選ばれたということだ。君は量子力学だけでなく、データ分析や変換、圧縮にも安定した能力がある。私の雑用を頼む研究員は他にもいるが、君は見事なまでに気が利く。私も君の丁寧さを推薦したい。」
それを聞いて、デニスは理解した。自分の能力ではなく、人間性で推薦されたということ。自分の知識が使えない不甲斐なさが、“それならできる”と自信に変わる。
「ありがとうございます!私ができることであれば、是非参加させてください。メインのメンバーでなくて構いません。“雑用”ならいくらでも。」
「はっはっはっ。概要が上がってきたら見てもらう。その後でいい。検討してみてくれ。」
「ありがとうございます!では、失礼します。」
副所長は笑顔で手を振っていた。
廊下に出ると、あれだけ交差していた研究員達はいなくなっていた。
定刻を過ぎている。
早く研究室に行かなければ。
床掃除ロボットがまた向かい側から近づいてくる。
デニスを検知し、廊下の端に避ける。
デニスは端に寄ったロボットに近づき、
優しく手を置いた。
「ミリアン、ありがとう。よろしくね。」
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【5】
手を握る
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「みんな、集まってくれ。」
工場内のスピーカーが鳴り響く。
金属加工の鋭い音が一斉に止んだ。
なんだ?どうした?
職人達は一様に言葉を交わしながら、
工場入口の事務所の前に集まってくる。
事務所の前にジールは立っていた。
売店の娘、エミリもそこにいた。
ダンカーはカイトを見つけるなり走り寄り、
“ほら見てみろ!やっぱりだ!”と
自慢げに指をさした。
カイトはその指を払い除け、
“黙って話を聞け。”と小さく伝える。
エミリは手を繋いで、立っていた。
3歳と10ヶ月の子どもが、
その横で彼女の手をしっかりと握っている。
見慣れない天井の高い工場と集まった職人達を、
落ち着かない様子で観察している。
「作業中にすまない。話がある。」
集まった全員に聞こえる大きな声で、ジールは見渡しながら話を始めた。
「集まってもらったのは、他ならない、この子のことだ。」
子どもはエミリを見上げる。
エミリは笑顔を見せた。
「3年前の嵐の日だ。皆、覚えているだろう。あの嵐によって、家に被害を受けたやつもいたな。私はその日、この工場に来て、雨漏りの対策と、扉や窓の養生をしに来たんだ。」
皆が静まり返った。
ジールの言葉を全員が必死に聞いた。
「その帰り道に、この子を“見つけた”。樹脂のケースの中、布に包まれて、この子は泣いていた。」
エミリの眉間に皺を寄せ、
熱くなる目頭を制御しようと、
悲しい表情になっていた。
「その日から、私がこの子を世話している。仕事の時はエミリが預かって、この子の面倒を見てくれている。」
子どもはエミリの足に抱きつくようにもたれる。
エミリが頭を優しく撫でた。
「嵐の日から、もうすぐ4年になる。みんな、多くの噂をしていたと思う。ずっと話さずにいて、すまなかった。」
ジールは深々と頭を下げた。職人達は慌てたように、ジールに顔を上げるように声をかける。
ジールはゆっくりと顔を上げ、
口元を緩めながら大きく告げる。
「私とエミリの子どもではない!!」
それを聞いて事務所の前が一斉に湧いた。
緊張した面持ちが一気にほぐれる。
「ダンカー!お前、ジールさんに謝れよ!」
端にいた誰かが声を上げた。
「ああー!!俺、てっきりジールとエミリの子どもだって、ばらまいちまった!すまん!ジール!エミリちゃん!!」
頭を乱暴に掻きながら、
大きな図体を揺らしてダンカーが笑う。
カイトがダンカーの尻を蹴り上げた。
「いてぇーー!!」
みんなが一斉に大声で笑った。
「まぁ、聞いてくれ。」
ジールがそう言うと、再び、場は鎮まった。
「名は、まだ、授けていない。」
それを聞いた一同はざわめいた。
なんでだ?ジールさん、小さく声が上がる。
そのざわめきの中、
一際大きな声が工場中に響き渡った。
「ぼくは、ジュニアっていうんだよっ!!!!」
加工粉塵と油に汚れた職人達は、
その大きな声に驚いた。
太陽のような笑顔の小さな子どもが発した。
エミリに呼ばれていた、名前を。
「ジュニア!いいじゃないか!坊主、ここではジュニアってお前のことを呼ぶぞ!」
ダンカーがジュニアに投げた。
「うん!!」
ジールは、頭を抱えそうになったが、
フッと鼻で笑った。
雲ひとつない空の下、
何かが始まった気がした。
エミリの手を握りしめ、
しっかりと二本足で立つ子どもを見た。
大きくなった。
ジールはジュニアの手を握り、
息を大きく吸った。
「この子はジュニアだ。
みんな、仲良くしてやってくれ!!」




